見出し画像

スクナヒコナ幻想、大阪から沖縄へ



オナリ神

スクナヒコナは女神、大国主のオナリ神(妹的な存在)ではないか、と思ったのは、ヒコではなくヒコナとナがつく奇妙さからでした。

まず大阪の少彦名神社

少彦名神社。

大阪の難読地名のひとつ、道修町(どしょうまち)に、江戸時代に創建された神社。

少彦名と神農、医薬の神をまつる。

道修町が生まれたきっかけが、太平寺の北山不動尊の下に即身成仏した、名医北山寿安がここで開業したのがきっかけであったという。

寿安は金持ちからは相応の医療費をとり、貧乏人には無料で診療施薬した。金持ちも、納得して支払いをしていたのだろう。

現代社会の税制、福祉の基礎である。

税金の第一の目的は、所得の再配分である、という基礎知識を、最近知らない人が多い。

貧乏人が軽蔑される世の中は、人間社会じゃない。

太平寺の北山不動


四天王寺前夕陽ヶ丘駅北口すぐの太平寺。本尊、虚空蔵菩薩。

大阪の十三まいり、で知られる。

元禄時代、庶民救済に尽力した医師、北山寿安が元禄14年、即身成仏した真上に立つ不動は、大阪四不動巡礼の南の霊場。

井戸にはたっぷり水が涌いている。四天王寺亀井水と同じ水脈でしょう。

#北山寿安

道修町(どしょうまち)の薬種問屋街の基礎を築いた名医。貧乏人からは金をとらず、金持ちには高い料金を請求した。金持ちは、納得して、寿安には支払ったという。

四天王寺の支院であった大平寺境内に穴をほり自らの墓地とし、そのなかで即身成仏した。即身成仏といえば、出羽三山が有名ですが、いずれも江戸時代です。

人々は、その上に不動明王を祀り、北山寿安の名を永遠にとどめた。

医学、福祉のために聖徳太子が創建した四天王寺。医師は、救いを求める患者を、差別してはならない。偉大な信仰の歴史に、大坂ははぐくまれ、成長した。明治維新政府は、四天王寺を神仏混淆の俗信の寺と、ほとんど無視した。その近代の偏見は、今の歴史学も克服しようとしない。

うつし世から常世へ、大阪から沖縄へ

スクナヒコナの謎

常世より流れ着く

我が妹オナリの神

我が掌に蘇生する

そのぬくもりを今

林檎ひとつに思う

共に国を治める友

林檎のごとまろき

世の平和を祈願す

かの国の王なるか

いちというおとめ

少なき数を名のる

スクナヒコナの神

いちよとも申せば

再会の一夜あらず

常世への断腸の念

沖縄にも古代史はある

卑弥呼は沖縄にいた、という、とんでもない仮説から始めたページですから、卑弥呼の後継者、壱与、についても大胆な仮説を。

まず、魏志倭人伝の、壹はすべて臺の誤りだというのが定説で、邪馬壱は邪馬台、壹与は台与と普通は紹介される。私は原文尊重で、壹、壱の字とみなします。

壹の読み方。いち、い、が普通です。最近考えましたが、昔からの数え方で、ひい、とも考えられる。ひいよ、なら、ひみこ、の後継者としておかしくない。かな?

あんたの名前は何だ、と聞かれたら、ひいだよと答えた。ひい?いち?えらい少ないな。

で、すくないな、のみこと、と愛称される。

スクナヒコナ、の正体は、壱与ではないか。

🐸🐷🐢

きをとりなおして。

写真の山は、沖縄最大の聖地、サイファウタキのそばにある、すくな山。ここも聖地かと思ったら、ゴルフ場の中の私有地だとのこと。

雰囲気のある山です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?