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トラブルトラベル in タイ / the Man named Pracha

プラチャという名のタイの青年が私に声をかけてきたのは
夕方、陽が傾きかけた頃だった。

Hello, How are you doing?


2月6日               
久しぶりの海外、初めてのタイ。
予定など何も決めていない4週間の1人旅だ。
しかし、右も左もわからない私はその初日の朝からタイ人のいいカモになっていた。
朝いちで乗ってみたトゥクトゥク。その運ちゃんの
「ワット・ポーは今日は休みだよ。代わりにもっといいお寺を案内するよ。」
により、小一時間よく知らないお寺を見学。
その後、
「あんたをお店に連れて行くとクーポンがもらえるんだ、
人助けだと思って、ちょっと行ってくれないか?
生活がかかっているんだ...。」
という泣き落としに引っかかり、ほとんど観光地そっちのけで1日中、
欲しくもないスーツの仕立て屋や宝石店、旅行代理店など
(もちろん何も買わなかったが..)次々連れ回された。
夕方になり、ようやく解放され、宿泊しているカオサンのゲストハウスへ向かってラチャダムヌン ロードという大通りを歩いている時だった。
                 
Are you Japanese?
How long have you been in Bangkok?

え、こいつ英語しゃべれるんだ..。
その日、トゥクトゥク運ちゃんや屋台のおっちゃんとの会話で
タイ人がロクに英語がしゃべれないことを知って、
かなりガッカリしていたところへの彼の登場。
                
160センチあるかないかの小柄な彼は
黒いスラックスにベージュのポロシャツを着ていた。
徳井 優って俳優と映画ラ・バンバのルー・ダイアモンド・フィリップスを足して割ったような顔。キッチリと刈り上げられた角刈りっぽい短い髪型はどこか軍隊をイメージさせる。はっきり言ってセンスわる...。
日本人だったら決して友達にはなろうとは思わないタイプだ。
でもこいつはタイ人、そして英語が話せる。このポイントは高かった。
せっかくタイに来たんだから西洋人や日本人ではなくタイ人と話がしたい。
しかし、私はタイ語は話せない。だから英語の話せるタイ人はまさに理想だ。
私はコミュニケーションが図れることを嬉しく思い、
Wow, You can speak English very well.
Yes, I'm from Japan. Today is a first day in Bangkok.
と、つい返事をしてしまった。
するとYour English is good also. と彼。
                
この出会いが災難の始まりだった。
               
今は休暇中だから暇なんだ。よかったらバンコクを案内するよ。
「じゃあ、とりあえずバンコクの詳しい地図がほしいんだけど...」
と話してみると本屋を何軒も回って地図を探してくれた。
その後、「食事でもしないか。うまい店があるんだ。」と誘われ
彼の行きつけのレストランへ行くことになる。
           
トゥクトゥクを拾うのかと思ったらバスに乗るという。                     
観光客にとってバンコクのバスに乗るのは難易度トリプルA である。
バスの車体にはルートを示す「番号」が表記されているだけなので
どこ行きなのか皆目見当がつかない。
バス停にも路線図がないのにどうして行き先がわかるんだ?と彼に訊くと
全部、頭に入っているんだ。「ここにね。」と、
笑いながら指でこめかみをトントンと叩く。 ....すごいもんだ。
地元の人しか乗らないようなバスに乗る、1人ではきっとできないことだ。
やっぱりタイ人と行動を共にするのは正解だと、ちょっと嬉しくなった。
                  
ローカルなレストランには誰も客がいなかった。
店内には電気もついておらず、とても営業しているようには思えなかったが
彼はあたりまえのように中へ入って、奥にいる店員を呼ぶと
ビールと空芯菜の野菜炒めやサラミなどを注文した。
ビールといっしょに小さな青唐辛子が生のまま出てきた。
プリッキーヌと呼ばれる唐辛子の中でも一番辛いヤツだ。
彼はヒーヒー言いながらも、うまそうにかじり
ビールの入ったグラスを傾ける。

プラチャという名前の彼は保険会社に勤める26歳。
給料は12,500バーツ(4万円弱)なのだそうだ。
でも食べ物が安いから何も問題ないんだという。
確かにそうだ、タイでは一食20~30バーツ(60~90円)で食べられる。
日本よりもここの方がずっと豊かな生活が送れるのではないか...。そんな気がした。
             
話してみるとどうやら彼は親日家らしい。
「日本人は優しい。いままでタイの為に日本はいろいろしてくれた。
だから俺は日本人が好きだし、日本人には親切にしたいと思っているんだ。」
「天皇ヒロヒトがタイへ来た時のことは子供だったけどよく覚えている。」
「日本のアニメは大好きだよ。ドラえもん、クレヨンしんちゃん、一休さん。」
そして東京のこともいろいろと知りたがった。
               
ビールを次々注文しては空けていき、気が付けば二人ともかなり酔っぱらっていた。
私のビデオカメラでお互いを撮り合いっては大笑いし、ハシャいだ。
           
お酒のせいかもしれないが、彼は感情の起伏が激しかった。               
カラオケを歌って盛り上がったかと思えば、突然しんみりと
オーストラリアへ留学した彼女に男が出来てフラれた話をし出す...。
             
フラれ話をうけて、オレは以前友達に彼女を取られたことがあって...と話すと
今度はいきなり真顔になり、まるでマンガの不良が喧嘩で相手を威嚇する時のように拳をつくるとパーンともう一方の手のひらを叩き、怒り始めた。
「そんなヤツ、俺はゆるせない。ぶん殴ってやりたいよ。」
「...ファック....ファック」と何度も手のひらを殴った。
              
いきなりのオーバーアクションと
他人の話でそこまで熱くならなくても...と多少引いたが、
親身になって考えようとしてくれていることが伝わってきて嬉しくもあった。
けっこうイイヤツなのかも知れない。彼のことをそう思うようになっていた。
                  
                             
その後、さらに彼の酔いは回り、饒舌さもどんどん増していった。
「たくさんの浅い友人より、心の通い合う1人の友人が大切だ。」
「もし俺が東京へ行ったら頼むぜ。その代わりここでは俺が何でもケアしてやる。」
「もしかしたら明日死ぬかもしれない、だから今を楽しむんだ。」
「良い事をすれば自分にも良いことが返ってくるし、
悪い事をすれば自分にも悪いことが返ってくる。それが仏陀の教えだ。」
など、ベロンベロンに酔っぱらいながら力説していた。
              
「明日は車でどこかへ行こう。そしてあさってから実家があるチェンマイで
お祭りがあるからいっしょに行かないか?」
「いいねぇ、行こう行こう。」
              
深夜まで飲み、最後はちゃんと私が泊まっているカオサンロードまで送ってくれた。
飲み代もタクシー代も全て彼が払おうとしたが、それでは悪いのでいくらか差し出すと余計な気を遣うなよ、という感じで睨みながら受け取った。
               
いいヤツじゃん。

      

          
2月7日
            
翌日の昼12時、約束通り彼はカオサンロードの警察の前で待っていた。
車は向こうだからと何ブロックか歩いて行くと路地に紺色のワゴン車が停めてある。
彼は後ろのドアを開け、クーラーボックスからワインを取り出すとコップに注いで私に手渡した。
助手席に座ると今度は茹でたトウモロコシを差し出す。
                 
用意してくれていたんだ...。なんて気のきく優しいヤツだろう。
「サンキュー」
「モンダイナイ」
問題ない---は昨日、私が教えた日本語だ。
              
まずはヨ-スケを博物館へ連れて行くよ、と車を走らせる。
「日本の人形も展示されてるんだよ。」
「へぇ」
駐車場に車を停めると
「俺は前に見たから1人で行ってきな。ここで待ってるよ。」と彼は言った。
なんだ、そうなの?と妙な違和感を感じつつ、
カメラの入ったバッグを背負うとチケットを買った。
                
その博物館は広い公園の中にいくつもの館が点在し構成されていた。
全ての建物を見学したら何時間もかかるだろう。
古い時計や織物を展示する館、タイの国王の写真を展示する館...。
彼が言うように日本人形や着物が展示されている建物もあった。
しかしこれと言って興味を引く物はなかった。
かれこれ1時間ほど見て回って車へ戻った。
                
「面白かったかい?それじゃ、これから海へ行かないか。パタヤビーチって知ってるかい?」
これから行こうというのだから1時間程で着くのかと思っていたら意外と遠く、途中渋滞に巻き込まれたこともあってパタヤに着いたのは5時過ぎ。3時間もかかった。陽はすでにかなり傾き、ビーチはオレンジ色に包まれていた。
                  
砂浜に座りビールを飲みながら、夕日が水平線に沈むのを見た後
私たちは向こうに見える展望台へ行ってみることにした。
辺りには高い建物がなく、展望台だけが巨大にそびえ立っていたから
遠近感が狂ったのだろうか。近いと思って歩き出したのにいっこうに辿り着かない。
バカなことを始めてしまったもんだ。
途中引き返すことも考えたが、それもシャクにさわると延々歩くこと1時間、
着いた時にはあたりは真っ暗。....展望台も終わっていた。
(何てこと...。)
呆然としていると、プラチャは無言で歩きだした。それもあらぬ方向へ。
来た道を帰るのが最短距離なのに展望台に併設しているホテルを迂回しようとしている。
                
何か考えがあるのかとついて行く。
しばらく歩いているとソンテウ(トラックに幌をつけた乗り合いタクシー)が
私たちの横を通りすぎていった。ソンテウに乗ろう。
それから後ろを気にしつつ歩き、3台目にしてようやく停めることに成功した。
西洋人の間に窮屈な思いをしながら乗り込み、ホッとしたのもつかの間、
車は私たちが行きたいのとは別の方向へ曲がった。
大丈夫なのか?と不安になるが、そんな事を言われたら彼も嫌だろうと思い、何も言わずにいた。
                     
案の定、タクシーは全く知らない繁華街に着いた。
しかたなくまた歩き、乗り合いタクシーに飛び乗る。知らない場所で降ろされる。また歩く....。
行き先を伝えて乗らなければ行きたいところへなど行ってくれるわけがない。
しかし、車を停めた場所の名前がわからないのだ...。
ビデオに何か映ってないかと閃いて再生してみるも、ストリート名を記した標識などは撮れていなかった。
タクシーに乗り、そして降り、歩く。そんな不毛な行為をほとんど無言で2時間以上も続けたのちようやく奇跡的にも車を停めた海岸に戻ってくることが出来た。
時計は9時を回っていた。....くたくただった。
結局、通りにズラッと立ち並ぶバーに入ることもなく、パタヤをあとにした。
             
バンコクへ着いたのは時計の針が11時半を指した頃だった。
すぐにでもベッドに横になりたい。それくらい疲れていた。
彼もそうだと思っていたのだが、....違ったようだ。
「1人、家で飲むのは寂しいからつきあってくれよ。」と、
彼は半ば強引に昨日のレストランへ車を走らせた。
送ってもらわねば帰れない私は渋々つきあうことにした。
               
               
今、思えばここで自分の意志を通して帰れば良かったのだ...。
            
           
酔いはアッという間に廻った。

途中、フラフラしながら車に置いてきたバッグを取ってきて、
お客やお店のコの写真を撮ったことは覚えている。
プラチャは私の一眼レフカメラを見て
「カメラも持っていたのか...知らなかった。
昨日、今日と一度も出さなかったじゃないか...。」と、驚いていた。
酔っぱらいのおばちゃんがやたら歌がうまくて拍手した記憶もある。
「明日はいっしょにチェンマイへ行こう。お昼に警察前で待っている。」
そんな話もした。.....あとはよく覚えていない。
後半は酔いと眠気で意識は朦朧としていた。
頭の中で心臓がドクンドクンと収縮していた。
               
「ヨ-スケ、もう帰ろうか。」2時を過ぎていた。
私は半分寝ぼけたまま店を出て車に乗り込んだ。
そして助手席に座るとまもなく私は眠ってしまった。
             
ゲストハウスのあるカオサンロードまでは10分もかからないはずだった。

............。
             
ふと、体に揺れを感じて目が覚めると車はまだ走り続けていた。
(あれ、まだ着かないの...?)
ぼんやりとしながら窓の外に目をやった私はその風景に愕然とした。
                   
車はアスファルトではなくデコボコの砂利道を走っている。
辺りは街灯などひとつもなく真っ暗で、
ヘッドライトに浮かぶ家々はどれも驚くほどみすぼらしい。ほとんど廃墟だ。
(いったいどこだ...?ここは。)
どう見ても私の知っているバンコクじゃない。
プラチャは目が覚めた私に気づくと
「俺のお兄さんを紹介したいと思ってさ。ちょっと会ってくれないか?」と言った。
そして程なく車は停まった。
           
「あそこにいるのが兄さん。」
示された横手の路地を見て私はゾッとした。
           
真っ暗な道の真ん中でゴザを敷き、たき火にあたっている男がいる。
あぐらをかき、背中を丸め、長く伸びた髪の間から男はこちらを見ていた。
脇には大きなガジュマルの木が路地に被さるように生えていて、
柳のように垂らした枝葉が炎に照らされて陰影を揺らしている。
男の後方には崩れかけた廃屋が赤く浮かび上がっていた。
             
高層ビルが建ち並ぶ都会のバンコクにいたのに、
目を覚ましたら辺りに1つの街灯もないスラムに連れてこられているのだ。
目の前の風景と自分の置かれている状況に激しく動揺した。
...が、決してあわてた素振りは見せず平静を装い車を降りた。
            
お兄さんだというその男はプラチャとは全然似ていなかった、というより
どう見ても全く別の血統だ...。そしてプラチャーより若かった。
             
プラチャが男の名前を呼ぶと、男はゆっくりと立ち上がった。
どんよりとした目つき。かなり酔っているようだ。
見るとゴザの上にはビールやウィスキーの瓶が転がっている。
            
プラチャは男に私を紹介すると、続けてなにやらタイ語で話した。
男は奥の廃屋へ行き、ビールを持ってくる。
また酒か....。
たき火に向かい、3人並んでゴザに座ると乾杯した。
予想に反して和やかな展開だ。
プラチャーはビールを一口飲むと、何かを思いだしたかのように車へ戻っていった。
忘れ物でもしたのだろうか...。
          
男は物腰の柔らかい静かな人だったので多少安心したが、
初対面の、まともに英語を話せない男と会話などつづくわけもなく、
後はただ、たき火を見ながらビールをチビチビ飲むしかなかった。
     
          
しばらくするとプラチャが昼間のワインを手に戻ってきた。
飲むかと勧められるが、もうこれ以上飲めないと断った。
プラチャはグラスにワインを注ぎ、グイッと飲み干すと
「それじゃ、そろそろ行こうか」と立ち上がる。
(え、もう?)と戸惑いつつ「それじゃ。」と私も手を振り、車に戻った。
妙にあっさりとした別れだった。
男と会ってまだ10分も経っていない。
          
ここに連れてこられた時はただならぬ雰囲気を感じたが、
結局何も起こらなかった。どうやら全くの思い過ごしだったようだ。
           
じゃあ、いったいなんだったんだろう。
お兄さんに紹介するってなんの意味があったんだろ...。
          
狐につままれたような感覚だけが残ったが
ちゃんとカオサンロードまで送ってもらい、
部屋に戻り、ベッドに倒れるとそのまま眠ってしまった。
           
           
           
2月8日
           
朝4時に寝たのに、9時に目が覚めた。
旅行中は何故か早起きになる。いい天気だ。
今日はチェンマイへ発つ。プラチャとは12時半の待ち合わせだ。
まだ時間はたっぷりある。そうだ、ビデオのバッテリーを充電しなくては...。
昨日は帰ってきて何もせずに寝ちゃったからな...。
充電器のプラグをコンセントに差し込んだ後、ベッドに座り
リュック型のバッグを膝の上に置くとジッパーを開けた。
          
すると黒いバッグの中に浮いている円形の白い物体が目に入る。
何これ?....ん、キャップ?
バッグに手を入れる。
つまみ出すつもりの動作は思いがけず、それを引き上げる動きになった。
               
出てきたのは1.5リットルサイズの薄汚れたペットボトルだった。
なんだ、これ? 
(こんなものバッグに入れた覚えはない...。)
              
ラベルはほとんどが剥がれ落ち、ボディは擦れて出来た無数のキズで白濁し、
中には濁った水が半分ほど入っている。
....全く記憶にない代物だ。
なんでこんなものがオレのバッグから出てくるわけ....?          
わけがわからぬまま、ペットボトルを脇に置き、
再度バッグの中をのぞきこんで絶句した。
      
ビデオカメラとカメラが両方とも消えている。
         
瞬間、何が起こっているのか状況がのみこめなかった。
....、うそだろ!?
         
だが現実だった...。
バッグをひっくり返してみてもガイドブックとタオルしか出てこない。
        
いつなくなったんだ???寝ている間に誰か入った...?
部屋のドアを見る。内側から鍵がかかっている。窓にもしっかりと鍵がかかっていた。
それじゃあ....いったい...。
       
慌てて昨夜のカメラに関する記憶を辿った。
パタヤから帰ってきてレストランへ行き、飲みながら写真を撮って、
カメラをバッグにしまったのはレストランを出る時だった。
だからなくなったのはそれ以降でゲストハウスに帰ってくるまでの間だ....。
        
...って、じゃあ たき火の男と酒を飲んだ時しかないじゃないか..?
え、うそだろ!? プラチャが...!?
あの時、バッグは車に置いたままだった。
彼はワインを取りに車に行ったのだと思っていた。
       
彼はビデオとカメラをバッグから抜き取ると
同じ重さになるように水の量を調整してペットボトルをバッグに入れたのだ...。
       
ショックだった。友達になったと思っていたのに。
            
            
         
様々な彼のセリフが思い出された...。
「ビデオだけじゃなく、カメラも持っていたのか...知らなかった。」
助手席に座っている時、バッグを膝の上に抱えていた私に言った言葉。
「バッグは足元に置いたらいいよ。」
気遣ってくれているのだと思っていたが、その本当の意味は...。
             
「良い事をすれば自分にも良いことが返ってくるし、
悪い事をすれば自分にも悪いことが返ってくる。それが仏陀の教えだ。」
なんて言っていたのに...。
             
最初に行った博物館で、もし私がバッグを車に置いて見学しにいったら
彼はそのまま消えていたんだろうか。
            
わざわざバンコクから3時間もかかるパタヤビーチへ連れていったのも、
道に迷い何時間も歩いたことも、全ては私を疲れさせ
酔いやすくさせるための作戦だったのだろうか。
               
ただ、たき火の男に会ったあの場所で
カメラを盗まれたことに気づかなかったことは
逆に不幸中の幸いだったとも言える。
                
もし真っ暗で何もないあの場所で気づき、騒いだりしていたら....。
2人の男は態度を一変させ、それこそとんでもない事になっていたかも知れない。
無傷でいられるだけラッキーか...。
               
             
.....その日の午後、私は警察で盗難証明を書いてもらった。
そしてカメラ屋を探すと中古の一眼レフカメラを買った。          

.....その日の午後、私は警察で盗難証明を書いてもらった。
そしてカメラ屋を探すと中古の一眼レフカメラを買った。          
ビデオカメラは残念だが、あきらめることにした。
悔やまれるのはカメラにセットされたままだったビデオテープ。
カオサンロードの熱気やオレンジ色に染まったパタヤビーチが映っていた。
それらはもう二度と観ることはできないのだ。
そして、カラオケを熱唱する犯人の映像も...。
              
しばらく経ってからガイドブックを見ていると、
「旅行中だまされないように、こんなヤツには気をつけよう。」
....と、次のようなことが書かれていて情けなくなった。
         
1)とにかく相手から声をかけてくる。
Helloなどと声をかけてくる。携帯電話を持ち、
職業も大学教授、警察官など社会的地位があるようにみせかける。
親日家的態度。
          
2) すぐ親しくなろうとする。
会ったばかりなのに妙に親しげ。食事をおごってくれたりする。
        
3) 英語が上手
「キミは英語が上手だね、他の日本人とは違うね」
          
4) 情に訴えかける
「日本人には以前世話になった。だから親切にしたいんだ。」
         
     
そのまんまじゃんか...。(涙)
            
            
            
それから約半年後、

10月後半から11月前半かけて私はまたタイへ旅行した。
その最終日、あと何時間後には日本へ帰らねばならないという夕暮れ時、
私は最後の食事をしようと屋台をめざし、カオサンロード周辺を歩いていた。
              
すると前方からタイ人とバックパックを背負った白人がやってくる。
How long have you been in Bangkok?
小柄なタイ人は白人を見上げながら話しかけている。
彼らとすれ違う瞬間、なにげなくそのタイ人に目をやった私は
思わず声にならない声を上げてしまった。
              
なんとプラチャだった。
              
私は突然の出来事に、そのまま口を「あ」の形に開けたまま固まっていた。
彼はまだ同じことをしているのか...。
きっとあの白人が今回のカモなのだ。
                          
それにしても神様はニクイ演出をする。
前の旅の初日に出会った彼に
今回の旅の最終日、それも最後の最後にもう一度会わせてくれるとは。
      
彼は私に気づかずに通り過ぎていった。
私はそんな彼らの後ろ姿を複雑な思いで見送った。

バッグの中から出てきた汚いペットボトル


            
                
          
               

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