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会稽東冶の、真東と同緯度はちがうけど、まあいいか。

YouTuberに、堂々沖縄説が登場しました。 ほんま、堂々たるものです。 邪馬台(やまと)と邪馬壱はちがう国だという見解もよし。 卑弥呼がいたのは、北谷あたり。海底ドルメンが卑弥呼の墓という私の仮説には👍 https://youtu.be/PHi0osvHQpk?si=eEZTcR5Z6PstxpS8

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卑弥呼は沖縄のおばちゃん仮説と、大阪市の亀井水

壹と臺を間違えるのは相当間抜けです。三国志魏志倭人伝の版本を作った職人は間抜けだと、日本人は断定してきました。 東冶と東治のまちがい。これは、紙がすれて治に見えた、はありえる。東冶の東は沖縄で、ありえないから治だ。 東治という地名はないけど。 でも沖縄はありえない?なぜ?

スクナヒコナ幻想、大阪から沖縄へ

邪馬台か邪馬壱か ごく簡単な話です 中国の歴史書が書かれた時代を整理したら 三国志の時代に卑弥呼がいたのは邪馬壱 その後倭の五王は畿内つまりヤマトから来たと中国につたえた そこで倭人の国はヤマトなんだと知り 邪馬台国と書かれるようになる 邪馬壱と邪馬台は別の国ですね

後漢書は時代が逆で三国志より後で書かれました 倭伝は魏志倭人伝を参照しています しかし邪馬臺国と国名が変わります 倭の五王による朝見外交でヤマトという名前が認知されたからでしょう 邪馬臺国の下に分注があります 案今名邪摩 惟音之訛也 ヤマイが転訛して邪馬台国になると

邪馬台(ヤマト)か邪馬壱(ヤマイ・カメイ)か

亀井堂水の信仰、沖縄にも古代史はある、Facebookページより

卑弥呼さんが倭人の代表と考えなくてもいい。ローカルなオバチャンでもいいのだな。沖縄だとしたら、呉に対する魏での地政学的重要性は明らかです。