見出し画像

ゴジラソン#1 ゴジラ

ゴジラ全作品(国内29+アニメ3+ハリウッド1+モンスターバース4作)をマラソン鑑賞しようのコーナー=ゴジラソン

完走する気のない新企画、頑張ってやってみましょうか。

ちなみに、僕の世界一好きなYoutuberのAVGNもやってます。

あと世界一好きなゲーム実況者も似たことをしてる


1.ゴジラ

いわゆる「初代」ゴジラ、原点にして頂点。見る意義しかないです。

まずこの映画はゴジラが怖いです。後年ありがちな「ヒーロー怪獣」では無い。

そうなった背景としては、1954年という時代にヒントがあって、核実験の脅威を伝えるための映画なんですよ。
終戦、そしてビキニ環礁での核実験が始まって10年弱。映画公開の翌年には広島で第1回原水爆禁止世界大会が開催された、という時代のヒリヒリ感は確かにある。というか関係者全員戦争経験者だから。
一方、「キングコング」だったり、前年公開の「原始怪獣現わる」だったり、怪獣というコンテンツの訴求力。
あとは、戦後特有のエネルギーね。

例えば、生態調査によって「ジュラ紀の生物」が「水爆実験」の影響でああなったことがわかるんだけど、それを国会で報告するんですよね。そりゃあまあ国家の危機なんだけど。
だけれども、この頃は当然Gフォースがいないし、怪獣退治なんてしたことない。から、政治家や学者が大真面目に議論するんですよ。かしこまった言葉で。

つまり彼らの至上命題は、未確認生物の侵攻をどう食い止めるか。当時の政治的リアリティの追求と、現実的なゴジラとの対峙の仕方ってその後の84年版やシンと類似していましてね。
例えば芝浦沖に設置された鉄条網と防衛ラインを突破して銀座等々ぶち壊すあたりは、完全にのちのシンゴジラのあそこ(内閣総辞職ビーム)だし。
ただまあうがった見方をすると、太平洋戦争の反省でもって新しく憲法作って国の体制も変えたんだけど、それでも「強い敵」にはかないっこないんだっていうことだよね。無力感なのか危機感なのかはわからないけど。

ネタバレだけど、似てるって言った84年版は冷戦中だから核兵器には「無くすべき」って念より国の威信とか覇権争いみたいなのが乗っかっちゃう。だしシンの頃は冷戦終わって形上は真っ二つに割れてない分、核兵器というものをどう捉えるかってことが問われ、認識の違いが対応の違いに出ちゃっている。そういう違いはありますよね。ダイバーシティ



また、作中の例外的なフィクション要素として、ゴジラを抹殺する「オキシジェンデストロイヤー」なる兵器が登場していて、これの開発者である芹沢、彼のドラマも存在しています。
まあ辛いですよ。戦争でも痛い目見て、恋愛もうまくいかなくて。そして自分の研究成果は殺戮兵器でさあ。
つまり、あれだけの被害を出したゴジラ(核)を超えるレベルの強大な力を生み出してしまったっていう苦悩なんですよ。だからこそ最後ああなるんですけど。

…のちにマジでゴジラをタオルレベルの怪獣が誕生するきっかけにもなったりなどしますが。芹沢報われねえよ


というわけでこっからゴジラの歴史が始まるわけですよ。多数のシリーズ作品の大本、これの続編扱いが異常に存在します。要するに、後年なかったことにされる作品が多い。

見なくていい理由が唯一あるとすれば、これが最高すぎて向こう2〜30年分くらいは見てるとしんどくなっていくことですかね。無かったことになってっから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?