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尾上菊之助の春秋 その壱 春

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尾上菊之助さんの話題が中心のマガジンです。筆者の長谷部浩は、『菊之助の礼儀』(新潮社)を以前、書き下ろしました。だれもが認める実力者が取り組む歌舞伎、その真髄について書いていきま…
有料記事をランダムに投稿します。過去の講演など、未公開の原稿を含んでいます。アーカイヴが充実すると…
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#尾上菊五郎

五月大歌舞伎、「團菊祭」ではないが、菊之助の『春興鏡獅子』も華やかに、見どころのおおい公演となった。

五月大歌舞伎、「團菊祭」ではないが、菊之助の『春興鏡獅子』も華やかに、見どころのおおい公演となった。

 歌舞伎座から五月大歌舞伎の案内が届く。長年、「團菊祭」が行われていた月だけれど、今年は菊五郎劇団と吉右衛門中心の一座が、合同公演を行っている。そんな印象の役者が揃っている。

 一方、海老蔵はどこに行ってしまったのか、気になる。調べてみると、明治座に立て籠もって無人の一座で、二日だけの興行が予定されている。実盛物語とKABUKUと題した新作歌舞伎舞踊を見せるのだという。

 長く続いた團菊祭がこ

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『菊五郎の色気』を書いたあの頃。

『菊五郎の色気』を書いたあの頃。

 歌舞伎について、本格的に取り組むようになったのは、文春新書のために 『菊五郎の色気』を書いてからです。調べ物も多く、困難な書き下ろしだったけれど、今となっては懐かしい。

 出版したのは、2007年の6月だから、もう13年が過ぎてしまった。
このころは、折に触れて、菊五郎さんとお目にかかる機会があった。

 思い出に残っているのは、四度ある。

 はじめに、この企画を進めるに当たって、新書の局長

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【劇評181】平成歌舞伎の精華。菊五郎の『魚屋宗五郎』に秋風が感じられる。

【劇評181】平成歌舞伎の精華。菊五郎の『魚屋宗五郎』に秋風が感じられる。

 私が本格的に歌舞伎の劇評に手を染めたのは、もちろん、昭和ではなく平成になってからである。

 書き始めた頃は、勘三郎や三津五郎だけではなく、先代芝翫、先代雀右衛門や富十郎も健在であったから、顔見世や襲名で大顔合わせになると、「昭和歌舞伎の残映」という言葉をたびたび使った。

 なぜ、こんな話をはじめたかというと十月の国立劇場、第二部の『魚屋宗五郎』は、「昭和歌舞伎」とはいかないが「平成歌舞伎の精

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「廓の掟に縛られながらも、懸命に生きていく薄幸な女をいつかは演じてみたいと思っていました」菊之助の『籠釣瓶花街酔醒』。初演当時のインタビューを再録します。

「廓の掟に縛られながらも、懸命に生きていく薄幸な女をいつかは演じてみたいと思っていました」菊之助の『籠釣瓶花街酔醒』。初演当時のインタビューを再録します。

五代目菊之助は、2012年の12月、新橋演舞場で『籠釣瓶花街酔醒』の八ッ橋を初役で演じている。八ッ橋をひと目見たとたんに魅入られる自動左衛門は、父菊五郎だった。

この初演のときに、菊之助を私がインタビューしたメモが見つかったので、ここに再録しておきます。

○今回、籠釣瓶花街酔醒の八ッ橋役を勤めることになった経緯を教えて下さい。

 10月の名古屋御園座で『伊勢音頭恋寝刃』のお紺を初役で勤めさせ

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国立劇場の復活狂言について、かつて書いたことなど。『風の谷のナウシカ』への挑戦は、ここから始まっていた。

国立劇場の復活狂言について、かつて書いたことなど。『風の谷のナウシカ』への挑戦は、ここから始まっていた。

『菊五郎の色気』(文春新書 2007年)より抜粋。現在、絶版になっていますが、古書市場で探すのは、さほど難しくないと思われます。

芸の継承の重さ 古典芸能としての歌舞伎にとって、家の芸の継承が重い意味を持つことは、いうまでもない。しかし、二百ともいわれる固定化されたレパートリーを繰り返すばかりでは、古典の名に安住するのでは、活力を失いかねない。まして、名門といわれる音羽屋である。家の型は、厳然と

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