【劇評329】勘九郎、長三郎の『連獅子』。名人、藤舎名生、裂帛の笛に支えられ、難曲を見事に踊り抜いた。六枚。
勘三郎のDNAが確実に、勘太郎、長三郎の世代にまで受け継がれている。そう確かに思わせたのが、十八世十三回忌追善の三月大歌舞伎、夜の部だった。
まずは、七之助の出雲のお国、勘太郎に猿若による『猿若江戸の初櫓』(田中青磁作)。昭和六十年に創作された舞踊劇だが、江戸歌舞伎の創始者、中村座の座元、初世中村勘三郎をめぐって、その事跡をたどる。
七之助、勘太郎の出から、七三でのこなしを観るにつけても、すでに勘太郎には強い型の意識があるとわかる。型だけではなく、中村屋の核にある心が、短い冒頭だけでも感じられる。
勘太郎は勘九郎に似て、両の手が大きい。その指先までも神経を行き届かせる。それは、勘太郎自身が、自らのからだの条件を踏まえて、踊りの美しさを表現しようと志しているのがわかる。
手が大きいのは、決して短所にはならない。猿若の衣装を、その手の美しさ、躍動感が引き立てる。逆の言い方をすれば、衣装負けしないだけの力量が備わっている。
芝翫、福助が華をそえる。七之助が踊ると、中村座の立女方としての自負心が感じられ、風格というとなにやら大袈裟だけれども、自分自身の風をまとうようになったと思う。
そして、勘太郎は、達者な踊りという域に留まらずに、中村座の若大夫としての背筋の伸び方が感じられた。これは、十八代目、勘九郎、勘太郎と相続されている尊厳なのだろう。
若衆方は、六人揃って華やかに。坂東亀蔵、萬太郎はじめ、丁寧で狂いのない踊り。昼の部で『野崎村』の大役を勤めた鶴松は、決して奢らず、若衆方に徹していて好感が持てる。
つけくわえれば、勘太郎は、綱紐の扱いも、よく稽古したのだろう。決して、重さのある紐に使われていない。小道具を自分のものとしている。
さて、芝翫がいがみの権太を勤める『すし屋』。今回は、「木の実」が出ないので、権太の力量が問われる。芝翫は初役とは思えないほど、こなれた芝居を見せる。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。