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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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2020年11月の記事一覧

役者人生に微妙で、重大な影響を与える「代役」。玉三郎、三津五郎、海老蔵、菊之助について。

 代役という言葉にひかれる。  歌舞伎の世界に留まらず、代役によってチャンスを得た人は多いに違いない。  私が一九九九年から五年ほど、日本経済新聞で現代演劇の批評を書く機会を与えられたのも、代役だったと聞く。  予定していた筆者に不都合があって、亡くなった文化部編集委員の川本雄三さんが推薦して下さった。川本さんとは芸術祭の審査委員でご一緒していたときに毎日のように劇場でお目にかかった。その決め手になったのは、「観劇態度がよい」だったと周囲から聞いた。姿勢を崩さずに観ていたのが

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玉三郎の代役を菊之助が勤める。歌舞伎役者のたしなみについて考えた。

 歌舞伎役者の誇りは、急な代役が勤められるところにある。  レパートリーシアターならではのプライドだが、めったに出ない演目、しかも一座に過去に勤めたことのある役者がいない場合は、いったい、だれから教えを受け、突発的な代役となるのか、昔から、疑問に思ってきた。  今回、十二月の歌舞伎座第四部『日本振袖始』もまた、かなり例外的な代役となるのだろう。  岩永姫を勤めるはずだった玉三郎が新型コロナウイルスの濃厚接触者となり、一日の初日から七日までは、菊之助が代役と決まった。  一

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菊之助は、玉三郎の代役、岩長姫を誰に教わるのだろう?

 感染者数の拡大とともに、私の身近にも関わりのある人が見つかるようになってきた。  今日、もっとも驚愕したのは、坂東玉三郎が来月の歌舞伎座、第四部『日本振袖始』を七日まで休演するとのニュースだった。  日刊スポーツの伝えるところによると「22日に新型コロナ感染を発表した片岡孝太郎(52)と対面で会話をする機会があったため。2人ともマスクをしており、会食などではないという」という。  国立劇場第二部「毛谷村」は、孝太郎が感染したために千穐楽まで中止となった。普通に考えれば、

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【劇評193】歌舞伎座第四部は、花形が時分の美しさを競っている。

 歌舞伎座第四部。未来の歌舞伎を背負う花形を観るための舞台だ。  獅童による『四の切』だが、規矩正しく演じる心構えが全体に感じられない。すくなくとも、前半、本物の佐藤忠信でいる間は、武士の品格、矜恃が感じられなければ、後半狐忠信となってからの舞台が、生きてこない。年齢的にこうした古典の本格に取り組みたい時期ではあるが、獅童のよさがでる演目の選定には、慎重かつ繊細な智慧が必要だろう。

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【劇評192】白鸚の『一條大蔵譚』。作り阿呆よりは、知性ある趣味人として。

 感染症対策のために歌舞伎座は、四部制をやむなくとっている。十二月も同様だと聞く。この上演形態が長く続くと、歌舞伎上演のありかたについて、考えざるを得ない。  十一月歌舞伎座第三部は、『一條大蔵譚』の「奥殿」単独の上演である。「檜垣」を欠くのは、上演時間の関係だろう。あまり出ない「曲舞」は、もちろんである。  そのため、大蔵卿の役作りがむずかしく、まっさらな気持ちで観ると、狂言や小舞を愛して、憂い世に向かい合わずにいる人間の孤独、さみしさをつたえるのはむずかしい。  そ

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【劇評191】藤田俊太郎演出、城田優主演の『NiNE』。カサノヴァの命運と失墜。

 極上のエンターテインメントとして、『NiNE』(アーサ・コピット脚本、モーリー・イェストン作詞・作曲 藤田俊太郎演出 小田島則子翻訳・日本語字幕、髙橋亜子訳詞 島健音楽監督)は、コロナ渦に揺れる日本をいっとき慰めた。イタリアのフェデリコ・フェリーニ監督の自伝的な映画『8 1/2』を原作とした舞台版は、一九八九年にブロードウェイで初演されている。  私には、二○○四年に上演されたデヴィッド・ルヴォー演出が深く記憶に刻まれている。その後、この舞台版をベースに制作された映画『NI

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テロに襲われたウィーンとロックダウンについて。

ウィーン大学の日本学が出している紀要「MINIKOMI」の原稿が、ようやく手が離れる。最後の詰めの段階で、ウィーンは、無法なテロリズムに襲われ、しかもロックダウンになったので案じておりました。 特に夏学期に教えていた学生の安否が気になったのですが、安易にメールを書くのもどうかと思い、わだかまった気持ちをかかえながら二週間を過ごしてきました。

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【劇評190】仁左衛門の『毛谷村』の粋。踊り二題は、梅枝の自在。鷹之資、千之助の懸命。

 広大なロビーを一階と二階に持つ幸福。トイレために行列もできにくい。幕間取れる。三密もおのずと避けられる。国費を投入した権威主義的な建物が、こんなときに役に立つものだと妙なところで感心した。  今月の第一部、第二部は、時間の制約はあるものの歌舞伎を観る醍醐味がある。  この危機に際して、国立劇場の制作はじめスタッフが、歌舞伎の未来を担保しようと懸命に智慧を絞っているのがわかってうれしくなった。  さて、第二部は、仁左衛門の『毛谷村』である。  騙されやすい剣の達人が、不思

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【劇評189】「生まれも育ちも、日本じゃ」。文学座『五十四の瞳』がともに生きる意味を問う。

 人間はどれほど辛い命運に襲われようとも、必死で生きていこうとする。その判断がときにあとから振り返って「正しく」はなくとも。  『五十四の瞳』(鄭義信作 松本祐子演出)その迷いとのちの後悔を描いて、すぐれている。  在日コリアンの一家を描いたミン・ジン・リーの小説『パチンコ』(文藝春秋 二○二○年)を読み終わった翌日、この劇を観た。  瀬戸内海に浮かぶ小さな西島は、採掘業で成り立っている。時代は、昭和二十三年。終戦直後の混乱のなかで、西島唯一の小学校、西島朝鮮初級学校では

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【劇評188】値千金の『身替座禅』。菊五郎と左團次の息。

 歌舞伎には、大人の童話と名付けたくなるような面がある。  狂言から来た作品には、こうした微苦笑の種が潜んでいて、『連獅子』の「宗論」や『棒しばり』『素襖落』など温かい気分に包まれる。  菊五郎が得意とする『身替座禅』は、その代表的な一幕で、残念ながら公演中止となった四月の新橋演舞場での歌舞伎公演でも、この演目が予定されていた。  『身替座禅』のみどころはいくつかある。  山蔭右京(菊五郎)が、奥方(左團次)の静止をなんとかくぐりぬけ、親しい花子のところで蕩けるような時

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【劇評187】 猿之助の智慧。観客の好みを知り尽くした舞台

 歌舞伎座の十一月は例年通り、顔見世の月だけれど、八月からの四部制が続いている。大顔合わせというよりは、大立者から花形まで、それぞれの出し物が並んでいる。  第一部を飾るのは猿之助の『蜘蛛の絲宿直噺(くものいとおよづめばなし)』。歌舞伎座が開くようになってから猿之助の出演は、三度目になるが、この四つに分割された上演をいかに盛り上げるか、智慧を絞った演目選びに感心する。  お客が今、何を望んでいるかを敏感に察知し、その期待に応えるのが澤瀉屋の伝統で、猿之助はその要諦をしりぬ

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【劇評186】晴れやかに観る吉右衛門の「俊寛」。悪逆非道な清盛も痛快である。

 国立劇場が、十月から充実した狂言立てで、存亡の危機にいる歌舞伎を支えている。  十一月の第一部は、『平家女御島ー俊寛』。言わずと知れた近松の作だが、ミドリで出るときの二幕目「鬼界ヶ島の場」に先だって序幕に「六波羅清盛の場」を出している。  歌舞伎ならではの楽しみに役者の変幻がある。  今回、清盛の場で、吉右衛門が悪逆非道な清盛を演じ、鬼界ヶ島では、清盛に流された清廉な俊寛となる。  同様に、菊之助は、一幕目、言い寄る清盛をはねつけ自害する東屋を演じ、二幕目では瀬尾の横暴

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