近江出身説

13.仏敵信長め!近江戦国山の道と光秀

上のトップの画像は、石山合戦がはじまる直前に、左女谷(佐目)道場に本願寺から届いた文書と、十兵衛屋敷跡から見える「陣屋の山」。白い三角あたりが「信長陣前桜」があったあたりかと思われます。

今回は、佐目と本願寺と光秀の関係を追いたいと思います。

1. 09.明智神社と、光秀近江出身説

これに続く話しを書こうと思って、色々とつなぎ合わせてきたら、13.まできてしまいました。

1575年 (天正

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12.戦国最後の戦いの舞台裏

前回は、義昭上洛を機会に、信長がグイグイ近江に手を入れてきて、それに光秀と多賀がどう関係していたかを中心にお話しました。

1. 戦国時代、最後の「観音寺城の戦い」

すっかり、説明を忘れていましたが、そもそも、義昭を連れての信長の上洛というのは、既に将軍が決まってたのに、ムリクリに突っ込んだという話になります。どっちみち、三好三人衆であろが、信長であろうが、将軍はお飾りのつもりだったのですよね。

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近江の歴史を偽りで翻弄した『江源武鑑』って、ほんとに疑っていいの?

今回も、一般の方には、あまり面白い内容ではありませんが、大ごとになりました(笑)

前回の 11.初登場の光秀・・・の中で
「近江の歴史を偽りで翻弄したと有名な『江源武鑑』にも、多賀の武士(楢崎氏、種村氏、久徳氏)が上洛に同行したとあります。」と書きました。

歴史を知っている人には「『江源武鑑(こうげんぶかん)』には気をつけろ!」と言われます。こんな中から引用しようものなら「ダメな奴」とレッテル

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11.初登場の光秀と多賀と信長上洛

基本的に私のこの投稿の欠陥は、六角氏と明智家がつながっていたという仮定を元に書いていますし、そもそも、殆ど専門家の本などを読んでいないのと、戦国好きという訳ではなかったので、基礎的な事を全く知らず辻褄が合わない所も出てくるかもしれません。

又、光秀はじめ、地元にかかわる方はエコ贔屓しますし、近江出身説に無理やり持っていこうという深層心理も働いてしまう事をご理解の上(笑) 、温かくゆるやかな気持ち

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10.明智と六角と、忍者・多賀坊人誕生

前回 09.明智神社と、光秀近江出身説 
では、光秀が生まれる前の佐目のポジションについてお話しました。
今回は、光秀の一生を理解する上で必要なバックボーンについてお話します。最初にお断りしておきますと、もちろん

「光秀が、近江の多賀の佐目」で育っていた

という強引な視点と、光秀、近江守護六角氏、本願寺、地元土豪をエコ贔屓するのは言うまでもありません(笑)

1.近江守護 佐々木六角氏とは

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09.明智神社と、光秀近江出身説

なかなかnoteに書き込む余裕がなく、久しぶりになってしまいました。

〇公式 明智光秀近江出身説 佐目十兵衛会のwebサイト開設
〇所JAPANにて全国放送で 磯田先生に「黒歴史」と!
 その他、イベント・メディア・活動報告
〇地元の伝承に特化したマニアックな冊子 発売
 #『明智十兵衛光秀 謎多きルーツの迫る 多賀出身説!』

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明智光秀のWikipediaの記述が変わった!

何かと、日々お世話になっている『ウィキペディア(Wikipedia)』
もちろん、明智光秀公が佐目出身という古文書を見た時に検索しました。
今となっては、すっかり忘れてしまいましたが、佐目に関係する記事はほんの少し、脚注程度に載っている感じでした。でも、抹殺されずに書かれていて、とても安堵した事を覚えています。

昨夜、ふと気になる事があってGoogleで検索しました。と、言っても「明智光秀 + 

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05.更に古い、光秀「犬上衆旧き好しみある故」

04.明智光秀公の一番古い出自の文献 にて
『淡海温故録』は、貞享年間(1684-88)
『江侍伝聞録』は、寛文12年(1672)
と、今のところは出自の一番古い伝承とお伝えしました。

因みに、
いわゆる作り話でありながら、後々色々な伝承に登場する『明智軍記』は、江戸時代中期の元禄初から15年(1688年~1702年)で、
質が高いと言われている『近江輿地志略』は、1734年成立なのだそうです。

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04.明智光秀公の一番古い出自の文献

『淡海温故録』は、貞享年間(1684-88)に 江州白頭翁により書かれ、彦根井伊公へ献上された文献です。1582年が本能寺の変なので約100年後という事になりますが、明智光秀の代表的な伝記 高柳光寿『明智光秀』(1958)が 出自について採用した『綿考輯録(細川家記)』は、更に90年以上後の安永7年(1778)編さんされた文献なのだそうです。

『淡海温故録』の内容の特徴としては、郡別村別の記載形

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03.光秀と十兵衛は、どんな関係?

2019年10月、滋賀県と多賀町の教育委員会文化財課の方々が「十兵衛屋敷跡」を見に来て下さり、私はというと、そこからバタバタと講座に引っ張り出され、地域(多賀町佐目)の皆さんは手弁当で「とりあえず、看板はいるわなぁ」と、張りきり出し、看板が出来たのが3月。Googleさんから許可も頂いて、つい先日マップに掲載して頂いたところです。

看板の後ろ、下あたりの緑の網は、鹿と猿よけ。山間部なので獣害がひ

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