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【東大】学費値上げ問題の所在はどこか

東大で10万円の学費値上げが検討されているという報道からしばらく経った。学生からの反発を受けてか、6月21日(金)にはZoomウェビナーによる「総長対話」が実施されるという。

東大が学費値上げを検討している、という情報を受けて学内外からはさまざまな意見が飛び交った。それを見ていて、この学費値上げのどんなところが問題なのか、その本質の部分はどこにあるのかと疑問に思った。

学費値上げ賛成派からは、「大学側も経営が大変なのだからしょうがないでしょ」「東大の学生の出身家庭はたいてい裕福なのだから学費値上げしてもよいでしょ」、というような言説も耳にするが、学費値上げ問題の本質はそんなに単純なものだろうか。学費値上げをめぐる一連の動きには、もっと深いところに大きな問題があるのではないか。

そこで、このnoteでは学費値上げを巡る諸問題について、自分なりに整理してみたい。
ただ、もちろんここで整理することは一学生の個人の見方なので偏見や誤りを含みうる。あくまでも参考程度に考えて頂きたい。

問題その① 「代表なくして課税なし」

東大は学生の声を聞かずにトップだけの「密室」で学費値上げの決定を急いでいる。決定プロセスを不透明化して強行的に学費値上げに踏み切ろうとしているのだ。しかも、予定されている「総長対話」は東大が教養学部学生自治会宛に発した回答書の中で「交渉の場ではない」とわざわざ強調されており、実質は対話の開催を責任逃れに利用するための見せかけの「対話」に過ぎない。
というのも、総長対話が開催されるよりも前に(総長対話の直前に)学費値上げは経営協議会ですでに決定されるスケジュールであり、総長対話の内容は学費値上げ可否に何ら影響をもたらさないと目されているのだ。学生の声を反映する気がないのに「対話」を標榜するのは不誠実極まりない。

こうして、学生の声を黙殺して学費値上げを強行する東大トップの態度は決して看過できるものではない。学生が「代表なくして課税なし」というのはまさにこうした東大の踏んでいるプロセスに対する憤りを的確に表していると言えよう。


問題その② 「学費値上げの前にD&Iを」

学費値上げは家庭の経済状況を背景とした学生間の進学機会の格差を拡大させ、東大が推進しようとしているD&I(Diversity & Inclusion;多様性と包摂)の精神に反する。東大の女子率が異常に低いのは有名な話だが、学費値上げが現実になってしまった場合、進学機会が狭められてしまうのは、現時点ですでに障壁を抱えている地方出身者や女子学生である。D&Iの推進により女子率の改善などを目指していた東大が、学費値上げに踏み切るというのはいささか矛盾した話なのである。

当の東大は、学費値上げとともに「授業料免除の拡充や奨学金の充実などの支援策」についても検討しているとしてD&Iの側面を強調しようとしている。

また、巷でも「学費減免措置があるなら学費値上げされてもいいのでは」という声があるが、学費減免措置があるからといって我々は学費値上げに頷いてしまってはならない。なぜなら、今回、学生がその議論に参画できていないという点においてD&Iの実現は全くもって不十分だからだ。D&Iの推進というものは、当事者の声を聞かなければ実現できないはずだ。東大は今年、D&I推進の一環として「東京大学における 性的指向と性自認の多様性に関する 学生のための行動ガイドライン」なるものを制定したが、この制定の際には学内の意見公募を行うなど学生当事者の声を聞く姿勢を(一応)とっていた。しかし今回の学費値上げについて、東大は当事者たる学生の声を形式上でも聞いてきたと言えるだろうか。当事者の声を聞いていないD&Iなど全くインクルーシブではない。
概観すれば、結局、このD&Iをめぐる矛盾も「問題その①『代表なくして課税なし』」の部分に起因している。今回の学費値上げの問題は、単純に学費を上げてくれるなという点を差し置いても、そのプロセスをめぐる政治性に大きな問題を孕んでいるのだ。


問題③ 東大が生み出している情報の非対称性

学費値上げをめぐるさまざまな意見が飛び交う中、6月10日に東大は公式HPに「授業料の値上げに関する報道について」というプレスリリースをアップした。

この声明は、学生に対し、抑圧的であり、暴力的である。この声明が孕む問題点はXにおける次のポストでも指摘されているが、私は特に情報の非対称性という問題を指摘しておきたい。

学費値上げ反対緊急アクション(@no_raise_ut)
https://twitter.com/no_raise_ut/status/1800449060442345877

プレスリリース本文の冒頭部には次のようにある。「すでに『決定』されたかのような不正確な情報もありますので、本学での検討状況について、あらためてお伝えしたいと思います。」
この一文は「学費値上げ反対派は正確でない情報をもとに騒いでいる」という文脈で成り立つ。これは学生と東大執行部との間に存在する情報の非対称性を利用し、反対派が「不正確な情報をもとに騒いでいるだけだ」とする印象操作ではないか。
そもそも、情報の非対称性を生み出しているのはほかでもない東大の側であり、それを利用して学生の運動がまるで錯誤に基づいた感情的な(非論理的な)ものであるように見せかけるのは強者の弱者に対する言葉の暴力である。断じて許されたものではない。
先にあげたポストも「なにより、不正確な憶測が生まれるのは、東大が情報をほとんど開示していないからです。」と指摘しているが、まさにその通りである。


問題その④ 国策の過ち

ここで一旦東大の個別的な話から離れる。少し規模の大きな話になるが、現状、国立大学は、国からなかなかお金が貰えない、もしくは国のいいなりにならないとお金が貰えない状況がある。運営費交付金の削減に国立大学法人法改正と、国立大学の財政状況は追い詰められ、学問の自由・自立は危機的な状況に立たされている。その意味で、東大の学費値上げ検討が抱える社会背景的な事情は東大内に限ったものでは決してない。国立大の財務は多くの大学で「限界」を迎えているという。しかし、そのツケを学費値上げにより学生や学生の家庭に求めるというのは不適切であり、言語道断である。そしてそもそも、そんな状況に国立大を追い込んだ国策は明らかに誤っている。

ところで、実は2012年の民主党政権時代、国は「経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約」の第 13 条2(b)及び(c)の規定における権利留保を撤回しており、高等教育を「特に,無償教育の漸進的な導入により,能力に応じ,すべての者に対して均等に機会が与えられるものとする」ことを国際社会に約束している。

社会権規約の中等・高等教育無償化条項に係る留保撤回 ― 条約に付した留保を撤回する際の検討事項と課題 ― (外交防衛委員会調査室 中内康夫)
https://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2013pdf/20130201044.pdf

経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)第13条2(b)及び(c)の規定に係る留保の撤回(国連への通告)について (外務省)
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kiyaku/tuukoku_120911.html

つまり、本来、この規約に従うなら国は高等教育の漸進的無償化を目指すべきなのだ。しかし現実はそうなっておらず、上述の現実を鑑みればむしろ逆行している。そういった意味でも、値上げが必要な状況を作った国策は大いに間違っていると言える。


問題⑤ 運動を冷笑・傍観するひとたち

最後に、私は東大や国策だけでなく、今回の学費値上げをめぐる人々の態度の問題性も指摘しておきたい。具体的には、学費値上げ反対派を冷笑する界隈と、学費値上げ反対運動を無意味だと考えて諦めてしまっている東大の構成員の抱える問題である。
そもそも、誰かの活動や運動を「非現実的だ」「無意味だ」として批判・冷笑するのは間違っている。非現実的に見える思想も、それが「極」となり現実をそこに引き寄せる機能を果たしているのだとすれば、それは現実的な意味を持っているではないかと思うからだ。
例えば、極端な例だが、高等教育の即時無償化という非現実的な主張はさしあたり現実の学費値上げを食い止める力を持つかもしれない。今回だって同じことだ。学生を排除した空間での学費値上げの決定がこれだけ学生の反発を招くと示すことができれば、D&Iの推進は学生の参画なしにはできないはずだと訴えることができれば、今後あらゆる場面で大学の決定から学生が排除されていくという最悪のケースが発生することを防ぐことはできるかもしれない。もちろん、それらの可能性を「防げた」ということは潜在的なレベルでの話であり目には見えないのだが、また、傍から運動を見ていると運動の本来の目的が達成されなければその運動は無意味だったように見えてしまうかもしれないが、しかし、だからといって運動を簡単に諦めてしまってはならないと思うのだ。
「極」としての非現実性がもつ現実的な意味はもっと理解されるべきだ。運動を非現実的だとして冷笑する人や「騒いだところで現実は変わらない」と諦めているイエスマンにこそこのことをわかって欲しい。
たしかに、もしかすると、学費値上げ反対を私たちがいくら叫んでも学費は値上げされるのかもしれない。
しかし、その抑圧的で暴力的な決定プロセスをキャンパスの構成員として非難することは、今回の学費値上げ問題に留まらない、よりいっそう大きな意義を持ちうるのではないだろうか。



私は、東大の学費値上げをめぐる問題点を以上のように捉えている。拙文で情けないが、このnoteが少しでも多くの人に思考のきっかけを提供できていたら幸いである。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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