6歳だった夏休み、祖母とトランスフォーマーとマジックアワー、千と千尋の神隠し
1、散歩
6歳の夏休み。太陽が横から照りつける午後3時。
僕は、祖母とテクテク散歩していた。
両親が共働きの僕は、週に3日ほど、祖父母の家に預けられていた。
普段は一緒に本を読んだりテレビを観たりしていたのだが、この日は「後でいいものを見せてあげるから、その前に散歩しようね」と誘われ、近所を歩くことになったのだ。
散歩の最中は、僕の独壇場だった。
背の順で2人抜かした、学校で歌ったKiroroの「Best Friend」って歌が好き、こんな歌だよ、歌うから聞いて、夏休み明けの体育の授業はサッカーだから楽しみ…
ふわふわと相槌を打ちながら、孫の取り留めもない話と歌を聞いていた祖母は、孫が話し疲れた頃合いを見計らい、やんわりと尋ねた。
「そういえば、何か欲しいものはあるかい?」
僕は即答した。
「うん!トランスフォーマーのおもちゃが欲しい!」
「とらん…? うんうん、それはどこに売ってるんだろうねえ?」
「駅前のおもちゃ屋さん!一番安いのはNってお店だよ!」
「じゃあ、今から一緒に買いに行こうか。おばあちゃんはそのおもちゃをよく知らないから、ついてきてね。」
ええ〜こんなに暑いのに?
少し不満だった。僕は暑いのが大嫌いな子供で、この日もエアコンの効いた部屋で本を読んでいたかったくらいだ。それが、今いる場所から2キロ近く離れた駅に行くなんて。
僕は祖母が大好きだったが、祖母の散歩好きには悩まされていた。春や秋ならまだしも、真夏も真冬も散歩に連れ出されるのだから、たまったものじゃない。
それでも散歩をしている時の祖母は本当に楽しそうで、「歩こう 歩こう わたしは元気〜♪」と歌いながら歩く背中を、いつも元気に追いかけていた。
(ちなみに、僕も今では大の散歩好きだ。毎週、目的がなくても、追いかける背中がなくても、往復20キロほどを平気で散歩する。真夏でも、真冬でも。きっとこれは祖母からの遺伝だろう)
僕はこの日も、2キロ離れたおもちゃ屋まで歩くことにした。
2、駅前
当時まだ祖母は60代で、スタスタと元気に歩いていた。運動神経自慢の僕も、高齢者に負けてたまるかと平静を装いつつ必死に付いて行った。
大勢の人でワイワイ賑わうデパート、ちびっ子がキャーキャーはしゃぐ駅前の小さなテーマパーク、主婦が立ち話に花を咲かせる八百屋、若者が物憂げな顔でタバコをふかす噴水広場…
15年後には全て消えてしまう光景を横目に、僕たちはおもちゃ屋のNに直行した。
Nに行くことを決めてから30分後、無事Nに到着した。
Nに着いた途端、僕は階段を駆け上がった。普段はなんてことない階段が、やけに長く感じられた。「こらこら、迷子になっちゃうわよ」とボヤきながら付いてきた祖母に、必死に品名を伝えた。
しかし、やはりトランスフォーマーという言葉を聞き取ってもらえなかった。僕の発音も悪かったのだろう。
困り果てた祖母は、店員の若い女性に助けを求めた。しかしながら、品名があやふやな上に、アルバイトの彼女は店の配置をよく理解していないようで、3人でウロウロと右往左往する羽目になった。
10分ほど経ち、ようやくお目当のおもちゃを見つけた頃には、僕は疲れ切っていた。なんで大人はこんなにカッコいいおもちゃをなかなか見つけられないんだと、少し不満でもあった。今思えば、実に幼稚な子供だった。
それでも、目はキラキラと輝いていたのだろう。大事そうにおもちゃを抱える僕を、祖母と店員は嬉しそうに眺めていた。
3、帰路
徐々に陽が落ち始めた帰り道、太陽と対照的に、おもちゃを手に入した興奮が徐々に高まってきた。
黙っていたら興奮で破裂してしまいそうな気がして、僕は「このおもちゃがアニメ内でいかに強いのか」「このおもちゃがいかに精巧に作られているのか」「このおもちゃの何に惹かれたのか」などを、祖母が律儀に聞いてくれるのをいいことに、語り続けた。
しかし、途中で祖母が珍しく話を遮った。
「疲れたから、少し休もうか。いい場所があるんだよ」
そう言って、僕の手を優しく引き、左に曲がった。家の200メートルほど手前を左に曲がると、大きな駐車場がある。存在は知っていたが、立ち入ったことがなかったので少し怖かった。
しかし、奥へ奥へと進み柵にぶつかり、驚嘆した。なんとそこからは、街の景色を一望できたのだ。
まず、この駐車場が意外にも高い土地にあることに驚いた。僕たちは知らず知らずのうちに坂を登っていたらしい。
次に、普段は無味乾燥なマンションや車が、夕陽に照らされ金色に光り輝く光景に感動した。時間帯的におそらくあれは、夕陽が最も美しく見える「マジックアワー」だったのだろう。アニメやドラマのワンシーンのようにロマンティックな光景が、眼前に広がっていた。
生まれ育った街の美しさを、初めて知った瞬間だった。
いいものを見せてあげるって、このことだったのか。さすがおばあちゃん。いろいろ知ってるんだなー。
大好きな祖母が、尊敬の対象になった。
祖母と僕は15分ほど、柵にもたれかかって金色の街を眺めていた。
4、映画
感慨に耽りながら、静かに家に帰った。おもちゃの話をしたら、あの景色を忘れてしまいそうな気がしたのだ。
それでも所詮はちびっ子である。帰宅してすぐさま、僕はおもちゃで遊びたくなった。靴を脱ぎ、手を洗い、玄関に置いてあるおもちゃの袋へと駆け出した。
その矢先だった。僕は、祖母が本当に見せたかった"いいもの"の正体を知った。
「それじゃあ、映画を一緒に観ようか」
そう言って祖母は、一枚のDVDを持ってきた。
「千と千尋の神隠し」
名前だけは知っていた。なにせ、日本で最もヒットした映画だ。当時もかなりの話題になっており、僕も学校でなんとなく「せんとちひろなんて変な名前だよなー」などと友達と話した覚えがある。
早くおもちゃで遊びたかったが、おもちゃを買ってもらった上に絶景まで見せてもらった以上、断るのは悪い。子供ながら無意識にそう感じたのだろう。僕はおもちゃを横に置き、すんなりと祖母の隣に腰を下ろしていた。
さて、肝心の内容はというと、ほとんど覚えていなかった。高校生になってから見返して
「こんな映画だったのか」
と驚いたくらいには、ろくに覚えていなかった。
理由はただ一つ。序盤に千尋の両親が豚になってしまうシーンがあまりに強烈で、その衝撃が記憶の大半を占拠してしまったからだ。
今になって見返せば、SFやファンタジーにはよくある展開である。しかし、当時は怖くてショックで仕方なかった。小学生だったので、泣くことはなかった。しかし、口をポカーンと開けたまま、微動だに出来なかった。
両親が豚になってしまうだけでも十二分にショッキングだが、豚になった当の本人たちがそのことに何ら抵抗せず、ひたすらに食事をむさぼっているのも怖かった。まだ6歳の少年には、あまりに残酷な映像だった。
結局、頭に残っていたのはそのシーンとカオナシくらいだった。ハクも湯婆婆もほとんど記憶になかったし、終盤の幻想的なシーンは1ミリたりとも覚えていなかった。
6歳の少年に一生モノのトラウマを植え付けて、「千と千尋の神隠し」は終了した。この映画の質の高さに気づけるのは、高校生になって再び見返したからのことだ。
一生モノとは、誇張ではない。このトラウマを含む記憶は、夏休みが来るたびに僕の脳裏に蘇るのだから。きっと、このまま生涯忘れられないと思う。
それなのに。
夕陽の差し込む祖母の部屋で、祖母と一緒に映画を観たあの時間は、「幸福な時間」のファイルに保存されている。
そして「千と千尋の神隠し」は、あの日から今に至るまでずっと、僕の最も好きなジブリ作品である。
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