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カレーになりたい、だって玉ねぎなんだもん

カレーのさえずりで目がさめた。カレーを食べてすらいないのに、すでに口の中でりんごとはちみつのまろやかな風味が広がっている。バーモント。目覚めて3秒で気分はスパイス。

季節外れのジャワも負けじと鳴いている。さわやかな辛さと深いコクが、夏の終わりにカレーの旨みを懸命に伝えようとしている。僕の中に眠っていたバーモントとジャワが目覚めた。

鍋のふたを開けた瞬間に広がる豊かなスパイスの香り。おたまでかき混ぜれば、そこにはトロりとうねるルーの海。角が取れて丸くなったじゃがいもは優しいテトラポット。にんじんのボートでどこまでも。ユラユラ揺れる薄透明の玉ねぎをかき分け、海底深くで見つけるはやわらかな豚肉。

僕は、カレーが食べたい。

昼休みに小洒落た店で注文したカレーは、何もかもが洗練されていた。野菜は形がなくなるまで煮込まれ、ルーは水のようにサラサラ。

カレーになりたいという夢を叶えるために田舎から上京したジャガイモ、たまねぎ、にんじん。

「カレーになりませんか?」

そう言って、スカウトに声をかけられた時は嬉しかっただろう。だが、待っていたのは、事務所の都合の良いようにカットされる毎日。もちろん、最初こそ角ばっていた。どうにかして自分を保とうともがいていた。けれど、カレーの荒波に揉まるうちに徐々に丸くなっていってしまった。ときには野菜同士でぶつかりあったりもしただろうに。そのたび、ますます丸くなっていく。そして最後には影も形もなくなるまで煮込まれてしまった。本当に、カレーになりたいという夢を叶えたと言えるのか?これが、憧れ、夢を見ていたカレーなのか?

君たちは、東京のカレーに騙されたんだ。旨味だけを持っていかれたんだよ。僕は、君たちの個性豊かな形を見て、その形が生み出す舌触りを堪能したかった。

僕が求めていたカレーじゃない。そして君たちが求めていたものでも。

怒りと虚しさで、夕飯にカップヌードルカレー味を食べた。サラサラとしたカレーを見ると、あつらを思い出すんだ。まだカレーになる前、どんなジャガイモだったんだろうな。にんじんはどんな色だったんだ。お母さん似か?たまねぎは1パックいくらだったのかな。そうそう、産地はどこなんだよ。しかし、今となってはカレーに口無し。

だったら、自分で理想のカレーを作ってやる。自炊なんかしたことがないけど、僕はカレーを作る。野菜も、ルーも、僕も、みんなが幸せになれるハピネスカレー。

スーパーオオゼキには、いろんなカレーのルーが売られているが、そんなことはどうでもいいこと。いいか、日本のカレーは最強だ。適当に選んでもおいしい。ただ、カレーのルー、ジャガイモ、にんじんをカゴに入れながら、僕は恐ろしい真実に気づいてしまった。今、僕の買い物カゴには、カレーのルー、豚肉、じゃがいもなどの野菜が入っている。この有様を見た周りのやつらはどう思うか?

「こいつ、今夜はカレーだな」

心が読まれる…!こんなカゴを持ち歩いていたら「僕のおうちの晩御飯はカレーだよ」とわめき散らしているようなもの。恥ずかしい。今夜はカレーであることが恥ずかしい…!僕は今、裸なんだ。カレーという裸。寒い。布をくれ…!!

み、みないでくれ。今日はカレーじゃないんだ。ほら、じゃがいも、にんじん、豚肉。これだけなんだよ。野菜炒めなんだよ。これ?これは、カレーのルー…だ。いや違う、カレーを作るんじゃない。机がガタガタするから下にカレーのルーを挟んで安定させるだけ。うん、そう、ヒルナンデスで紹介されてた方法。

一刻も早くカレーを隠さなければ。手に取ったのは「ポテトチップス ビッグサイズ」。ポテトチップスの量が少なくなっているという話を聞いていたが、ビッグサイズの大きさは今も健在。主婦たちの好奇の眼差しから安心してカレーの食材を守れる。

今日、僕は自分でカレーを作ります。

心の中で高らかに宣言をすると気持ちが晴れやかになる。全てがうまくいくって思えるんだ。並んだレジの担当がまごついているけど全く気にならない。だって彼は研修中。一方、僕は初めてのカレー。ビギナー同士仲良くやっていこう。

「ちょっと買い忘れたものがあるんで並び直します」

僕は玉ねぎを買い忘れるという大失態を犯していた。ここがカレーの王国だったら危うく死罪。会計をする前に気づけてよかった。さっさと玉ねぎを見つけてアメ色に炒めようじゃないか。

あれ?玉ねぎがない…?この王国には玉ねぎがない?いやそんなはずはない。玉ねぎのないスーパーなどあるはずがない。ないの…?やっぱり玉ねぎないの…?ああそうですか、店員さんありがとうございます。くそったれが。

空になった玉ねぎコーナーの横に不敵な笑みを浮かべた野菜がいた。赤玉ねぎだ。カレーにこんな洒落込んだ玉ねぎ使えるかよ。サラダにいれる玉ねぎだろう。グリーンサラダに赤のアクセントがほしいな♪って思った女子が、自己満足のために使う玉ねぎだろう。

「玉ねぎが必要なんだろう?」

レッドデビルの囁きが頭のなかで反響する。ビシッとスーツを着こなしているビジネスマンのパンツが、実はたれぱんだの絵柄であったり。綺麗な女性だけど、実は指毛が濃かったり。世界はそうやってバランスを保っている。だから、カレーに赤玉ねぎを使っても何ら不思議ではない。完全なものは不完全性すらも包み込み、時に個性として差し出してくれるのだ。これが僕の選択だ。さぁ、研修中のレジ担当よ、早くレジを通したまえ。僕は、もう恥じない。

この家に越してきてから野菜を切るなんて初めてだ。野菜が切れていく感覚、切れるたびに聞こえるゴロッとした音、部屋に充満する新鮮な大地の匂い。このプロセス全てが僕を高揚させる。だって、ついに僕はカレーを作るんだから。あとはカレーのルーを入れるだけ。


「レンジでおいしい!ボンカレー」


これ、レトルトカレーじゃねぇか。


-終-

以上、『橋本歩と椿田竜児のレイディオ』の再構成バージョンでした。
第12回目「カレーはもっと可愛くなる」
再生時間を22:40に合わせるとカレーの話が始まります。


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