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長谷部浩の俳優論。

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歌舞伎は、その成り立ちからして俳優論に傾きますが、これからは現代演劇でも、演出論や戯曲論にくわえて、俳優についても語ってみようと思っています。
劇作家よりも演出家よりも、俳優に興味のある方へ。
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#中村芝翫

【劇評329】勘九郎、長三郎の『連獅子』。名人、藤舎名生、裂帛の笛に支えられ、難曲を見事に踊り抜いた。六枚。

【劇評329】勘九郎、長三郎の『連獅子』。名人、藤舎名生、裂帛の笛に支えられ、難曲を見事に踊り抜いた。六枚。

 勘三郎のDNAが確実に、勘太郎、長三郎の世代にまで受け継がれている。そう確かに思わせたのが、十八世十三回忌追善の三月大歌舞伎、夜の部だった。

 まずは、七之助の出雲のお国、勘太郎に猿若による『猿若江戸の初櫓』(田中青磁作)。昭和六十年に創作された舞踊劇だが、江戸歌舞伎の創始者、中村座の座元、初世中村勘三郎をめぐって、その事跡をたどる。

 七之助、勘太郎の出から、七三でのこなしを観るにつけても

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【劇評294】仁左衛門の水右衛門に、悪の真髄を見た。

【劇評294】仁左衛門の水右衛門に、悪の真髄を見た。

 「一世一代」とは、その演目をもう二度と演じない覚悟を示す。役者にとって重い言葉である。

 仁左衛門はこれまで、『女殺油地獄』、『絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)』、『義経千本桜』「渡海屋・大物浦」を、一世一代として演じてきたが、二月の大歌舞伎では、自らが育ててきた演目『通し狂言 霊験亀山鉾—亀山の仇討—』もその列に加わった。

 もちろん淋しさはつのるけれども、筋書によれば「この狂言は、長い

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【劇評237】勘三郎が演じていない役を、勘三郎のように演じてみせる勘九郎。七世芝翫十年祭の『お江戸みやげ』。

【劇評237】勘三郎が演じていない役を、勘三郎のように演じてみせる勘九郎。七世芝翫十年祭の『お江戸みやげ』。

 懐かしい演目が歌舞伎座にあがった。

 北條秀司の『お江戸みやげ』は、十七代目勘三郎のお辻、十四代目の守田勘弥のおゆうによって、昭和三〇年十二月、明治座で初演されている。もとより私はこの舞台を年代的に観ていないが、先代の芝翫が、六代目富十郎と組んだ平成一三年、歌舞伎座の舞台を観ている。

 吝嗇で金勘定ばかりしているお辻が、酒を呑むうちに気が大きくなり、ついには役者を茶屋によぶにまで至る話は、大

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【劇評232】歌舞伎座第二部、七月は白鸚の『身替座禅』の内省。菊之助の『鈴ヶ森』の気迫。

【劇評232】歌舞伎座第二部、七月は白鸚の『身替座禅』の内省。菊之助の『鈴ヶ森』の気迫。

一年のうち、もう半分が過ぎたのか。
 終息の気配が見えないコロナウィルスの脅威のなか、懸命の興行が続く。
 歌舞伎座の七月大歌舞伎、第二部は、白鸚、芝翫の『身替座禅』に、菊之助、錦之助の『御存知鈴ヶ森』が並んだ。

 まずは、『身替座禅』。白鸚の山蔭右京が初役とは驚いた。年表を見ると十七代目勘三郎を相手に、初代白鸚(八代目幸四郎)は、玉の井を昭和二十六年に立て続けに勤めている。
 ともあれ、白鸚の

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