人生を変えたバイト_たくさんの音楽とハイパーお立ち台編

念願のアルバイトで入店した、オゾン・スパイラル。

以前のいくつかの記事で書いたが、元々シーモネーターのファンで、シーモネーターが主催していたイベントをやっていたクラブ、という認識だけで入店し、入店後にHIP HOPやR&Bだけのクラブではない、という事に気づいた。

5Fにあるオゾンは主にトランス、サイケ、パラパラだった。私はパラパラは高校時代に踊っていたので少し分かれど、トランスやサイケは一切分からなかったし、聴いた事がなかった。

その当時トランスでよくかかっていたのは、分かりやすいところでいえばOriental Space(通称:オリスペ)「SCORPION」「LAST ECSTASY」、SONIC-R「CRAFT BACK」、DJ TORA&R-seq「TOKYO RAVE」だ。この曲を聞くと、ドリンクを作らねば、補充せねば、フロアを回らねば!!と、今でも思う。

何なら色んな思い出も思い出して、吐き気すらしてくる。実際、最初の頃営業中、聴きなれないトランスを爆音で聴き続けた事で恐らく身体がびっくりして、トイレでこっそり吐いた事もあった。

ARPEGGIO「LOVE SUNSHINE」がかかると、閉店時によくかかっていた曲なので、聴くと今でも閉店作業をせねばと思う。

トランスに関してはこのアルバイト中に聴きすぎて、今でも耳にすると一番集中できる音楽だし、一番仕事が捗る。頭が冴えるのだ。私は、トランスによって自動的に無意識に機能的に動く身体になっている。洗脳に近い。


サイケもトランスの一種だが、火曜と土曜は上記のようなPOPなトランスで、木曜日がサイケの日と分かれていた。

サイケではよくかかっていたのは、SKAZIだ。私はPOPなトランスよりハードトランスやサイケの方が好きだったので、SKAZIは大好きになった。SKAZIの有名曲といえば、「Hit&Run」「Move Away」辺りは鉄板だ。「Hit&Run」については、酒井法子さんがカラフルなブレード頭でクラブでDJしていた衝撃映像時にかけていた曲で、店内にはギャルやギャル男という括りではないレイバー客がたくさんいた。

金曜日は週替わりのイベントがやっていたが、中でも一番思い出深いのが、3ヶ月に1回ほど開催されていた、ジュリアナ時代のようなディスコ仕様のイベントだった。

トランスの日は基本的に女の子が登って踊れるお立ち台をフロアの左右に2台ずつ作っていた。お立ち台は基本的にでかい箱なので、それを常時大量に置いて置く場所などなく、また必要のないイベントもあったので大体毎度バラして仕舞っていた。

このディスコ仕様のイベントの際は、左右2台ずつのお立ち台とは違った。その名も”ハイパーお立ち台”なるものを作らねばならなかった。

ハイパーお立ち台とは、ステージの1段下に1つ、ステージ上に1つ、その後ろに2つ重ねた形でお立ち台を設置して、ひな壇のような段々にしたお立ち台の事だ。

私はサイケが好きで木曜に入っている事が多かったので、次の日に必要なハイパーお立ち台を作るのを手伝う事が多かった。フロアのお立ち台とハイパーお立ち台を作らねばならなかったので、男性スタッフだけでは間に合わない時に女性スタッフも駆り出されたのだ。人生でお立ち台を作る経験なんて、なかなかないので、貴重な経験だった。とはいえ、でかいドライバーとか使ったりできないので、板を多少運んだり支えたりする事くらいだったけれど。

ディスコ仕様イベントの際も出勤したが、汗水垂らして作ったハイパーお立ち台にお姉様方が登って、いつの時代かと思う羽扇子を振り回すと、世にも艶やかな雛飾りのようだった。見た事のなかったカルチャーに、私は感動すら覚えた。今でもあの艶やかで奇妙な光景は忘れないし、観られた経験を貴重に思う。


6Fのスパイラルは、HIP HOP、R&B、HOUSE、RAGGAE、TECHNOだった。

その頃はNELLY、R KELLY、Mary J. Blige、The Black Eyed Peas、J-LO、Destiny Child、Rihannaなどがかかっていた。元々家でもブラックミュージックしかかからない家庭に育ち、ダンスを習っていた私は、どれもこれも大好きだった。

「Dilemma」なんて聴きすぎて、オゾンの吐いた思い出とは別で、プライベートの思い出まで蘇ってきて、別の意味で吐きそうだ。Rihannaもデビューしたてで、デビュー曲の「Pon de Replay」は耳タコだし、Mary J. Blige「Real Love」も、営業中に別のDJがそれぞれ何回もかけるので、こびりつくほど聴いた。

RAGGAEはそんなに知らなかったので、ダンスホールレゲエのエレファント・マンやビーニ・マンなどは店で知って勉強になった。「Pon De River Pon De Bank」や、「Willie Bounce」のヘビーローテションはもちろんだし、クラシックレゲエのBob Marleyもたくさん聴いた。音楽を聴きながら、同僚と一緒にウィリボンスダンスをバーの中で踊りながら働いた。

HOUSEは、キレキレHOUSEというより、おシャレJ HOUSEが流行っていたので、DAISHI DANCE、元気ロケッツ、DJ KAWASAKIなどがよくかかっていた。TECHNOは、どのアーティストという風に思い出せないけど、単調でソリッドな四つ打ちが癖になって、サイケやハードトランスと並んで好きなジャンルだった。


スパイラルの方の記憶が少し薄く、というのも私は当初希望したスパイラルに配置されず、トランスとギャルにまみれたオゾンに配置されたのだ。基本的にオゾンの方が格段に広く、人員も多く必要だった。

シーモネーターの知識だけでアルバイト入社したが、結果全く関係ないチャラ箱で働きはじめる事になったのだった。しかも、その頃シーモネーターは主催イベントを別のクラブで行うようになっていた。

特に調べもせず強烈な世界に飛び込んだわけだが、今となっては柔軟な若い時に自分の物差しだけで音楽を選り好みをできない環境に身を置いた事で、たくさんの音楽の知識を得られた事は、自分にとって本当に素晴らしい財産だと思っている。


ハタノ








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