見出し画像

【劇評186】晴れやかに観る吉右衛門の「俊寛」。悪逆非道な清盛も痛快である。

 国立劇場が、十月から充実した狂言立てで、存亡の危機にいる歌舞伎を支えている。

 十一月の第一部は、『平家女御島ー俊寛』。言わずと知れた近松の作だが、ミドリで出るときの二幕目「鬼界ヶ島の場」に先だって序幕に「六波羅清盛の場」を出している。

 歌舞伎ならではの楽しみに役者の変幻がある。
 今回、清盛の場で、吉右衛門が悪逆非道な清盛を演じ、鬼界ヶ島では、清盛に流された清廉な俊寛となる。
 同様に、菊之助は、一幕目、言い寄る清盛をはねつけ自害する東屋を演じ、二幕目では瀬尾の横暴から流人を救う丹左衛門尉基康に変わる。
 今回、吉右衛門が短いながら清盛では極端な悪党を演じ、俊寛役では、これまで以上に、演技をそぎ落として、内省的な俊寛を造形した。

 吉右衛門の俊寛は、私がこれまで観てきたこの芝居のなかでも、誇張した表現を抑えに抑えている。とはいえ、出では流浪の身の哀惜、丹波少将成経(錦之助)が千鳥(雀右衛門)といいわしたと聞いての率直な喜び、赦免状に自分の名がないと知ったときの落胆、そして、瀬尾(又五郎)から、妻東屋の死を知らされたときの絶望。
 この俊寛役の心の振幅、運命に翻弄される一人の人間のありようをあますところなく感じることができた。

ここから先は

665字
この記事のみ ¥ 100

年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。