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奇跡

奇跡が起きた。
いろんなことが積み重なって起きたことだと思っている。
いろんなものに感謝しつつ書き綴る。全てを表現できないもどかしさもありつつ。

3週間ほど前、アーティストウェイ文化祭でライブをさせてもらった。
私にとって歌うことは外に自分を表現することである。
ハートをオープンにしていくことは恥ずかしいがうれしくたのしい時間でした。緊張感からの解放、歌のイベントの後、同じ空間で絵やペンダント、ネイルや占いなど様々な出店があった。その中に吉方位(力をくれる場所やその人のパワーフードを教えてくれる)くれる話に興味を持ち、話を聞いた。
ご縁があり、後日くわしく教えていただいたく。
11月から取り組んでみる。今日はスペシャルなよい日らしく
コーチングを終えて、息子の自転車を借りて多摩川を超える。
吉方位通り、自宅から2kmほど離れた場所としてファミレスを選び1時間ほど滞在し暖かいものを頂くことをしてみる。身体を動かし、場所を変えて、本を読み、文章を直す時間は心地よかった。
最近の私が日々気になっていることがあった。悩みや愚痴となる心配事であり、モヤモヤしていた。
娘に彼氏ができて、半年ほど、バイトやバンド活動で忙しい彼女は彼の家を拠点にして生活を始めていた。
娘の彼氏のことを
母親はどんな王子様かしらとポジティブに想像し、
父親はどこの馬の骨だろうとネガティブに想像する。
まさにその思考回路だった。
そんなに一緒にいるなら、挨拶に来るべきだ。べき論が始まる。
そう思いませんか?! 嫁さんに問いかけると「娘も来て!とは言いだしにくいものよ」「相手のタイミングがあるのだから」とあまり私の考えには同調してくれず、私はふてくされる、中立的な立場な聞き方は素晴らしいけど、私の気持ちをわかってくれない寂しさが怒りとなり、ケンカになりイライラすることもあった。気持ちがイライラな状態。ここから行動を起こしてもいいことはない。
自分の中をクリアにしていく必要があった。
瞑想を行い、内側に起きていること内省してゆく。
内側に起きていることを観察してみる。
挨拶にくるべきだ。イライラしているのは相手が挨拶にくるべきなのにしない、世の中のルールを勝手に設定し、そうしない相手を悪者に、自分のこのイライラを正当化する思考のできあがりである。
その考え、感情もあることも認めつつ。その思考は私の全てではない、自分の内側を愛で満たしていくグランディングし、身体を感じる。一粒の雨は川にも海にもなる。その一部であり、全体である。スピノザは神には境界がないと伝えていた。ここまでは神で、ここからは神ではないと分断することはできない。
ならばすべてが神であり、私もその一部である。相手もその一部である。
それは愛も同じ、一部であり、全体である。つながり合っている。
娘を愛してくれる人がいる。娘のそばにいる人が幸せでいてほしい。それは娘の幸せにつながるから。私の想いは祈りや呪いとなって、相手に伝わってしまうとするなら、私は愛の存在として娘に、その近くにいてくれる彼を暖かく見守る。その方がピースフルにいられる。未来に対して過度な心配をしないし、相手をジャッジすることなく、いろんな状況があるその人の物語を聴く準備もできる。
20歳になる娘だが、一緒に住む家族としてのルールや境界線の話をすることもできた。また率直に会いたいことも伝えた。
ピースフルに伝えられたのではないかと思う。
誕生日は彼と過ごすことも暖かく送り出せた。
そして奇跡がやってきた。
吉方位の場所にいて1時間ほど、LINEにメッセージがきていた。
「彼を連れてきてもいいですかー」
今日、娘は自然なかたちで家に遊びにおいでよと言えたそうだ。
そしてそれに答えてくれる彼がいた。
えらいこっちゃ、えらいこっちゃ、おおーーーびっくりーーー
自転車を漕いで川を渡り家に帰る。
いろんなものを私の部屋に隠したりして、準備
二人がやってくる、挨拶をしあう。
お土産のプリンをいただいて食べる。
一緒に餃子やビール、酎ハイに手巻き寿司
笑顔がかわいい、やさしそうな男の子だった。
一緒にいて落ち着いていて、笑い合っている姿を見れることに感謝が生まれる。
いろいろ思い悩んだ日々が報われるような夜だった。
飲み会がなくなってアルコールに弱くなった自分、ペースが速くなってしまって結構酔った。
ここにくるまでにいろんなことが折り重なっている、学ばせていただいたこと、話を聴いてもらったり、アドバイスや考えに触れさせて頂いた。その一つ一つが折り重なり一部となり、全体となり、現実が作られている。
この世は奇跡に満ちている
そう思える夜に感謝をこめて

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