今朝の今井通子「私の履歴書」は、ダウラギリⅡ、Ⅲ、Ⅴの縦走の様子であり、今井さんは、隊長兼医師として、全体のまとめと把握と医療対応であり、大変、重要な役割を担っており、隊員30人をまとめるのは、不可能に近いミッションのように思えます。
今井さんの次の記事は、単なる推定ですが、チベット側からのエベレスト登攀ではないかと思い、計画では、高橋和之さん(ご主人)が、ネパール側南東稜から、今井さんが、チベット側北東稜からの同時登頂でしたが、高橋さんは、登頂、今井さんは、気象条件の悪化のため、あと400 m点で撤退。
今朝の今井通子「私の履歴書」は、最終回であるため、登山や自然に対する考え方やたどり着いた人生観(82歳)などを交え、仲間との共同認識に伴う共同作業的自然の楽しみを記しており、意外なまとめとも言えるし、予想どおりの展開とも言えます。
今朝の今井通子「私の履歴書」は、意外にも、隊長として計画したチベット側からのチョ・オユ―登攀についてであり、隊員五人、全員登頂、隊員の一人(今井さんの夫の高橋和之さん、登山家であり、パラグライダーの名手)は、頂上から、パラグライダーで降下、関係者をあ然とさせた出来事でした。
今井通子さんは、欧州三大北壁登頂という偉業をなし、その後の人生に、特別な扱いを受け、政府や都道府県市町村の委員会委員や名誉職に百数十も就いており、若い頃の偉業は、たったひとつでも、人生を大きく変えますが、今井さんの時代背景は、まだ、男社会であり、女性社会を切り拓く役割も担った。
今井通子さんの著書を読み感心することは、現実よりも良くも悪くも表現しない、本当に、正直な登山家で、稀な存在であり、大部分の登山家は、実際よりも大きく膨らませ、危険や危ない体験の自慢話をしますが、今井さんには、そのようなことは、まったくありませんでした。
今朝の「日経」の今井通子「私の履歴書」は、グリンデルワルトとアイガーについて、特に、アイガー北壁登攀の新ルートの考え方など、私は、グリンデルワルトとアイガーに、二回、ホテルの目の前にアイガーがそびえ(写真)、吹雪の中、2000 m高低差の北壁を見上げた、登れそうと感じたが。
今井通子さん(医師、登山家)は、「私の履歴書」で、医師としての専門や学会論文誌原著論文など、学術的なことについて、深い分析など、まったくなく、これまでの今井さんの著書にも、そのようなことは、記載されておらず、連載の最後の五回で、専門と人生について、語ってほしい。
今朝の今井通子「私の履歴書」は、大きな実績を背負った立場から、山岳界の発展のため、各界に働きかけ、より良い制度と人間関係を築き、社会に貢献する過程が描かれており、予想に近い内容になっています。
今朝の今井通子「私の履歴書」は、予想どおり、エべレスト登攀(冬季二回、チベット側から)について、気象条件が悪く、特に、強風のため、二回とも、あとわずかの標高で、撤退、しかし、登攀隊員には、良い経験となり、登山ガイドなど、国内外で活躍でき、確実に、人材が育っていると記す。
今朝の今井通子「私の履歴書」は、普通ならば、ダウラギリⅡ、Ⅲ、Ⅴの縦走・登頂の詳細、いきなり、両親の南極での事故死(1979年、南極遊覧ニュージーランド航空機墜落)に、つぎに、エベレスト登攀(1983年)であろうが、各回の内容が、何となく、尻切れトンボ的展開に、違和感を覚えます。
「日経」の文化欄「私の履歴書」の執筆者は、2月1日から、今井通子さん(元医師で登山家、女性で、世界初、マッターホルン北壁のロッククライミング登攀)で、私は、今井さんの著書で登山のイロハを学び、スイス登山の際、その著書を飛行機の中やホテルで読み、同じコースを辿り、同じ光景を見た。
(続き)記事には、高山病の肺浮腫とありますが、脳浮腫(脳に水が溜まり脳を圧迫)と言うのはありますが、肺浮腫とは言わず、肺水腫(肺に水が溜まり、水が多くなると死亡)と言うはず、(代表的高山病は肺水腫と脳浮腫)、昔は、そのように言っていたのか知りませんが、確認する必要があります。
今井通子さんは、マッターホルン北壁、アイガー北壁、グランドジョラス北壁と言う欧州三大北壁の登頂に成功した登山家ですが、私は、今井さんの著書を手に、同じ道をたどり、登山や雪山やロッククライミングやアイスクライミングを楽しみ、写真は、グリンデルワルトの宿泊ホテルから見たアイガー全景。