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①45坪のオールウェイズ 第一章「18才の旅立ち、私のパリへ」①
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このブログは、演劇(俳優)に憧れた私の 夢物語であり、僅か45坪のシブヤ・ラ・ママというライブハウスの40年間の説話的物語でもある
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本来ラ・ママとはニューヨーク・マンハッタンの近くにある。複数の劇場を所有し、実験的ステージやミュージカルなど60年近くの歴史と、二度のトニー賞を授賞した世界的にも名高い劇場である。
またスタッフも含め制作・プロデュース集団として高い評価を受け続けている。
シブヤ・ラ・ママはその創設者エレンスチュアート女史(オーナーでもあり演出家、デザイナーでもある)との運命的出会いの中、正式に頂いた名称である。
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エレン・スチュアートシアター
そのコンセプトの一つは、45坪の母なる胎内から、素晴らしいアーティスを輩出するという意味も込められています。
そして夢翔する若者たちとの語らいや、夢のような多くのアーティスト達との出会いなど、語り尽くせぬお話の一部でもお読みいただければ幸に思います。
物語をランダムに語る場合もあり、繋がりづらい事、多々あると思いますがお許しの程。素人の長い執筆の旅である。
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NY Lamama創設者エレンスチュアート女史
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渋谷ラママ代表 はたの樹三
“45坪のオールウェイズ”
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第一章 18歳の旅立ち「私のパリへ」①
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山陰の小さなこの町には、雪ホタル舞い黄昏ゆく気配がよく似合う。そう思いながら私は、暫くはこの町に帰ることもないであろうと、雪色の風景、静まりかえる家々の佇まい、よく遊んだあの路地裏など心に留めおこうとする。
しかしアッという間に冬の夕闇の中、全 てが消えてしまっていた。
東京オリンピックの年、まさに昭和の真っ只中の旅立ちでした。 高校を卒業後すぐに俳優を目指し、山陰本線上井(あげい)駅から寝台特急“出雲”に飛び乗り、東に向かって惜寂の汽笛を残して出発したのでした。
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雪の止んだ上井駅を発車すると、初めて乗る特急という名のスピードに、民家の灯りが流星の如く流れ去る。
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あの夏の日々、思い出多き海水浴場の砂浜が、いつ雲が切れたのか月明かりで白く光り、今微かに聴こえる潮騒とその香りが、橋津(はしず)海岸辺りを走っていることを教えてくれる。
見えてきた浜から50メール沖にあるあの岩山。飛び込み台よろしく、その勢いで深く潜り、必死に魚を追いかけたものだ。
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そう言えば、あの時ペギー葉山の゙南国土佐を後にしでが、スイカ畑の海の家から聴こえて来た。いつしか自分も一緒に口ずさんでたことも思いだす。 周りを取り囲むカンナの花も、夕闇の夏の日をうけ綺麗だった。
想いに耽っているうちに、海鳴りも何時しか聞こえない。
さあ故郷を離れ、許された私の人生(命)の旅立ちである、、、。
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山間に入った列車は、幾つものトンネルを抜け、さらに山陰の山々の懐深く吸い込まれ乗降ドア窓からはもう何も見えない。
私は、高まる気持ちとは別に、窓に映った自分を何故かぼんやり見ていた。そしてさっき別れた母のことを思ってみる。
母はなぜ本線の上井駅ではなく、近所の新町三丁目のバス停で見送ってくれたのだろうか。小さく手を振り心配そうに黙って私を見送りつづけていた姿を思い出す。
ただ一瞬、今まで見せたことのない表情を忘れてはいない。
それは三人の子供を遠く都会へと見送った母親の顔であり、いつでも帰ってきなさいという、辛さ故の気楽なバス停での別れだったのかも知れない。 まるで二、三日の束の間の別れの様に・・・。今でこそ亡き母の気持ちがよくわかる。
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しかし特急列車は、そんな感傷的な気持ちはお構いなく、故郷の思い出を置き去りに、山、川、海の記憶さえ断ち切るように、ひたすら単線のレールを猛スピードで走り続ける、、、。
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いつの間にか再びドアのガラスに雪雫が吹き付けて、すりガラス状態。外は気温が相当低いのだろう。
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一方自由席の車内といえば、多くの乗客が席もなく、通路に新聞、ビニールを敷き、車座になっている。
そこには私の居場所はすでに無い。仕方なくトイレの中に同じく新聞を敷き、小さな窓を袖口で吹き、ぼんやりと離れていく故郷の闇を眺めているのでした。
ところがノックの音と共にそれも束の間、就寝前の乗客の生理現象の賑わいに出たり入ったりの繰り返し。しかもお互い目線を合わせることもなく、会釈し合うのも面白い。 母がくれた初めて着けた腕時計を見れば、はや10時を過ぎている。車内の会話も遠慮がちなヒソヒソ声に変わってきた。母に抱かれた幼子は緩んだ顔してどんな夢・・・。
皆様の用足しもひと段落。話し声は、いよいよ魔法の煙を吸ったのか平和な寝息へとかわってゆく。何と言う穏やかさ。
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しかし逆に列車はさらにスピードをあげ、ゴーゴーガタガタと軋む爆音まで引き連れ、気が気ではないほどの全速力で走っていく!
あ〰️、この列車、このまま私を道連れに何処に行くのだろう、と不安な気持ちになって来た。私はこのまま寝る気にもなれず、「憧れ」の地に思いを馳せ、「今夜は一睡もせぬ!」と覚悟を決めていたのでした。
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思えばあの当時、都会の人たちの憧れはパリにあった。
エディット・ピアフやジュリエット・グレコの祈りにも似た哀愁漂うシャンソンが街中に溢れる。
そして冬のカルチェラタンの街灯の下、“恋人たちは何を語り会うのだろう”。などと異国のロマンチックな光景に多分思いを馳せていたのであろう。
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しかし私の憧れの地は、小さな童と綴る字の如く、カントリーボーイに相応しい「トーキョー」なのでありました。
つづく
次回は私のパリ終着駅です
8/15より第2章「パリ便り」が始まります。
現在(8)45坪のオールウェイズ 第三章【今も昔も・夢ものがたり】まで掲載しています。是非ともお読み頂ければ、嬉しいです。
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