【劇評306】野田秀樹渾身の問題作。『兎、波を走る』は、私たちを挑発する。十枚。
ドキュメンタリー演劇ではない。プロパガンダ演劇でももちろんない。
けれども、モデルになった被害者の母の名前も顔も声までも、明瞭に浮かんでしまう。また、この事件が納得のいく解決が今だなしとげられていないことも、私の喉に棘のようなものが突き刺さったままである。
そのため、雑誌『新潮』八月号に『兎、波を走る』の戯曲が全文掲載されるまで、正面から劇評を書くことが躊躇われていた。ただ、戯曲がのったからは、観客には、観劇の前に読む自由もある。もちろん、観劇のあとにとっておく自由もある。あるいは観劇の前に読んでしまう選択肢もあるだろう。
これから書く劇評も、どの時期に読むか、読者それぞれに判断していただきたいと思う。
野田秀樹が、北朝鮮による拉致被害について問う。
これは私にとって全く予想がつかず、劇場で劇が進むごとに、横田めぐみさんの拉致について、現実の事件と重ね合わせずにはいられなかった。その意味で、『兎、波を走る』(作・演出野田秀樹)は、劇作家野田がこれまで信じ、紡いできた妄想の働きについて、自分自身が痛烈な批評を加える問題作となった。
次々と謎が提示される。
いくつか疑問がある。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。