今日は東京学芸大学「高等学校における日本語指導体制整備事業」というのに参加していたのですが、中身が中々に杜撰でとても大きなショックを受けています。参加者の発言も不正確というか、偏りがひどいというか、ああいった声の大きい人だけが全体意見として捉えられるのは困るような…
研究者が、学校の実践に意味づけをし、現場の努力を発信するのは意義深いとは思う。だけど、その素晴らしい実践の裏に犠牲になっている人はいないだろうか、研究者の価値観を推し進めるために現場を利用していないか、定期的に疑念が頭をもたげる。
日本語学習の制度を作って機会を保障することと、生徒の抱える問題を日本語の問題にすり替え、あるいは、帰結させ、制度を使って日本語を半ば強制的に学ばせようとしていることに、違和感を覚える。そんなに学校に縛り付けたい?教師の監視下に置きたい?自分が役に立っていると思いたい以外の理由で。