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【劇評191】藤田俊太郎演出、城田優主演の『NiNE』。カサノヴァの命運と失墜。

 極上のエンターテインメントとして、『NiNE』(アーサ・コピット脚本、モーリー・イェストン作詞・作曲 藤田俊太郎演出 小田島則子翻訳・日本語字幕、髙橋亜子訳詞 島健音楽監督)は、コロナ渦に揺れる日本をいっとき慰めた。イタリアのフェデリコ・フェリーニ監督の自伝的な映画『8 1/2』を原作とした舞台版は、一九八九年にブロードウェイで初演されている。
 私には、二○○四年に上演されたデヴィッド・ルヴォー演出が深く記憶に刻まれている。その後、この舞台版をベースに制作された映画『NINE』(ロブ・マーシャル監督 二○○九年)も楽しんだ。

 名声に包まれた監督のグイード(城田優)は、妻のルイーザ(咲妃みゆ)とともに、保養地を訪れている。新作のシナリオは完成していないというのに、プロデューサーのラ・フルール(前田美波里)はクランクインを強行しようとする。愛人のカルラ(土井ケイト)は、離婚を迫ってくる。そこへグイードの主演女優を務めてきたクラウディア(すみれ)がパリから到着し、混乱が極まっていく。
 結婚生活も仕事も破綻しつつあるグイードの内面が、詩的なイメージと音楽によって綴られていく。

 今回の藤田演出は、いくつかの点で際立っている。
 まず、フェリーニをモデルにしたグイド役に城田優を得て、彼のカサノヴァとしての側面が強く出たこと。女性に取り囲まれて生きてきた芸術家が、その特権意識が肥大化したときに、急に周囲から女性が消え去ってしまう恐怖が強く打ち出されていた。それは死を覚悟しなければならないほどの恐怖であった。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。