見出し画像

僕と私

上京して3年の月日が経とうとしていた。
あと一週間で4年生になってしまう。

私(わたくし)は…
私は…
私は…
私は…

世の中にはサークルの部長、副部長が多いなー
バイトリーダーや高校時代の部活のキャプテン、これらも多い。
みんなすげえなー。
僕は、
授業には全て出席。落単もしなかった。
サークルは演劇サークル。
演技は上手くならなかったが、裏方をメインに一部員として活動を楽しんだ。
バイトは塾講を3年間。人間関係にも恵まれて、時給も1,250円と何の不満もなかった。
でも、それくらい。

みんなと違って平坦な学生生活だった。
個性的なのは服くらい。
別に学生生活に不満はない。学びたいものを学べて良好な人間関係も気づくことができた。
ただ就活を迎えた今、自分をアピールできるほどのエピソードはないと感じていた。
他の人もそんなものなのかなと思ったが、就活の場でのみんなは凄かった。
周囲の人たちのみならず、授業を真面目に受けていなかった人でさえ凄かった。
面接となれば、
あんなに気に入っていた金髪も黒髪短髪にしてくるし、
普段使わない一人称“わたくし”を自分のものにしている。
長所を聞かれれば、聞かれてもいないエピソードまで話す。
短所を聞かれても、すぐに裏返して長所に変える。
志望理由も考えに考えて台本を作って暗記してくる。
みんなすげえなー。
僕より演劇向いてるんじゃないか?
役作りの為に髪型は変えるし、台詞も自分のものにできるし、脚本も書ける。
演劇サークルに所属していたのに演技のできない僕は、
会議室という名の舞台上で自分自身を馬鹿正直にさらけ出すことしかできなかった。
なんだかイケイケな社長のベンチャー企業から内定を頂いたが、説明会でも横文字が多くて何をしている会社か分からなかったので断ってしまった。
それから4年の秋まで続けた。
内定はその1社だけ。
最後まで僕は私を演じることができなかった。

ああ、僕はなんてダメなんだ。
僕は、就活を秋で切り上げ、卒業後は地元に帰ることにした。
別になにかあてがあるわけじゃない。でもいいんだ。
とにかく帰りたかった。

地元に帰ってすぐ、
僕は地元にいた頃から通っていた大衆食堂へ久しぶりに行くことにした。
「おっちゃん!久しぶり!いつものお願い」
子供の頃に食べたあの時と変わらず美味かった。スープまで飲み干した。
バナナの甘みとラーメンのしょっぱさがたまらない。

初めて食べたのはまだ小学生の頃。母親と一緒に来た時だった。
見たことのない組み合わせにワクワクが止まらなくて母の静止を振り切って注文した。
それがこの味との出会い。
自分の欲に素直に従ってよかった。ありがとう、あの時の自分。
僕の頼んだ“いつもの”は、もうメニューにはない。
気づいていた。
他の誰からも注文されず、メニューから無くなっていたことを。

それでもこの味は変わらず僕を幸せにしてくれた。

著:橋野航

------------------ー
Literature×Local作品展『ディグる』より
『僕と私』著:橋野航
Literature×Local作品展『ディグる』は
Instagram(08hassy16)にて公開中

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?