なぜ自分の「取扱説明書」をつくるのか
今回の記事は、前回の記事の補足のようなものです。
書ききれなかったことはふたつ。
まず、なぜ自分の「取扱説明書」をつくろうと思ったのか。
そして、なぜその場としてnoteを選んだのか。
この記事では前者について紐解いていこうと思います。
1.自分の「取扱説明書」をつくる重要性
発達障害者(あるいは定型発達でも)が自分の「取扱説明書」を作ることの重要性は、こちらの論文でわかりやすく説明されています。
常田秀子(2017)「授業による発達障害学生への支援」,和光大学現代人間学部紀要,10, pp93-102, 和光大学現代人間学部.
発達障害者の困り感の少なからぬ要素として、「自分が何に困っているのかわからない」ということがあると思います。
何か困難にぶちあたってつらいけど、なんで"自分が"こんなにしんどいのかわからない。
そのような状況で、医師やカウンセラーなどの支援者に自分の特性や困り感について正確に伝えることは難しいでしょう。
専門家たちはなぜそうなっているのか、どうしたらいいのかいっしょに考えてくれます。
しかし、こちらが自分のことについて正確に伝えられなければ、彼らの専門性の言いなりになってしまうおそれがあります。
というのも、自分にもそのような苦い経験があるからです。
2.専門家に振り回された経験
① 医師
自分が初めて心療内科の扉を叩いたのは、当時の環境からくるストレスで、アルコールを摂取しないと眠れない状態になっていたときでした。
医師にその状態について話したところ、(正確な診断が下されたのはずっと先のことですが)この抑うつ状態は「双極性障害」であり、原因としては自分の"特性"と当時の環境とのミスマッチが挙げられました。
そして、その"特性"こそが「ADHD」なのではないかと。
この両者については、今でも異論はありません。
自分に発達障害があるのではないかという疑念は初診のずっと前からありました。
また、当時の環境下でしんどさを感じるようになってからは、異常にハイになる時期と、「自分は何もできないんだ」とぐんと落ち込む時期があったという自覚もありました。
それでも、どうしてそんなことになってしまったのか、その状態をどうすればいいのか、心が弱りきった素人の自分にはわかりません。
医師は診察の度に自分の話を聞いてくれ、それをもとに薬を処方してくれました。
その薬の役割についても丁寧に説明してくれました。
自分はただ医師を信じて、診察を受け、処方された薬を飲みました。
どんな治療法があるのかも、そのどれが自分にとって適切なのか、知識もなければ考える余裕もなかったからです。
それから数年が経ち、現在。
それは後悔として残っています。
医師にはいろいろと話を聞いてもらいました。
薬もたくさん試しました。
しかし、それらのすべてが自分にとって必要なものであったのか、今振り返ると首を縦に振ることはできません。
もちろん、どんな治療も試行錯誤を繰り返しながら行うものだと思います。
しかし今振り返ると、自分の特性や今自分に起きていることを正確に把握していたならば、飲まなくて良かった薬も、もっとすべき相談もあったはずです。
要するに、より効果的な治療を受けることができたはずだと思うのです。
② カウンセラー
話は前後しますが、医師の元を訪れる半年以上前から、当時在学していた学校のカウンセリングルームを利用していました。
その頃はまだアルコールへの依存傾向はありませんでしたが、当時の課題へのプレッシャーで落ち込むことが多く、徐々に精神が追い詰められていくのを自覚したことが利用のきっかけでした。
カウンセラーさんは優しく、どんな話でも自分を責めることなく励ましてくれました。
当時の課題ができないと落ち込む自分の"強み"を見出し、考え方を変えてくれて、やる気を出させてくれました。
そうして、気づかないうちに
落ち込む
↓
励まされてやる気を出し、爆発的にがんばる
↓
反動で疲れて落ち込む
というサイクルができあがっていました。
今思えば、これは双極性障害の症状に近かった、あるいは関係していたと思います。
臨床心理士の専門的役割については全く存じ上げませんが、このカウンセラーさんの対応は"間違った"ものではなかったのだと思います。
しかし当時を振り返れば、このサイクルができあがっていたということには、対症療法的な対応に振り回されていたという側面もあったと思います。
繰り返しになりますが、カウンセラーさんが悪いと言いたいわけではありません。
自分の困り感や欲しいモノについて、自分が把握して説明できていれば、振り回されて疲弊することもなかったかもしれないと、今はそう思うのです。
3.自分の「取扱説明書」があったら?
「ADHD」と「双極性障害」との付き合いは一生モノです。これからも"治療"は続いていくのでしょう。
これまでの"治療"が無駄だったとは思いませんが、専門家に振り回されるのはもうごめんです。
自分がどんなときに壁にぶつかりやすいのか、どんなことに困っているのか、あるいは何が"できる"のか。
それらを自分で説明できるようになれば、医師やカウンセラーの考えた"治療"ではなく、彼らを"利用"しながら、自分が望んだ「自分の特性と付き合いながら生きていく」ということが可能になるのではないか。
そう思うのです。
これが、自分の「取扱説明書」をつくりたいと考えた理由です。
では、なぜそれをnoteで行おうと考えたのか。
それについては、次回の記事で説明しようと思います。
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