【中編小説】火焔の中から(第8回)

 誕生日の夜の後も、明代と何度か肌を重ねたが、射精しようとすると、叔母が赤い舌を覗かせて襲いかかってきた。激しい動悸にみまわれ、意識が真っ白になった。
 周吾は何度、明代に、叔母から受けた恥辱の日々について話そうか悩んだが、いいだすことはできなかった。明代は、果てることのできない周吾の髪を撫で「いつか大丈夫」と微笑んだ。周吾は情けなく、明代の頬を眺めるだけだった。いつになれば心の底から明代と結ばれるのか。愛情が深まれば深まるほど、焦りは募るばかりだった。
 明代は四月で四年生になった。美しい瞳が人事担当者の心を射貫いたのか、教育学とは無縁の地方銀行から早々と内定をもらっていた。
 時間にゆとりのできた明代は、周吾の授業の合間の時間に合わせて大学にやってくると、構内の喫茶室で待ち合せた。ミックスジュースのグラスにささったストローで氷をかき混ぜながら、明代は明石海峡大橋の建設に携わる父親から聞いたという橋について話してくれた。
「着工は昭和六十一年、私が中学一年の時。最大水深一一〇m、潮流速毎秒四・五㎞の海峡で工事が始まったの。海底の岩盤を掘れるのは、二ノットの弱潮になる三、四時間だけだったんだって。漁師さんたちに、いつ仕事してるんですかって嫌味いわれたって。海底掘りが終わると、四隻の船で主塔の土台になるケーソンっていう大きな筒を埋めるの。その中に水中でも分離しないコンクリを流し込んで固めるんだって」バイトで徹夜明けだった周吾は、コーヒーを飲んで必死に眠気と闘いながら、黒くて美しい垂れた眼を見つめていた。黒い瞳を揺らしながら、明代は楽しげに続けた。「明石側、淡路島側の両方に作る橋の起点になる大きな躯体、アンカレイジっていうんだけど、それらの地盤が完成した祝いに、地下六三・五mの底面でソフトボール大会をしたんだって。お父さん、審判だったらしいの。空はこんなに広いものなのに、中から見たら四角に区切られてて、小さかったって、そればっかりいってたわ」
 周吾はいつしかシートにもたれて眠っていた。明代は授業が始まる直前まで周吾を起こさなかった。「おい、なんでいっつもギリギリまで起こしてくれへんのや」と周吾がふくれて聞くと、「あなたの慌てる様子が見たいからよ」と明代は笑って答えるのだった。
 周吾はバイトの合間に明代に会い、明代の好きな映画につきあった。両親のいない時に彼女の家を訪れ、彼女の好きな音楽を聴いた。そうして大学三年は過ぎていった。

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