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卑弥呼さんが倭人の代表と考えなくてもいい。ローカルなオバチャンでもいいのだな。沖縄だとしたら、呉に対する魏での地政学的重要性は明らかです。

卑弥呼さんの話になると、どうもむきになる人が多いようです。
卑弥呼さんを地域おこしに、なんて行政も多いですから、利害にかかわる大問題です。

ところが、卑弥呼さんは日本がわの記録には登場しない。中国の歴史書に一回だけ登場する。

で、まあ、なんというか。おこられるかもしれませんが、当時の日本列島では、無名であった。中国からは重要人物とみなされていたが、日本列島人には知られていない。

そこで仮説を提案します

倭の五王の朝見以後は、中国人の認識は、倭人の国はヤマトだと統一される。

三国志より後に書かれた後漢書には、元はヤマイだが転訛した、と書かれている。

後代の引用はすべて邪馬台国だというのは、魏志倭人伝の邪馬壱が誤記だという証拠にはならない。倭人とはヤマトなり、が常識となり、魏志倭人伝を引用するときも邪馬台国と書き換えてしまう。

邪馬壱
漢音で、ヤマイ、カマイ。
呉音で、ヤメイ、カメイ。

まず、卑弥呼は、ヤマトの女王である必要はない。

ひょっとしたら、カメイ国というローカルな離島の国があってもいい。

そんな国が、当時の中国、魏にとりなぜか重要であった。

東海の倭人がたまに朝見してくるからといって、海を越えてまあごくろうさん、てなもんではないでしょうか。普通はその他大勢です。

中国は三國がせめぎ合う動乱の時代です。朝鮮半島あたりでは、第四の勢力、公孫氏が暴れている。この公孫氏、魏と呉とふたまたをかけて生き残りに必死である。呉は東シナ海の制海権を把握し公孫氏や高句麗と直接交易を結んでいる。鏡職人なども呉からやってきている。

というわけで、呉を制するためにも、全力で公孫氏を滅亡させる必要がある。百戦錬磨の名将、司馬仲達のもと、魏により徹底的なジェノサイドで公孫氏は滅亡する。

このとき、呉からやってきた鏡職人の多くが日本列島に逃げ延びたと推測されます。

朝鮮半島が魏の支配下に置かれると、待ちかまえていたように、倭人の卑弥呼なる、あやしげな鬼道を使う女王の使者がやってきた。

さて問題です。

魏にあわてて使者を送る必要がある、とはどうゆう事情か。

呉と関係があるのではないか。

主戦場は揚子江であろうが、呉の強さは海軍力である。東シナ海にもある程度目配せしている。台湾から宮古島あたりは勢力下において、沖縄を目指している。しかし、宮古島と沖縄の間には黒潮が流れる広大な海峡がある。また、沖縄は一筋縄ではいかない。なぜなら、卑弥呼というあやしげな権力者のもとで、海に慣れた強者どもがいる。

東シナ海での呉の動きを抑制するためには、沖縄は重要拠点である。卑弥呼は東シナ海の東縁航路を支配している。

だから、長崎の伊都国に見張りを置き、海を監視すると同時に、九州内陸部の情報も集めている。長崎湾の入口には伊王島がある。

と、私の仮説では、呉を監視するためには、卑弥呼の元に使節を送り、長期滞在して情報収集する必然性が、魏にはあった。

と、卑弥呼とは何者か、私の頭のなかにはひとつの焦点が結ぶ。海の女王、海洋の太陽の女神。

日本人にはいまだに沖縄は超ローカルな、離島にすぎない。そんな所に卑弥呼がいるなんて、許しがたい。

いても、いいんじゃありませんか。


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