「他の」本が読めない状況が10年
近く続いているような気がしている。
アダム・スミスの本を繰り返し読み理解すること、そして、スミス関連の本や論文を読む理解すること、の繰り返しなので、なかなか「他の」本を読む気になれないというか、「他の」本を読むなら関連のものを読みたいとなるのだ。
これはどうなんだろう。
私は乱読な方でできるだけ多方面の分野を薄く広く読んでいくタイプだと思うのだが、ここ10年はそれと反対の方向でやっているような気がする。
ただ、おかげで精読みたいな力を養うことができ、良い筋トレになったような感じである。
博士論文を書き上げる(か、挫折するか)まだ、この単読(?!)状態が続くがこれもまた時期的なものを諦めて(?!)やっていくしかなさそうである。