見出し画像

近頃なんだかモノトーン

お疲れ様です。
スタバの店員さんが可愛かったので、
イキってスタバカードで精算しようとしたら、
残高不足であたふたしながら1000円チャージした
プロペラです。

昔からイキろうとすると
必ず落とし穴があり、
もれなく落ちる星の元に生まれたようです。
同時に話のオチにつながりますので、
お釣りが来るほど美味しかったりするのですが。

イキったら必ず失敗する。
そんな僕の人生、priceless.

基本的にpricelessって
価値がつかないほど貴重なことという意味ですが
今回は本当に価値が無いという意味で
pricelessだなと思った次第です。

さて今回は
使い方で如何様いかようにも変わる、
ある毒の話をしたいと思います。

先週夜の映画再放送枠で
バック・トゥ・ザ・フューチャーを観ていました。
この映画は僕がSF好きになるきっかけになった一作です。
この作品がきっかけとなり80年代〜90年代の洋画、
中でもSFの映画を多く観漁るようになりました。

当時まだ幼かったプロペラ少年は
まだ恐竜は隠れて生きているのかもしれない…
宇宙人が侵略に来るかもしれない…
海賊の財宝は今もどこかに眠っている!
アトランティスはどこかにある!

未知の世界に無限のロマンを感じ、
いつかこの目で見てみたいと強く思いました。
子供の頃は自由に夢を思い描いたものです。
なんと色鮮やかだったことか。
これやりたい!なんて言って大風呂敷おおぶろしきを広げては
畳めずに飽きたり、諦めたりしていました。

しかし、ある程度成長してきて
ネットが使えるようになって
知識が増えると色々気づいてくるわけです。
タイムマシンやアトランティスは
どうやら存在しないらしいことに。

成長するほど昔のように夢を思い描けなくなります。
色が無くなるわけではないけれど、鮮やかさが欠けていく感覚。
知識から、経験から可能なことと不可能なことの
線引きができるようになるからです。

何か夢を思い描いたとしても、
知ってしまった現実や、限界から感じる劣等感などが邪魔をして、
やりたいけど無理だ。の繰り返し。

きっと今でもできるはずなのに、
歳を重ねるほどに広げる風呂敷ふろしきは小さくなっていきます。

最終的には日々の生活の中で気力さえ奪われ
できないことはやらないとか
責任とか、この年齢だし今更みたいな気持ちが
風呂敷を広げる前に棚に戻してしまいます。

正直な話、僕は普段ニートは気楽だ。我は働かざる者なり。
なんてなことを言っていますが、不安がないわけではありません。
いま自分がしていることが理想につながっていくのか
わからないまま続けていく日々で、
最近は身内のことや最近始めたバイトで消耗し、
なかなかやりたいことができていない焦燥感しょうそうかん

以前記事でやりたいことがたくさんある
どれから手をつけようか。と言っていたことがありました。
いまもそれは変わりませんが、自分が消耗している現状から
風呂敷のサイズがどんどん小さくなって、たたみつつある気がしています。
守るものもないのに、守りの体制に入っている。
なにしてるんだろうという気持ちや、
日々大きくなっていく不安や焦りに
気づかないフリをしながら生活していました。

そんな中バイト中に出会った、趣味が仕事になった女性に
話を聞く機会がありました。

僕の現状を聞いた彼女は
「自信を持ってフリーランスって言っていいと思う。
私がプロペラくんくらいの頃はハッタリばかりだったよ笑」
という言葉をくれました。

フリーランスのくだりはコチラに↓

別になんてことない言葉でしたが、
長いこと仕事を続けてきた彼女からの言葉だからこそ
真実味があり、ふっと背中を押されたような気がしました。
人間ちょろいもんです。

まだ何の実績もなく、何者でもないけれど
もっと突飛とっぴな目標掲げて、
愚直ぐちょくに突っ込んでいってもいいのでは?
高らかに宣言してちょっとホラ吹くくらいでいこう
失敗してもいいじゃない!もっと自信持とう!
なんて前向きな気持ちになることができました。

正直な話有償依頼受け付けてます!って言っている人の中には
え、この仕上がりで…?みたいな人もいますし、
多少自分の絵のクオリティに自信がなくても
割とドヤ顔でお金もらいます!この値段です!って
主張していっていいかもしれない。
それこそ突っ込ませない空気感が大事なのかもしれません。

突っ込ませない空気感の話はコチラ↓

しかし勢いだけで突き進むのは非常に危険で、
若さゆえの勢いやハッタリという免罪符めんざいふに甘えて
ハッタリどころか嘘をつくようなことは絶対にあってはなりません。
勢いと冷静さの両立が大事だと考えます。

大学時代授業でうつ病傾向の人の方が、楽観的な明るい人よりも
現実を正確に把握できていたという研究結果を聞いたことがあります。
ソースはありませんが、近しい記事を見つけましたので
ここに貼っておきます。

うつ病的リアリズムというものらしく、臨床りんしょう現場の先生からすると
"部分的には合っているが、誤っているところもある。"そうです。
詳しくは記事をご覧ください。

話を戻しまして、何が言いたいかというと
風呂敷を畳ませる厄介な存在と思っていた劣等感が、
実は自分の立ち位置を見定めるために
風呂敷のサイズを定期的に測量して
調整してくれる存在になりうるということです。

やたらと苦いから毒かと思ったら、
良薬口に苦しということだったのかもしれません。
毒から作られる薬もありますしね。

この良薬なにがしとはうまく付き合って行きたいところ。

勢いに任せるでもなく、劣等感に押し殺されるでもない。
一方で、時には勢いが必要だったり、
立ち止まることも必要だったりしますから
バランスが一番大事なんですね。

こんな僕にも面白い、才能があると言ってくれて
お仕事をくれたり、ご飯を食べさせ仕送りまでして
応援してくれる人たちがいます。

日頃お世話になっている皆様のためにも、
まだ見ぬ皆様のためにも、
不安や劣等感と向き合いながら
いま一度風呂敷の採寸を始めたところで
今回の記事はお開きにしたいと思います。

皆様の心強さと感謝の気持ちを忘れずに
地道にやっていきますので、
これからも何卒よろしくお願いいたします。

僕の、そして皆様からのこの気持ち、priceless.



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?