海パン天狗との出会い

路上ライブに通っていた話を書いた際に、後に通わなくなった理由として、人生を変えるアーティストに出会ったので、と書いた。

違う投稿をいくつか挟んだけど、ようやくこの話をしたいと思う。

高校2年生の時にこのアーティストに出会わなければ、以降の自分の人生はまるっと違う人生だったと思うので、本当にターニングポイントになる出会いだった。

このアーティストを知ったのも、母からだ。
母はよくzip-fmという名古屋のラジオチャンネルをよく聞いていた。

一緒に車に乗っている時に、zip-fmから流れてきた曲を聴いて母が「このアーティストの曲、最近zipでよく聴くよ。すごい変なアーティスト」と言った。

終始ラップで何を言っているかよく分からなかった。「どんなアーティスト?見たことある?」と聴くと「見た事はないけど、歌詞が全編下ネタみたいだよ。名前はシーモネーター。」との事だった。

下ネタ満載のアーティストを教える母も母だが、私も私ですぐ興味を持った。

当時持っていたガラケーで調べると、近々メジャーデビューを控えていて、インストアライブがあるとの事だった。

毎週路上ライブに行きまくっていた私は、ライブを観に行くという事に対してフッ軽だったし、インストアなら無料で観れるので、行く事に決めた。

名古屋駅の新幹線口には、その当時生活創庫(アピタ系列)というファッションビルがあった。
今はビックカメラになっている場所だ。

生活創庫は、カジュアルな服を売る店もあれば、ゴスロリの服しか売らない階があったり、ヴィレバンがあったり、謎の広告に拘っていたりして、他のファッションビルとはちょっと違う雰囲気があって、私はとても好きだった。(広告を添付:謎に溢れる)

その生活創庫の1階にHMVがあり、インストアはそこで行われた。

少し小上がりのライブスペースの周りに、気持ち程度の柵が設けられていて、ステージから距離ゼロで、今考えるとセキュリティもクソもなかった。

初インストアに張り切っていた私は、開催の1時間前には店に着き、握手会に参加する為のデビューCDも購入して準備万端だった。「おかあさんも行きたい」という理由で母帯同(もしかしたらやばいアーティストだったし、気にして付いてきてくれたのかもしれない。)そして親友も誘って一緒に行った。

人はちらほらいつつも、たくさんいるというわけではない。私・親友・母は、インストアスペースが開場になると、せっかくなら、と最前ド真ん中で待機した。

ライブ開催時間が近づくにつれて、人がたくさん集まってきて、最前ど真ん中から出られなくなってきた。しかもタバコと香水の臭いがすごい。これかHIPHOPの香りか?そんな事を思っているうちに開催時間になった。

まずDJ TAKI-SHITが出てきたのだが、その出で立ちが異常だった。キャップにサングラス、マンキニスタイルの水着(かろうじて、太もも丈あり)を着ている。目のやり場に困る。隣に母がいるのだ。親友も気まずそうだ。DJブースで股間が隠れている事が唯一の救いだ。ここで再度伝えるが、生活創庫はアピタ系列のファッションビルである。ただ、この空間には公然わいせつ罪など存在しなかった。マンキニは公然わいせつにならないのか…?良い時代である。

その間にもどんどん人は集まる。店内は後ろの方まで人がいっぱいになった。あとで知る事になるが、シーモネーターは名古屋のHIPHOPアンダーグランドでは既に有名だった。

プロレスのテーマソング的な音がかかって出てきたのは、サテンのガウンを着て、サングラスに水泳帽を被った男性が出てきた。お客さんが「シーモネーター!」「塾長!!」と声援を送っている。シーモネーターはガウンを着たまま、客席に背中を向けて後ろを向いている。

私や友人は、何だ何だと無言で見つめていると、音楽が鳴り終わると同時に、シーモネーターはガウンを華麗に脱ぎ捨てて、正面を向いた。

ガウンを脱ぎ捨てたシーモネーターは、海パン一丁で股間に天狗のお面を付けていた。

私は、私達は初めて見る光景に爆笑してしまった。ここでドン引きせず爆笑できた事が、後の人生を決めたと思う。というのはかなり大袈裟だが、何というか、それまで家庭に新体操にとガチガチの規律通りがんじがらめに生きていた私を、人間は人間のままじゃー!と解放してくれた出来事の一端だと思っている。やっぱり大袈裟かもしれない。

しばらくは爆笑したまま、前を観られなかった。少し上を見上げて、シーモネーターの顔ばかり観ていた。なぜなら、最前ど真ん中なので、普通に正面が海パン天狗だ。シーモネーターがジャンプしながら歌うたびに、目の前で天狗が激しく揺れる。ここで今一度言うが、ステージと客席はセキュリティもクソもない距離ゼロだ。そして何度も言うが、隣に母親がいるのだ。これをある程度知っていて一緒に行きたいと言った母も母で異常だ。

爆笑し続けつつも、私達は曲をあまり知らなかったが、周りの熱量に押され、気づけば大興奮でハンズアップしていた。「シーモネーター!待ってたんだ!」と、音量規制もないような爆音でジャパニーズラップやコールアンドレスポンスを聴き、最前列で激しく揺れる天狗を見て、初体験でほぼトリップしていたのではないかと思う。

途中のMCで笑いをこらえながら最前ど真ん中で観ている私たち高校生を見て、シーモネーターが「若いのに刺激が強いよね、ごめんね、大丈夫?」とMCのネタにしてくれた事も覚えている。冷静に考えれば、ただネタにされただけだと思うが、ウブな高校生だったので、それでさらにファンになってしまった。普通に優しい変態ラッパーじゃねえか、と。

ライブが終わった後、デビュー記念インストアライブなので、握手会と更にサイン会もあった。握手とサインをしてもらっている間も、帯同した母に娘さんに強い刺激をすみません、と言ってくれたりして、笑いが止まらず今考えたら笑い過ぎて失礼だったと思う。

ただただ面白い・衝撃という笑いでもあったが、私の中では嬉しいという笑いも強く含まれていたので、笑いが止まらなかったような気がする。

元々ブラックミュージックはよく聴いていたので、ジャパニーズラップを拒否するような事はなかったと思うが、下ネタとラップというこれまで見た事もない新しいカルチャーに触れた事で、カルチャーにおいて何でも創造できるし規定はない・見る者にとってもそれは同じである、と感じて、気持ちがとても自由になった気がした。

上記熱量で分かってもらえると思うが、この時から私はシーモネーター&DJ TAKI-SHITとその周りの名古屋HIP HOP文化にどハマりしていくのであった。

高校2年の春の出来事。


ハタノ









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