永禄12年(1569)4月14日は将軍足利義昭が再興された二条御所へ入った日。前年に信長の助力で上洛し将軍に就任した義昭は本圀寺を居所とした。しかし1月に警備の隙を狙った三好三人衆による本圀寺の変が起きた。このため信長は義昭の兄義輝の二条御所跡を拡張し防備の整った御所を造営した。
永禄9年(1566)2月17日は足利義輝の弟・覚慶が還俗し義秋と名乗った日。永禄の変で将軍である兄が殺害され覚慶は興福寺に幽閉。近江に脱出して還俗し義秋を名乗った。越前朝倉氏の庇護下で義昭と改名。信長と上洛して将軍に就任するも対立し追放された後に関白秀吉に臣従し将軍職を返上した。