人生で初めてのライブ_「着ぐるみ怖い」を越えて

今回は人生で初めて行ったライブの話をしたいと思う。

それは、みなさんご存知のフジテレビ系列の幼児向け番組「ひらけ!ポンキッキ」の公演だった。

ライブとは言わないのかもしれないが、開かれた場所ではなくどこかの箱に向かい、席があり、歌があって、舞台があるという概念で、初ライブとしたい。

リンクをした先のWikipediaで見てもらえると分かるが、五社英雄さんがチーフプロデューサーに、声優陣も田中真弓さん・大谷育江さんと豪華だ。使用されていた音楽もとても良質だった。

自分が少し大きくなった1994年くらいから「ポンキッキーズ」となり、シスターラビッツとして安室奈美恵さん・鈴木蘭々さんが、そしてピエール瀧さんも出演していて、少し大きいながらもセンスの良さに惹かれて観ていたし、CG合成アイコンなども斬新だったし、OP曲の森高千里さん「ロックン・オムレツ」や、ED曲の山下達郎さん「パレード」も忘れられない。

少し話はずれるが、フジテレビで同時期にやっていた幼児向け番組「ウゴウゴルーガ」の同じスタッフが関わっていて今放送されている番組が「じゃじゃじゃじゃ〜ん!」だ。安田顕さんや、お笑い芸人の方が声優をやっていて、映像演出も斬新なので、是非観てみて欲しい。

TVer「じゃじゃじゃじゃ〜ん!


話を戻して、私はガチャピンが大好きだった。ガチャピンのぬいぐるみをいつも持って行動していた。開ききらない垂れた目、淡い黄緑、ほわほわ喋る喋り方。可愛くて大好きだった。

ムックは毛むくじゃらで目が飛び出しているし、ちょっと怖かった。

ちなみにライブではないが、もう少し幼い頃にディズニーランドにも連れて行ってもらった事があり、絶叫も怖いし、何より着ぐるみも怖くて苦手で、全く楽しめず、ただただシンデレラ城を眺めるに至り、親からも呆れられた事があった。

今でも着ぐるみが怖い事に変わりはないが、ただ怖がっているわけではなく、私にも確固たる理由があった。今でこそこうして理由を話せるが、その当時は言葉にできるわけもなく、親から半ば呆れられ怒られた。

なぜそんなに冷めていたかは分からないが、被り物をした奥に人間がいる事は、幼いながらに分かっていた。表情の見えない人間に、無邪気に近づけるものか、と思っていた。周りの子ども達は皆一様に「ミッキー!」「ミニーちゃーん!!」と狂喜乱舞している。私にはその行動の方が疑問だった。何故そんなに頭のネジを外せるのか、あれは人間だろうが、夢の国ではないだろう、偶像だ、と恐らく3〜4歳の頃に、そう思っていた。可愛くない子どもである。

そんな私だったので、着ぐるみの最たるガチャピンに会いに行っても怖がらないか?と何度も確認されつつも、毎日ガチャピンを握りしめる私を見て、そんなに好きならとチケットを取ってもらい「ひらけ!ポンキッキ」のライブに行かせてもらう事になった。

その時はまだ末の妹は生まれていなかったので、父・母・私・真ん中の妹と4人で会場に向かった。

会場に着くと、飛び込んできたのは物販ブース。ガチャピンのグッズがいっぱい。天国だ。私は席に向かう事もないまま、開演までほぼ物販ブースにいた。開演間近で席に連れ戻されても、何を買ってもらおうかと考えていた。

そして暗転・開演した。ステージがライトに照らされ、いつもテレビで見ている出演者やガチャピン・ムックが登場した。

私は生で見るステージというものに、そして夢のような光景に、先ほどまで考えていた物販の事は忘れ、感動していた。持ってきたガチャピンをぎゅっと握りしめて、ステージに釘付けになっていた。いつも聴いている音楽・いつも見ているテレビの中のキャラクターや人達、キラキラした照明や聴いた事のない大きなボリュームの音の中で舞い踊るダンス。テレビの中に紛れ込んだようだった。すごい、すごいと感動していた。

私は、公演中ずっと座ったまま持ってきたガチャピンを握りしめたまま、ステージを凝視していた。出演者や演出の、特にガチャピンの一挙手一投足を見逃したくなかった。自分の脳みその記憶媒体に埋め込まんとばかりに凝視した。

帰りには、少し怖かったけどガチャピンとも握手してもらい、ガチャピンのポシェットか何かを買ってもらって、帰路についた。本当に楽しかったし、嬉しかったし、興奮していた。

ただ、親から見たら、全くそうではなかったらしい。周りの子どもたちは、立ち上がって踊ったり一緒に歌ったりしていたのに、一切そういった事をせず、口を真一文字に結んでじっとしている娘を見て、せっかく連れてきたのに全く楽しんでいないと思ったようだ。

帰りの車の中で、「せっかく連れてきたのに、全然楽しそうじゃない」「連れてきて損した」と言われた。

私は悲しかった。本当に楽しかったのに、嬉しかったのに伝わらなかった。私が表情や行動に出さず、心や身体の中でヒシヒシと感じていた興奮は、当たり前だが親に伝わらず、親を悲しませてしまった事が悲しかった。

私にはそれを弁明できるほどの言葉力がなかった。

もしかしたら、以前の記事で父母の不仲を見ておちょけ始めたと言っていたが、この頃からより大袈裟におちょけるようになったのかもしれない。より大袈裟におちょけないと伝わらないと思ったから。

これが私の初ライブ。人生で経験した事のない興奮と、伝わらない悲しさを一緒に経験した思い出。


その後、舞台という物で初めて行ったのは小学校3年生の頃で、今でも大好きな吉本新喜劇だ。東海地区では関西同様、土曜のお昼は決まって吉本新喜劇がテレビでやっていた。内場勝則さん・未知やすえさんが大好きだった(今でも大好き)。桑原和夫さん・チャーリー浜さん・島木譲二さん・石田靖さんを目の前で見られて、興奮もしたし大爆笑だった。

ライブというライブで初めて行ったのは小学校高学年の頃のMAXだ。しかも岐阜と愛知と2公演取って行った。前から10列目くらいの良い席で、大興奮だった!一挙手一投足逃さず見つつ、ライブの照明みたいなものを体験したのもここが初めてで、終わった後はドーパミンが溢れまくった。


そんな感じで小学生の頃にはライブを経験していたので、路上ライブに通うようになる事は難しい事ではなかった。

路上ライブに通っている時は、仲良くなったお姉さんに連れられて、GOING STEADYMONGOL 800のライブによく通っていた。ダイブとかモッシュを初めて見た時はびっくりした。毎回ライブではギター1本ぶっ壊してて、ギター代どうなっとんねん、とロックの概念に疑問を抱いていた。こういったライブでの定位置は、モッシュやダイブなどには参加せずライブもじっくり見られるので、後方の柵によじ登って腰をかけていた(今みたいにモッシュやダイブも禁止じゃないし、柵に登っていても怒られない時代)。ステージからだけじゃなくて、フロアからも湧き出る熱量を見るのが好きだった。

初めて大きな会場でライブを見たのもGREEN DAY・ゴイステ・モンパチの3マン@名古屋ドームだった。それまでホールくらいしか行った事がなかった私にはドームは広すぎてわけがわからなかった。背も小さいので、ほとんどライブも見えなかった気もするし、いつも回避していたダイブを下も上も経験した。客席から出る熱量とライブの熱量がドームの高い天井に沿って、ぐるぐるしていた。


何やかんやあれど、昔からライブや舞台公演を観させてもらえる・行かせてもらえる事を止められなかった環境で感謝しているし、この歴史がなかったら、今の私はないなぁ、と書いてみて改めて感じた。

言わずもがな、今の私もライブや舞台公演に行く事が大好きだ。今は自分が感じた事を言葉にする事もできるし、なるべくしたいと思っている。


ハタノ







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