佐目

13.仏敵信長め!近江戦国山の道と光秀

上のトップの画像は、石山合戦がはじまる直前に、左女谷(佐目)道場に本願寺から届いた文書と、十兵衛屋敷跡から見える「陣屋の山」。白い三角あたりが「信長陣前桜」があったあたりかと思われます。

今回は、佐目と本願寺と光秀の関係を追いたいと思います。

1. 09.明智神社と、光秀近江出身説

これに続く話しを書こうと思って、色々とつなぎ合わせてきたら、13.まできてしまいました。

1575年 (天正

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11.初登場の光秀と多賀と信長上洛

基本的に私のこの投稿の欠陥は、六角氏と明智家がつながっていたという仮定を元に書いていますし、そもそも、殆ど専門家の本などを読んでいないのと、戦国好きという訳ではなかったので、基礎的な事を全く知らず辻褄が合わない所も出てくるかもしれません。

又、光秀はじめ、地元にかかわる方はエコ贔屓しますし、近江出身説に無理やり持っていこうという深層心理も働いてしまう事をご理解の上(笑) 、温かくゆるやかな気持ち

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09.明智神社と、光秀近江出身説

なかなかnoteに書き込む余裕がなく、久しぶりになってしまいました。

〇公式 明智光秀近江出身説 佐目十兵衛会のwebサイト開設
〇所JAPANにて全国放送で 磯田先生に「黒歴史」と!
 その他、イベント・メディア・活動報告
〇地元の伝承に特化したマニアックな冊子 発売
 #『明智十兵衛光秀 謎多きルーツの迫る 多賀出身説!』

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明智光秀のWikipediaの記述が変わった!

何かと、日々お世話になっている『ウィキペディア(Wikipedia)』
もちろん、明智光秀公が佐目出身という古文書を見た時に検索しました。
今となっては、すっかり忘れてしまいましたが、佐目に関係する記事はほんの少し、脚注程度に載っている感じでした。でも、抹殺されずに書かれていて、とても安堵した事を覚えています。

昨夜、ふと気になる事があってGoogleで検索しました。と、言っても「明智光秀 + 

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08.出てきた!隠された「明智光秀の記録帳」

佐目集落の歴史を調べる集まりがあった。

現在、佐目の歴史を書き遺してある資料は既に亡くなられいる田畑喜與門氏が書かれた物だけだった。そこには、明智光秀に関する伝承は載っていない上に、江戸時代の記録もほぼない。佐目の歴史は、多賀町誌を見ても殆どなく、各家を回って調べられてた様子もないように思う。

昔の事はお寺に聞けと言われるが、室町、江戸の頃は違うお寺だったので、その当時の事は現在わからない。突

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04.明智光秀公の一番古い出自の文献

『淡海温故録』は、貞享年間(1684-88)に 江州白頭翁により書かれ、彦根井伊公へ献上された文献です。1582年が本能寺の変なので約100年後という事になりますが、明智光秀の代表的な伝記 高柳光寿『明智光秀』(1958)が 出自について採用した『綿考輯録(細川家記)』は、更に90年以上後の安永7年(1778)編さんされた文献なのだそうです。

『淡海温故録』の内容の特徴としては、郡別村別の記載形

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03.光秀と十兵衛は、どんな関係?

2019年10月、滋賀県と多賀町の教育委員会文化財課の方々が「十兵衛屋敷跡」を見に来て下さり、私はというと、そこからバタバタと講座に引っ張り出され、地域(多賀町佐目)の皆さんは手弁当で「とりあえず、看板はいるわなぁ」と、張りきり出し、看板が出来たのが3月。Googleさんから許可も頂いて、つい先日マップに掲載して頂いたところです。

看板の後ろ、下あたりの緑の網は、鹿と猿よけ。山間部なので獣害がひ

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01.6つ目の明智光秀出生地のなぞ

来年の大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀が主人公という事で、今朝(20190427) 土曜日 朝日新聞 別冊 be reportに

「明智光秀、出生地伝説が続々 産湯の井戸は4カ所も、深まる謎」

という記事が掲載されました。
noteの書き始めがいきなりこれというのも何ですが、岐阜県の恵那、可児、瑞浪、山県、大垣の県内5市が出生の伝説地として挙げられていて、「わが街こそ、光秀公の出生地」と主張

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