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混沌を生きた先には

毎日のように聞こえてくるコロナ関連のニュースは、世の中に大きなうねりを起こしている。わたしたちの日常の在り方も、大きなうねりの中に飲み込まれながら、形を変えようとしている。

外出制限がかかっていない我が地元は、通常通り学校が始まっている。だけど、いつ休校するかわからないという理由で、授業のスピードがとにかく速いらしい。自分の頭でしっかり振り返らないと、身につかないだろうし、親御さんのサポートがないとできない生徒さんがいるかもしれない。親御さんだって不安だろう。

医療業界では、オンライン診療という言葉が飛び交っている。それにともない、わたしが勤務する保険薬局は薬をどのように届けるのか、決済はどうするのか、頭を悩ませている。外出制限の影響が物流に出たらどうしよう、と気を揉ませている。正直、コロナによって仕掛けられた社会実験に参加している気分だ。

常にこれでいいのかな?どうしようかな?と考え続ける日々。わたしにできることは、人々からこぼれて出る言葉、語りに耳を傾けつつ、自分と周囲の人々の命と日常を守ることだなと思っている。

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松村圭一郎さんの「はみだしの人類学」を読んだ。人文書は心を整えたいときに読むと良いなあと思う。松村さんの優しく語り掛けるような文章は、頭を冷やすのにちょうどよい。

本文中、イギリスの人類学者ティム・インゴルドの論考に触れていた。インゴルドは著書『ラインズ』の中で、「線」にはあらかじめ決まった始点と終点とを定規で結ぶような直線と、どこに行くか定まっていないフリーハンドの曲線との二種類があると言っている。松村さんは、線には直線と曲線の二つがあるのに、私たちは知らないうちに直線的な歩みをしてしまいがち。だからこそ、二つの歩み方があることを自覚できるかどうか。それが「よりよく生きる」ことに意味があるとインゴルドが考えている、と解釈していたのが興味深かった。

周囲の変化に身体を開き、その外側に広がる差異に満ちた世界と交わりながら、みずからが変化することを楽しむ。いきあたりばったりの歩みのなかで「わたし」に起きる変化を肯定的にとらえる。そういう姿勢は、まさにさまざまに異なる他者とともに生きる方法です。そして、それは変化がいっそう激しくなるこれからの時代にこそ必要とされるのだと思います。(101ページ)

直線的な歩みと曲線的な歩みがあることを自覚するには、ものごとを俯瞰して見ることができる心の余白も必要だと思う。アフターコロナと言えるようになったころの自分はどうしているのだろうか。不安と楽しみが入り混じっている。


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