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5か月前

背中のカーブで老けて見える と日本スポーツ協会公認スポーツドクターでヨガ指導者の高尾美穂氏(先日の『キュレーターズ_マイスタイル×ユアスタイル』)。背中が丸いと肺が膨らまず呼吸が浅くなって自律神経も乱れるとか。タレントも背中のカーブまで気が回らない人が多い。気を付けないと。

私が私であるために必要な行為 と作曲を表現したのは、4人のバリトンで結成する「ハンサム四兄弟」の長男・宮本益光氏(先日の『ベストオブクラシック』)。仮に自信がなくても周囲が批判しようとも、私であるために必要と定義づければ迷わない。私が私と認めなければ生きる意味はないのだから。

パンダを想像しないで。 と目を閉じた人に言うと殆どパンダの姿を想像するから、保育では「走っちゃダメ」でなく「静かに歩いて」と言うと、てぃ先生(先月の『TIME AND TIDE』)。「正しい方法を根気強く言う」という考えに、ビジネス書の依頼も来るとか。その方がスッキリする。

「生きづらさ。」

この世で一番強いのは、水です。 中学時代のブルース・リーが不良に殴られた後で入門した香港武術の道場主・イップマンの言葉だ(先日の『yes!?明日への便り?』)。相手に合わせ姿を変えるのが真の武術と諭された。硬直せず拘泥せず柔軟に臨むのを良しとすれば、人生も水の如く、と言えるか。

「サボればサビる。」 「Beauty Body Protocol大人のための下着の教科書」に掲載の20世紀のオスカー女優、ヘレン・ヘイズのこの言葉を先日の「あったかタイム」で紹介。美容の教訓にしたのだろうが、習い事や健康法など継続が価値を生む物事に共通する助言ではないか。

93歳の駆け込み乗車。 を9年前に行って右肩骨折、膝にヒビが入ったというのは102歳の野見山暁治氏(先月の『日本経済新聞』朝刊)。「日本人はこのごろ年齢のことを言い過ぎではないですか」と言われれば、そうかと思う。93歳でまだ駆けられるように、また目標となる人物が現れた。

僕じゃない人の生活を送ってる。 若者のUターン率3割の鳥取県伯耆町(ほうきちょう)で、どぶろく醸造会社を承継した遠藤社長を杜氏として補佐する請川雄哉さんは「会社の価値でモノを売る」営業マン時代をこう振り返る(先月の『いいいじゅー!!』)。ここまで自分を信じられれば何でも挑める。

井戸を掘るなら水が湧くまで掘れ 全国の農村を立て直した成果を見た農商務次官に頼まれ開拓の指導を行った石川理紀之助が、宮崎県の村民に向けて言った言葉だ(先日の『yes!〜明日への便り〜』)。彼は奉公先のために始めた午前3時の起床も71年の生涯を通じ続けた。勝つまでやれば負けない。

無駄な時間を使いたくない。 とテレビを倍速視聴する若者の意識を代弁した「映画を早送りで観る人たち」の稲田豊史氏(先月の『週刊テレビ批評』)。「ググれば分かるのに引っ張り過ぎ」とクイズ番組への早大生の感想。「タイパ(タイムパフォーマンス)」を重視し過ぎるから失敗に弱いのでは?

「果物を食べない理由。」 を1位から順に「値段が高い」「日持ちしない」「皮むきが手間」「他の食べ物がある」と挙げた先月の「ワールドビジネスサテライト」。消費量が年々下がっているらしいが、賞味期限を管理しナイフを握ればいいじゃないか。私は毎朝、妻のために果物を切る(写真)。

「たのしみは。」 に始まり「~時」で結ぶ52首を詠んだ幕末の歌人・橘曙覧の連作「独楽吟(どくらくぎん)」を本日の「讀賣新聞」朝刊/編集手帳で紹介。昼寝から目覚めて見た濡れた草木で涼を運んだ雨を知る時など、日常のごくささやかなひと時に楽しみを見出す心こそ見習いたい。

「共同注意。」 とは心理学で「同じものに注意を向けさせること」と阿部公彦氏(『GINZA』5月号)。SNSは多くの人の「注意」に価値があり、立派かどうかは意味がないと斬った。現代社会は共同注意に重きを置くが“多くの人が注意”する対象にはむしろ冷静な眼をもちたい。

犀の角のようにただ独り歩め 「ブッダのことば」にあるこの一節を紹介した渋川清彦氏(先日の『ACROSS THE SKY』)。インドサイは群れでなく単独で行動する事から、その一本角は孤独を表す。「独り生まれ、独り死し」と説く仏教に照らせば、独りで生きねばならぬ人間への激励に似る。

「ごめんなさい。」 と火葬された母の遺骨を前に言った松尾スズキ氏(『GINZA』APRIL)。「八年、寝たきりだった。口も利けなかった」という関係がその一言に表れる。2か月近くリビングに遺骨を置き「眺めまわして、甘えたい」という気持ちも高齢の母がいる私はよく分かる。

「そのとき小学生でした。」 「2009年に入社した」と言うと、こう返す人がいると田中みな実氏(先日の『あったかタイム』)。「苦手でしたが好きになった」と言われたとも。「ふかわさんの全盛期、知らないんです」とスタッフに言われたのは、ふかわりょう氏。余計な事を人はなぜ言うのか。

「指に力が入っていない。」 と「ボソボソしゃべる」日本人を評した萩本欽一氏の言葉を小堺一機氏が紹介(先日の『TOKYO SPEAKEASY』)。夥しい平板読みもこれと同じか。指に力を入れ「私の言葉」という思いで言わず平板な音の羅列にして意味を薄めたい意識が背後にある気がする。

「愛しき人よ、安らかに。」 というタイトルで今年亡くなられた著名人を特集した「週刊文春」(12.23号)。1月に物故された方には今年、という実感がなく、この号の発売後に亡くなられた方も自ら命を絶った方もいる。人は自らの死さえ予想できず、私は祖父母と叔父叔母の冥福を毎朝祈る。

「変わらなきゃいけない。」 という決意を、地球社会の現況を受け多くの番組で聞くが一様にマーケティング的な対応やワークスタイルの見直しという側面で語られる。このまま開発が進めば再び地球はウイルス禍に陥るかもしれないのに「喉元過ぎれば」には早過ぎるし悠長過ぎる間違いなく世界は。

「死ぬこととは生きること。」 という、ある僧の言葉を倍賞千恵子氏が紹介(先日の『日本経済新聞』朝刊)。そして「死ぬ瞬間まで生きていて生と死は繋がっている」と気づく。なれば死ぬまで歩けて生きていられる健康を保ちたい、と思った。死に様にこそ生き様が出るだろうが不確かなまま生きる。

「人間を実験してるんだな。」 と名前も誕生日も知らず8歳でイランから来日し路上生活も経験したサヘル・ローズ氏(先日の『Sparkle Life』)。「人間ってとても優しいけど、とっても怖い」と感じつつ生きた人生を「実験」と表した。結果が未知数という意味も込めて誰の人生も実験だ。

「自分の弱さを認めるんだ!」 と調教師・緑川(中村蒼)は騎手・瑞穂(平手友梨奈)に叫ぶ(先週の『風の向こうへ駆け抜けろ』)。競馬学校の落馬体験から無意識に馬を怖れていると指摘し、同時に彼は自らの弱さを中央競馬への自意識過剰だと吐露する。弱さは克服できずとも認め続けるしかない。

「スターになりたい。」 と渡米した相方の綾部祐二氏を「映画でも出たら凄いうれしい」と見つめる又吉直樹氏(先日の『TOKYO SPEAKEASY』)。「ピース」は活動休止でなく「東京支部とニューヨーク支部で分かれて活動中」なのだとか。この突き抜けた強い夢の現在地を知りたい。

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俺はまだうまくなっているか。 と、すい臓がん手術の世界的権威で“最後の砦”と呼ばれる中尾昭公医師は自身に問う(先日の『プロフェッショナル 仕事の流儀』)。「これ以上はないと思ったらダメ」とも。次元は違うが私も文章技巧の上達を目指し続ける。でなければ日々の評価に耐えられないのだ。

「やさしい人は幸せよ。」 電車で自分が席を譲った高齢の婦人が下車する際にこう言ったと「MOTIVE!!」のリスナー投稿。その前には「お嫌じゃなければ」と黒飴をくれたとか。心温まる情景が浮かぶが、電車内でのふとした交流は印象に残る。私は「昨夜は何を食べましたか」と訊かれた。

「『、』は半呼吸だな。」 と中嶋朋子氏(先日の『Color of Life』)。「北の国から」の脚本の句読点で会話の間合いを学んだと述べた。「半呼吸」は彼女の感覚的な言葉だが少し間を空ける意か。対して語りのプロ達は点も意味も無視し言葉を単なる音の連結と捉えて早口で平板に語る。

怖い所にしか新しい世界はない。 と言ったのは山崎育三郎氏(先日の『SONGS』)。語学留学した米国の高校でいじめの標的になったとき、校内ダンスパーティのステージに意を決して立って踊った事で「Iku!」のコールと共に友として迎えられたとか。こう書いて何だが期待しかない挑戦もある。

僕は失敗という言葉を使いません 55年のペンシルロケットの実験後、「失敗の原因は?」と問われ“日本の宇宙開発の父”糸川英夫はこう返した(先日の『yes!~明日への便り』)。理由は成功の糧になるから。「間違った所にこそ成功のヒントがある」と教え子に消しゴムを禁じた徹底ぶり、強烈。 

「自分の靴を履かない。」 と日本人の発言に警鐘を鳴らしたブレイディみかこ氏(先日の『ニュースウオッチ9』)。社会や(その場の)空気の靴に合わせて履くと言う一方、意見の異なる相手を理解する意味で「他者の靴を履く」意識を提唱した。炎上の原因の一つはその意識が生まれぬ脳にある。

「オーケストラの実験。」 とは70年代まで女性の割合が5%だった米国のオーケストラで行われた性別を隠した採用方法(先日の『News Sapiens』)。演奏者と審査委員の間を幕で仕切ると女性比率が50%上昇した。私は異なる感覚を求め女性中心に採用したが、全ての偏見は空虚だ。

クリエイティブな仕事ですよね と訊いてくる人が苦手とマンボウやしろ氏(先日の『Skyrocket Company』)。「生きる事って全てクリエイティブ」と言うが、私も全く同じ事を言う。人はそれぞれの立場で職業で、効率化を美しさを楽しさを考えて生きる。その全てに創造性は宿るのだ。

「恋愛話ができる。」 タレントに明石家さんま・田村淳を挙げ、できない方に松本人志・有吉弘行各氏を挙げた放送作家の高須光聖氏(先日の『TOKYO SPEAKEASY』)。私達も二分されそうだが、どんな性格に起因するのだろう。何となく話せない方が上品な気がするが私は話す方。

「知らない人は風景と一緒。」 社会学で言う一般的信頼(知らない人をどれだけ信頼できるか)という尺度が低い日本人をこう表した中野信子氏(先日の『News Sapiens』)。鴻上尚史氏は「知らない人に親切にしない日本人に驚く」外国人の姿を語る。自宅前で氏神様境内で挨拶が返らない。

「子宮感覚。」 は中沢けい「海を感じる時」の群像新人賞受賞時に吉行淳之介が最初に使ったとは知らなかった(先日の『日本経済新聞』朝刊)。多和田葉子氏は「子宮を脳の代わりに使っているのか」と皮肉ったが“女性の才能を異端視”する意識に、この表現が嫌われる理由があるか。

毎年、“好き”が更新される。 つまり夫を年毎に好きになると、怒る夫の性格をカウンセリングで克服した犬山紙子氏(先日の『LIFESTYLE COLLEGE』)。釣りは一生幸せにするが結婚は一週間などと皮肉られるが、年輪を重ね気心が通じる訳だから好きの度合いは本来は深まって当然だ。

「自利を以て利他をなせ。」 という仏教の修行中に得た言葉を紹介した僧侶で介護師の玉置妙憂氏(先日の『SWITCHインタビュー 達人達(たち)』)。利他の大切さはよく言われるが、そのために自分のコップを満たす自利が大切と言ったのだ。世の中、一人ひとりの自分の自己肯定から始まる。

JUST ACCEPTED (弱い自分を隠さず)ただ受け入れる。僧名・明玄ことF・キリンガー氏の悟りの言葉だ(先日の『何も求めず ただ座るだけ_自給自足の禅寺 安泰寺の1年』)。ドイツの裕福な家庭で育ったが世俗的な成功に疑問を感じていた。悩みの深さは違う。しかし私も受け入れる。

「またぁ?」 同じ質問をされた際のこの一言に苦言を呈した(一社) 日本メンタルアップ支援機構の大野萌子代表理事(先日の『誰かに話したかったこと。』)。「この前も言ったけど」と続けるのではなく、そうなってしまった原因を自省すべきと。私もそのときの伝え方を検証する。

自分の味方で自分がいられる。 人生を楽しむためには?という問にそう答えたkemio氏(先日の『LIFESTYLE COLLEGE』)。「自分の機嫌は自分でとる」と吉岡里帆氏。人は常に「自分」という最も身近な存在と会話し、応援し受け入れて生きる。「自分」とだけは喧嘩しちゃダメだ。

自己申告はあてにならない。 と森山至貴氏(先週の『ACROSS THE SKY』)。著書「あなたを閉じこめる『ずるい言葉』」によれば「私には偏見がない」と言う人ほど偏見に満ちた事例が多いとか。そもそも気にしているから主張する気がする。「あなたのためを思って言ってる」も似ている。

「私個人の意見ですが。」 と殆どの学生が言うと富永京子・立命館大准教授(『生活と自治』8月号)。「他の人と同じ要素を持っていると思っていない」と批判するが、私もコメントで使う。誤解を防ぐため「正論とは思わず一つの意見」と言う場合だ。「個人の感想です」はCMの逃げ口上だが。

「映画を観ている感覚。」 と園まり「逢いたくて逢いたくて」を評したのは、昭和歌謡をYouTubeで発信するBEYOOOOONDSの島倉りか氏(20歳)。「MOTIVE!!」で知ったが、20代に昭和歌謡が人気と聞けば歌ってみようかとも思う。もちろん伊東ゆかりも、小川知子も。

「ゾンビ学。」 の岡本健・近畿大学准教授は死体を蘇らせるハイチのブードゥー教呪術がゾンビ映画の起源と言う(先日の『News Sapiens』)。だが最近は死んでいるかどうかも分からぬゾンビが多いとか。危機をシミュレーションできる効果もあるって、現実は映画より怖い?

無理だと思う事を超えてみたい。 と松本まりか氏(『アエラ』5.17号)。「存在しているだけで説得力がある」女優を目指し売れない20年間に自分を作った。常に何かを探しているように見えるのはそのためか。「無理だよ」と言う事は日常茶飯事だが、まずそれを口にせぬ意識から整えていきたい。

「ボートの外の事だよ。」 ボート選手は天候やライバルの動向がいかに激変し不利になろうとこう答えると石井努「7つの習慣」ファシリテーター(先日の『SkyrocketCompany』)。御せない問題は考えず「ボートの中」つまり制御できる事に集中する教えは人生と同じ、と感じた。

プロフェッショナルとは変態。 とサンドウィッチマンの富澤たけし氏(先日の『プロフェッショナル 仕事の流儀_サンドウィッチマンスペシャル』)。ネタをずっと考え続けるなど変態でないとできないという意だが一般定義としても納得。全てその道のプロは道を変態的に深掘りし没入し奥義を求める。

「現代人は引き算が苦手。」 と米国の大学研究チーム(先日の『日本経済新聞』朝刊)。土台に立てられた1本の脚で板を支える模型で板のぐらつきを抑えると1ドルもらえるが脚1本10セントという問題で、脚を外すと答えたのは41%だった。人間は引くより足して問題解決する。頭のどこかに。

「あのときの自分、ナイス!」 売上7,610円のお客様を降ろした後でタクシー運転手の女性が言った言葉だ(先日の『あのとき、タクシーに乗って』)。この職に就くなど思ってもいなかったが「いまこの瞬間は全然やってよかった」と。人が仕事を続ける拠り所は人の数だけあり生き方そのものだ。