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自己紹介

幼少期から就職するまで

1979年、ひつじ年。
兵庫県川西市生まれ。男3人兄弟の次男坊。

昆虫採集と図書館とファミリーコンピューターに没頭した生活を送る。

小学校5年生のとき、中学校に進学した兄が持って帰ってきた理科の便覧に「元素の周期表」が載っているのを見つけて、計り知れない衝撃を受ける。

この世の中の全ての物質が有限の元素の組み合わせでできている!?
それを全部学んだら、この世の全てのことが理解できるのでは?

中学生に上がり、図書室で偶然手に取った「ホーキング、宇宙を語る」を読んでさらなる衝撃を受ける。手も足も動かない一人の人間が、頭の中で、宇宙について考えた結果、ブラックホールの存在を予知するとか、人間の可能性すごすぎない?

科学者になろう。

でも、仮に自分に他者より優れた何かの才能があったとして、それを自分のためだけに使うのは、つまらないし、仮にそんな奴が周りにいたら、絶対に友達になりたくないなぁとも思った。
学校の成績がいい奴の中には、進学塾に通って、学校の行事とかには非協力的で、自分のテストの点数を上げることしかやらない人間が少なからずいて、そういう人種を心の底から嫌悪していた。
そういう種族よりも出来ないで文句を言うのはかっこ悪いから、ちゃんと結果も出しますけど、文化祭も全力でやりますよ、という人生を歩みたいと思った。

自分が得するために動くよりも、面白い何かを提案して、皆で分担して解決してくっていうのが、とても性に合っている。

そんな気持ちの延長線上で、中学生の時に、生徒会長に立候補し、なんとか当選を果たす。

目立ちたいとか、やってやろうとか、そういう利己的な気持ちはほとんどなかった。大したきっかけもなくて、直感でピンときたので、とりあえず、手を挙げてみてから詳しいことは考えるか、ということで、立候補してみたら、意外となんとかなった。北海道の奥尻島の地震被害への募金運動とか、色々と企画して皆でワイワイ進めていくのは性に合っていて、楽しかった。

高校生の時も、誰も生徒会に立候補しない風潮(そんな暇があるなら大学受験の勉強をした方が得だと言う空気)があったので、引き続き生徒会長をやることにした。当時、O157が流行して文化祭に飲食店を出してはいけない、と言われたのを、先生たちと協議を重ねてその場での調理はNGだが事前調理したものを販売するのはOK、という成果を勝ち取ったので、冷やしパインを大量生産して販売した。

大学受験は、ノーベル賞受賞者を多数排出している京都大学一択でしょ〜、ということで勉学に勤しむも、模試を受けるたびにD判定だのE判定だの、再考を促す結果しか出ない。現実は厳しい。

じゃあ勉強を頑張るしかないわけですが、いまいち気乗りしない、高校3年生、受験の夏。ゲームショップで買った中古の「エストポリス伝記Ⅱ」に激ハマりし、ゲームに没頭する。いにしえのダンジョン最下層の「ぬし」を倒すまで、この戦いから降りるわけにはいかない。

そんな自分を反省し、丸坊主にしたら、次の週に卒業アルバムの撮影があることを知る…。

秋以降は心を入れ替えてちゃんと勉強し、受験日の1週間前ぐらいになってようやく、過去問を解いてみたら合格点スレスレとれるようになり、無事に京都大学工学部物理工学科に入学を果たす。

「形而下にあるものは全てエネルギーで説明することができる」
大学1年生の授業で新宮教授の講義を聞いて「確かに!」と間に受けて、エネルギー科学専攻に進むことを決める。

2004年3月、京都大学大学院エネルギー科学研究科・修士課程修了(エネルギー変換科学専攻)。ひずみ勾配理論におけるスケール因子の研究。

大学院の試験を受けるついでに、記念受験で国家公務員試験を受けたことが縁となり、経済産業省に入省することになる。科学者になるんじゃなかったのか。

経済産業省時代

経済産業省での経歴
2004年4月 経済産業省入省、資源エネルギー庁 総合政策課 総括係
2005年6月 原子力安全・保安院 電力安全課 総括係長
2007年6月 経済産業政策局 産業再生課 総括係長(新規産業室併任)2009年6月 同課 課長補佐
2010年6月 製造産業局 自動車課 課長補佐(次世代技術・ITS室併任)
2012年6月 欧州連合日本政府代表部 二等書記官(在ベルギー王国日本大使館併任)(2013年より一等書記官)
2015年6月 内閣府宇宙戦略室 総括参事官補佐(内閣官房宇宙開発戦略本部事務局併任)(2016年より内閣府宇宙開発戦略推進事務局に改組)
2017年6月 経済産業政策局 産業資金課 総括補佐(新規産業室・企業会計室併任)

主な仕事(国家公務員編)

◇【発電設備の総点検】(2007年)
-10電力会社における316の法令違反に対する評価と再発防止策の作成


◇【ベンチャー企業の経営危機データベース】(2008年)
-インタビューにより収集した83社の失敗・トラブル事例をデータベース化し、公開

若かりし頃。


◇【資源生産性向上促進税制】(2009年)
-機器単位ではなく工場単位の省エネ&付加価値向上の設備投資減税(即時償却)を創設(以下のP12)

経済産業ジャーナル 2009年7•8月号「改正・産活法」

https://www.meti.go.jp/publication/data/newmeti_j/090708.pdf

若かりし頃2。

◇【産業構造ビジョン2010】(2010年)
-「これから日本は何で食べていくのか」「6重苦の解消」「一本足から八ヶ岳へ」

この時に色々な人の紹介でベンチャー企業を回りまくり、一番面白かった会社が「引きこもり人材によるゲームデバッグ専業企業、デジタルハーツ」。未発見のバグをサクッと見つけるエキスパート・デバッガー達に尊敬の念。創業者の宮澤栄一さんがとにかく圧倒的なキャラクター。

とはいえ、産業構造ビジョンのようなマクロな議論には、あまりにも尖りすぎている事例はうまくハマらない…。産業構造ビジョンは上手いことまとめた良いレポートだと自負していますが、世の中を変革するに至らないもどかしさを感じる。

個別の産業に入り込んでいくことの大切さを感じながら、個別の産業を所管する「原課」への異動。前任が既に設計して走り始めていた「エコカー補助金」の執行を託される。いやいや、めちゃくちゃ大変やん…。

◇【自動車リサイクル&エコカー補助金・減税】(2010-2012年)
-約9000億円の基金事業である自動車リサイクル制度の運用・改善
-約6000億円のエコカー補助金執行後、第二段となる3000億円の補助金制度を実施

特に1回目のエコカー補助金は2010年9月末に終了する予定で、ギリギリ足りるかなという推移でしたが、8月下旬から急激な駆け込み需要が発生し、9月8日に途中終了となる。メディア各社からは、需要予測が甘かったんじゃないかと責め立てられる。大変でした。

エコカー補助金はしょせん、需要の先食いであって、本質的には国内産業の空洞化に歯止めをかける本質的な政策ではありません。今後の自動車産業のさらなる発展を議論している中、2011.3.11を迎える。慌てて会議卓の下に隠れる。窓の外から見えた文部科学省のビルがグラグラ揺れていた。

これは大変なことになった…。

秘書課(人事を所管するセクション)から電話がかかってくる。「きみ、原子力安全・保安院にいたことあるよね?なんかあったら呼び出すから、そのつもりでいてね」

三連休、家でテレビを見ていたら、水蒸気爆発する福島第一原発。すぐにかかってきた電話。「いますぐ出勤して」。

◇【震災後の危機対応業務】(2011年3-4月)
-官邸地下オペレーションルームに緊急参集し、情報連携の取りまとめ
-原子力災害法に基づく食品の出荷規制への対応方針の策定

震災の緊急対応の任務をある程度、自分がいなくても回るように構築した上で、自動車課に戻って、震災後の自動車産業戦略の策定、車体課税の減免に奔走し、最終的にエコカー補助金の追加執行に結実する。中長期的な自動車産業の発展のためには減税こそが本質であり、ワンショットの補助金で財務省に誤魔化された失意は大きく、翌日はどうしても職場に足が向かず、欠勤して、スーツで高尾山に登りました…。山頂は気持ちよかった。

振り返ってみるとこれまでずっと国内産業政策ばっかりやっていたなぁと思い、ずっと「なんでも大丈夫です」としか書かなかった人事異動希望調書に初めて「国際的な仕事に携わりたい」という希望を書いてみたところ…。

んじゃ、ベルギーに赴任してきて〜

欧州連合との自由貿易交渉を始められるように、頑張ってきて〜という無茶振りをうける。FTAとかWTOとか、専門性が高すぎて英語を日本語にしても意味がわからないぞ…。

◇【在外公館勤務@ベルギー】(2012-2015年)
-貿易、知財、産業政策、CSRについて日欧の橋渡し
ー日EU・FTA(自由貿易交渉)
-要人来訪時の対応(皇后陛下、総理(2回)、経産大臣、外務大臣、経団連会長)

初めて経済産業省という組織から離れて、「外交官」として日本代表の重荷を背負い、慣れない英語を駆使して難易度の高い仕事を七転八倒したことは大きな財産になった。

意外と、なんとかなった。

赴任から3年後、帰国が決まっても、なんの仕事をするのか一向に教えてもらえない。3日前にぐらいに秘書課から言われたのは「次は宇宙だから」「え!日本に帰れないんですか!?」

そんなことはなくて、日本に帰って宇宙政策をやれっていうことだった。

◇【宇宙戦略】(2015-2017年)
-宇宙基本計画の工程表を初改訂(以後、毎年改訂のフォーマットを作る)ー民間宇宙ビジネスの道を開く「宇宙2法」を立法
-「宇宙産業ビジョン2030」策定

ー宇宙ビジネスコンテスト「S-Booster 2017」立ち上げ


宇宙ビジネスに関わる人を増やす活動。


ソニーとJAXAを引き合わせたことも。


-日EU衛星測位に関する協力取決め(MoU)締結


この辺で、霞ヶ関でやりたいことをやり尽くした感じもあり、ジムのランニングマシーンで走っている時にふと、レールに乗って走っていてもゴールに辿り着くことはなく、自ら道なき道を探索してキャリアを開拓しないといけないんじゃないか、という啓示を受ける。

とはいえ、海外赴任と内閣府出向が続いていて経産省から離れて久しいので、このまま辞めるのもなぁ、ということで、一旦経済産業省に帰任することにする。秘書課に、スタートアップ支援の部署に戻りたいというピンポイントの希望を出したら、聞いてもらうことができた。

◇【ベンチャー政策・産業金融政策】(2017-2018年)
-国際的な金融環境を踏まえた官民ファンドの在り方の見直し(リスクマネー研究会取りまとめ)


-ベンチャー政策の総合的なブランディング(J-Startup)


-経営者と投資家の建設的な対話に向けた手引き(価値協創ガイダンス)の活用推進

経済産業省はとてもエキサイティングな職場でしたが、「与えられたミッションをこなす」だけでは、新しい産業を作ることは永遠にできないんじゃないだろうか。

そんな中、2010年ごろにお会いして以来、付き合いのあったデジタルハーツ創業者の宮澤さんと議論する話の流れで、「じゃあ私がそっちに行って、引きこもり人材がサイバーセキュリティ領域で活躍する仕組みを作りますよ」という話になる。

なぜかその日は、晴れているのに雷鳴が轟く不思議な気象の日で「これは何か、運命的な流れがあるね。何がどうなるかわからないけど、まあ、やってみよう」という話になる。

ということで、経済産業省はとっても楽しい職場で居心地もよかったのですが、一度きりの人生、道なき道に突き進もう!ということで、退職を決意。

民間サラリーマン時代

◇2018年6月に経済産業省を退職し、7月から株式会社デジタルハーツホールディングスに入社。

周囲の同僚から、「何しに来たの?」という冷ややかな視線を感じつつ、まずはゲーム産業以外のクライアント獲得のために営業活動を行いつつ、引きこもり支援組織を行脚して、人材発掘。

ゲーマーはサイバーセキュリティに向いている、という仮説に基づき、「デジタルハーツ・サイバーブートキャンプ」の立ち上げに関わる。最初は集合研修スタイルでしたが、eラーニングコンテンツにして、色んな引きこもり支援組織や障がいがある人の就労移行支援機関に使ってもらうことで、異能人材を発掘する。4年間で約200人のキャリアシフト。引きこもり支援機関や就労移行支援機関経由で戦力化した人材も30名程度。

◇2019年10月、株式会社デジタルハーツプラスを設立し、代表取締役に就任。(2022年4月末に代表を交代し取締役就任)


障害を有しても得意なことで活躍できる組織を目指す。


ゲーム好きな子供がワクワクする社会を作りたい。


ゲーム好き人材を正義のハッカーに育成するプロジェクトを推進。


ゲーム依存を防ぎ適切にゲームを楽しむことを提唱。


これから引きこもりの逆襲が起きる。


ニューロダイバーシティは福祉政策の文脈ではなく、産業政策として語られるべきだ!


障害がある人でも働く選択肢を増やす。


障害者が活躍する社会を創ることは産業政策。


デジタルハーツグループでは、こんな感じでかなり自由度高く色んなことに取り組ませて頂きました。「風車の弥七」的なポジションで、ちゃんと会社に一定の利益をもたらしつつも、会社のリソースを社会課題解決のツールとして活用させてもらう。会社の外を渡り歩いて行政や福祉と繋げていく。これって国家公務員では成し得なかったパブリックな仕事なのではないかと、自負しています。

古巣である経済産業省の同僚とも、社会課題を解決するという共通項で結びつく限りにおいては、形式的な立場の違いを超えて一緒に議論することができる。経済産業省を退職したとはいえ、経済産業省的な仕事を続けていくことができる。これはもはや、経済産業省の概念が拡張しているのではないか。

さらにデジタルハーツの中でも、会社の中の枢要なメンバーとも深い関係を築けている今、突き詰めていくと、正規雇用サラリーマンの立場じゃなくても、同じことは出来るなぁと考えるように。デジタルハーツの概念も、拡張可能なものであるはず。

むしろ、「それって畑田の個人技ですね」と言っている間は、本当に障がい者活躍が会社の成長戦略の真ん中に据えられることはなく、いかに自分以外の人が自分と同じ考えに基づき同じ方向に推進してくれるかが重要。社外を歩き回るだけじゃなくて、社内の味方も増やしていかねば。

そして、宇宙ベンチャー創業へ

2022年1月、宇宙政策を担当していた時に知り合って以来、懇意にしてきたインキュベイトファンドの赤浦さんから突然電話がかかってきた。

「畑田さん!見つかりましたよ!」
「何か、探してましたっけ…」
「日本に宇宙産業を創るために一番大事な、有人宇宙輸送です!」

それから数ヶ月、色々な関係者と議論して、うーんやっぱり、難易度が高すぎて出来そうもないんじゃないか、と思い悩む日々が続く。

出来なさそうだからやらないっていうのは、ダサくない?

まあ、やってみれば、道は開けていくのではないだろうか…。悩んでいても仕方がないので、会社を設立して、仲間を探してみよう。

そんなわけで、その名もずばり「将来宇宙輸送システム株式会社」を設立するに至る。

宇宙開発は、人生を賭けるに値する仕事になるんじゃないかと勝手に思ってます。仲間、募集中です。

おまけ:その他の取組

株式会社ローンディール・メンター。


官民の有志会合「第ゼロセクター」メンター。


内閣府・準天頂衛星「みちびき」の利用を促進する「みちびきエバンジェリスト」。


株式会社ispace社外取締役。


株式会社アークエッジ・スペース社外取締役。福代CEOとは内閣府時代の同僚です。


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