三銀蔵

三銀蔵の片付けから、先祖が「表は坊人、裏が忍者」と言われる多賀大社の今はなき「坊人(ぼうにん)」だとわかり、「明智光秀が近江・多賀の佐目」出身だという資料に目が留まり、地元の口伝と一致する事から、通説とは違う角度から調べはじめた事を中心に書いていきます。
  • 明智光秀が 近江 多賀 佐目の出身であるという事を前提に 今まで研究されてこなかった地域の伝書、多賀大社、本願寺番方 法
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13.仏敵信長め!近江戦国山の道と光秀

上のトップの画像は、石山合戦がはじまる直前に、左女谷(佐目)道場に本願寺から届いた文書と、十兵衛屋敷跡から見える「陣屋の山」。白い三角あたりが「信長陣前桜」があっ…

12.戦国最後の戦いの舞台裏

前回は、義昭上洛を機会に、信長がグイグイ近江に手を入れてきて、それに光秀と多賀がどう関係していたかを中心にお話しました。 1. 戦国時代、最後の「観音寺城の戦い」 …

近江の歴史を偽りで翻弄した『江源武鑑』って、ほんとに疑っていいの?

今回も、一般の方には、あまり面白い内容ではありませんが、大ごとになりました(笑) 前回の 11.初登場の光秀・・・の中で 「近江の歴史を偽りで翻弄したと有名な『江源武…

11.初登場の光秀と多賀と信長上洛

基本的に私のこの投稿の欠陥は、六角氏と明智家がつながっていたという仮定を元に書いていますし、そもそも、殆ど専門家の本などを読んでいないのと、戦国好きという訳では…

10.明智と六角と、忍者・多賀坊人誕生

前回 09.明智神社と、光秀近江出身説  では、光秀が生まれる前の佐目のポジションについてお話しました。 今回は、光秀の一生を理解する上で必要なバックボーンについて…

09.明智神社と、光秀近江出身説

なかなかnoteに書き込む余裕がなく、久しぶりになってしまいました。 〇公式 明智光秀近江出身説 佐目十兵衛会のwebサイト開設 〇所JAPANにて全国放送で 磯田先生に「…