かどわかされて

出版社で原稿を書いたり、書籍を編集したりしています。趣味は小説の執筆と絵を描くことです。

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最近の記事

【中編小説】火焔の中から(第12回)

 周吾は、アーケードが落ちたセンター街を抜けて、叔母の家があった場所まで戻ってきた。何日経ったのか、幾度かの夜と朝を超えた。叔母は家の前にテントを張って周吾の帰りを待っていた。テントの中で膝を抱え、身構えたまま動かない叔母を見て、周吾は声をあげて笑った。包帯で吊った左腕を右手で抱えながら立ち上がると、叔母はよろめく足取りで周吾の方に歩いてきた。一度、厳しい眼つきで離れた両眼を向いたが、すぐに表情は緩み、その両眼から涙が溢れだした。そして、ふらふらとどこかへ歩いていった。  そ

    • 【中編小説】火焔の中から(第11回)

       泣き疲れて顔をあげると、明代の敷地の二軒隣の崩れた家の庭に、毛皮のコートを頭から被り、震えている老夫婦の姿があった。焼けた外車の上に座っている。焦げついた風に乗って、老夫婦の方から下痢便の臭気が漂ってきた。生きているだけましだ。周吾は心の中で呟いた。  夜が明けた。燃え落ちずに立っている電信柱たちは、何かの目じるしのようだった。依然いたるところに煙が立ちのぼり、視界をふさいでいた。 「これ食え」昨日、寝袋を貸してくれた男が、炊きだしの汁物を持ってきてくれた。周吾は礼をいう

      • 【中編小説】火焔の中から(第10回)

         たどり着いた長田の町は焦土と化していた。愛着のない町でも壊滅的な荒野を眺めれば胸に迫ってこないわけはない。明代の家がどこなのか、全く分からなかった。レスキュー隊や自衛隊の隊員が救助活動に取り組んでいた。周吾は地面に鼻を付け手がかりを探した。割れたコンビニの看板、根元からえぐれた郵便ポスト、電柱の下から見える動物の屍骸、全てに灰がまぶされている。靴底が焼けてゴムの焦げた臭いがした。周吾は足を引きずりながら歩き続けた。  ようやく見慣れた砂利敷きの駐車場を見つけた。借り主の名前

        • 【中編小説】火焔の中から(第9回)

           一九九五年一月十七日。二十一回めの誕生日の深夜、周吾は何度も眼を開けた。長い夜だった。明け方、うつらうつらし始めた時、地鳴りのような轟音が響いたと思うと、一階の店舗にショベルカーが突っ込み、真下から二階の床を突きあげる感覚が周吾を襲った。その後、家屋全体がねじれるように揺さぶられ、細長い洋服ダンスが周吾の上に倒れてきた。隣室から「うでがぁぁぁぁ」という叔母の絶叫が聞こえた。嵐の海原で高波の随(まにま)に漂う小舟のように、板張りの床は大きくうねり、階下では売り物が砕ける音が鳴

        【中編小説】火焔の中から(第12回)

          【中編小説】火焔の中から(第8回)

           誕生日の夜の後も、明代と何度か肌を重ねたが、射精しようとすると、叔母が赤い舌を覗かせて襲いかかってきた。激しい動悸にみまわれ、意識が真っ白になった。  周吾は何度、明代に、叔母から受けた恥辱の日々について話そうか悩んだが、いいだすことはできなかった。明代は、果てることのできない周吾の髪を撫で「いつか大丈夫」と微笑んだ。周吾は情けなく、明代の頬を眺めるだけだった。いつになれば心の底から明代と結ばれるのか。愛情が深まれば深まるほど、焦りは募るばかりだった。  明代は四月で四年生

          【中編小説】火焔の中から(第8回)

          【中編小説】火焔の中から(第7回)

           周吾は明代と会う時間を増やすために家庭教師をやめた。本来、違法ビデオの販売をやめるべきだが、日給のよさと十本売れば五百円の上乗せがあるためにやめなかった。  夏には二人で須磨の海水浴場に出かけた。日焼けを気にしてパラソルの下にばかりいる明代を引っ張りだし、周吾は砂浜に掘った穴に首だけだして埋めた。明代は眼に涙をいっぱいためて、頬をふくらませた。  家族連れや若者たちでごった返す海岸で、周吾は違法ビデオを買いにくる常連客を見かけた。男は妻と二人の娘といっしょだった。娘は小学校

          【中編小説】火焔の中から(第7回)

          【中編小説】火焔の中から(第6回)

           ある夜、周吾は、週末だけ手伝っている新長田駅近くのライブハウスに明代と顔をだした。  明代はカンパリソーダを飲みながら、「私もだけど、佐久間君も、協調性がない上に自分勝手よね」といった。 「どこが」周吾は答えた。 「だって、バス停に向かう途中、構内を走りながら人にぶつかっても知らん顔だし、出発したバスを止めようとして乗車口のステップに飛び乗ったりするし」明代は熱っぽい。 「ノロノロと前を歩いてるやつが悪いんや。いっつも遅れて出発すんのに、あの時は定刻通りに出発したから止めた

          【中編小説】火焔の中から(第6回)

          【中編小説】火焔の中から(第5回)

           その日から、明代は積極的に周吾に接触してくるようになった。学年が違うので同じ授業を受けることがなく、授業が終わると構内の喫茶室の決まった席で待ち合せるようになった。周吾はコーヒー、明代はミックスジュースを飲んだ。特別なことをするわけでもなく、二人でただ構内を歩いた。周吾がほとんど友達がいないことを告げると、「私もよ」と明代は目線を上げ、周吾の眼を見ながら微笑んだ。  明代は日本の古代史に興味があり、『日本と古事記』という本を愛読していた。父親の影響だという。「国生み神話に基

          【中編小説】火焔の中から(第5回)

          【中編小説】火焔の中から(第4回)

           二年の初春の月曜、ライブハウスの店員数名と徹夜で飲み明かした朝だった。彼らと別れて、六甲道駅前の喫茶店でもうろうとする意識の中、ゆで卵をかじっていると、向かいの席に一人の女の子が座ってきた。 「佐久間君よね。はじめまして。私は、くすみあきよ」というと学生手帳を見せてきた。楠見明代と書いてある。「楠を見あげて明るい時代を祈る人、って覚えて。教育学部の三回生よ。いつもあなたを見てた。何かに追われるみたいに息せききってバスに飛び乗る姿を見て、好きになったの。変でしょう。でもよろし

          【中編小説】火焔の中から(第4回)

          【中編小説】火焔の中から(第3回)

           叔母から恥辱を受けた夜、周吾は布団の中で、叔母とは似ていない母のことを思い出した。眼を瞑ると、眼の下がどす黒い母の顔が現れた。周吾を抱え、一人残された母は、若さに任せ体を酷使して働いた。朝は八時前に周吾とともに家をでて、午後三時ごろに一度帰宅すると、夕飯の支度と掃除をして、五時に華美な服に着替えて再び家をでた。次の帰宅は朝刊の配達と同じ時刻だった。どんな仕事をしているかは一言も漏らさなかった。周吾は毎朝六時半に起き、布団で眠る化粧をしたままの母の寝顔を見つめた後、トースター

          【中編小説】火焔の中から(第3回)

          【中編小説】火焔の中から(第2回)

           周吾は近くの市立小学校に転入した。一人っ子特有の孤独が好きな性格から、クラスに溶け込むには時間がかかった。とりわけ、女子生徒とは、口を利くことさえできなくなっていた。  学校で給食を食べる以外、朝と晩は叔母が作るご飯を食べた。食べさせてもらっている負いめから、叔母の気分次第で夜に浴室で裸にされ、思うままに愛撫されたあと射精する生活を受け入れていた。自分というものはなかった。  叔母は、毎日深夜に、臙脂のブラウスと芥子色のスラックスと赤い靴下一式を洗濯し、夜中に干して、翌朝同

          【中編小説】火焔の中から(第2回)

          【中編小説】火焔の中から(第1回)

           ※これは、某同人誌に掲載した作品です。  一九八六年五月、佐久間周吾は子宮がんで母を亡くした。父も二年前に、脳溢血でこの世を去っていた。小学六年だった周吾は、JR三ノ宮駅近くで骨董品店を営む母の妹に引き取られることになった。  周吾は、叔母が好きではなかった。父の死後、仕事で家を空けがちな母を援助するため、叔母はたびたび堺のアパートにやってきた。両眼が離れた不気味な容姿で、いつも臙脂のブラウスに芥子色のスラックスと赤い靴下を履いていた。合鍵でドアを開けて部屋に入ってくるな

          【中編小説】火焔の中から(第1回)