クリエイティブリーダーシップ特論:2021年第10回 稲葉俊郎氏
この記事は、武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコースの授業である、クリエイティブリーダシップ特論の内容をまとめたものです。
第10回(2021年9月13日)では、医師である稲葉俊郎さんから「人生というデザイン」についてお話を伺いました。
稲葉俊郎氏について
稲葉俊郎さんは、1979年熊本生まれ、医師であり、医療の多様性と調和への土壌づくりのため、西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める。2004年東京大学医学部医学科卒業、東京大学医学部付属病院循環器内科助教(2014-2020年)を経て、2020年4月より軽井沢病院総合診療科医長、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員、東北芸術工科大学客員教授を兼任している。心臓を専門とし、在宅医療、山岳医療にも従事しており、西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める。未来の医療と社会の創発のため、伝統芸能、芸術、民俗学、農業など、あらゆる分野との接点を探る対話を積極的に展開している。
人生という絵巻物とは…
冒頭、人間とウィルスの関係性から話があった。稲葉先生によると、人間とウィルスのサイズでの関係は、地球と人間のサイズでの関係と同じであるとのことである。近年の様々な問題は、地球レベルでのマクロの問題だけではなく、ミクロのレベルでもバランスが崩れてきたことを示しているとのことであった。そして、人は、人生という絵巻物において、どのように生きるか、人生の全体性を考えるべきであり、いまという瞬間の喜びや悲しみが何のためにあるのか考えるべきである、とのことでった。
健康学とは…
稲葉さんは、医学を学び、医療現場で働き始めるが、違和感を感じてきたとのことでった。それは、現代医学では「病気学」を学び、病気の治療についての勉強や研究はしているものの、「健康とは何か」という問いかけに誰も応えていないという違和感であった。つまり、現代医学では、「健康=病気ではない」と考えられるが、本当にそうなのだろうか、という違和感であった。
ちなみに、WHOでは健康のことを以下のように定義している。
「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱 の存在しないことではない。」
“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”
健康学においても、同様の考え方であり、問題のある部位を治療するだけではなく、身体の全体性に意識を向け、周りとの関係性にも意識を向けることが重要なのである。
稲葉さんは、医学の父と呼ばれるヒポクラテスが暮らしていたコス島で円形劇場の跡を見たことがあり、そこでは、医療の神と夢で出会い対話することで元気になると言われていたそうである。本来、医療とは病気を治療するだけではなく、人を元気にし、健康にするものであり、健康になることで病気がなくなるもしくは気にしなくなる、のである。そして、医療のためには病院という施設の場ではなく、前述の円形劇場のように、人々が集い元気になり健康になる場が大切なのである。
表現するとは…
稲葉さんは、自分が何を考えかているのか、何に違和感を感じているのか、追求し、共有したいと思い、表現の一つとして文章にしてきたとのことである。例えば、上記の「健康学」については、『からだとこころの健康学』にて表現している。
この本を書く際に、自分の原点に立ち帰り、深層心理をたどり、幼い頃の記憶に繋がった、とのことである。言語化という表現を通じて、何を考え、何をしていきたいのかを可視化できたのである。稲葉さんは、色んなものを医療と繋いでいきたい、という想いのもと芸術などの幅広い活動をしている。大切にしているのは、心の底からやりたいという想いと、実際に行動してみること、とのことである。このことは、大学院でも常日頃学んできたことと通じることであり、私も見習いたいと思った。
授業にて特に印象深いことは...
今回の授業では「健康学」というものを通じて、「人生のデザイン」について学んだ気がした。その中で特に印象的だったのは、「矛盾を考える時に人は何かを生み出し、創造力を発揮する」という言葉であった。稲葉さんは能を学んでおり、能の死者の世界観から生きるということを学んだとのことである。実際は死んでいないものの、死者になりきり、死者の視点を持つことで、生きることを考えられるのである。そして、死者からみて恥ずかしくない生き方をし、生きた証を繋ぎ、組み合わせ、未来を創るのである。その際、自他が幸せになることに取り組むのがよく、その一つがアートかもしれない、とのことであった。
私も恥ずかしいながら、能をかじったことがあり、その世界観に衝撃を覚えた記憶がある。しかし、そこから自分がどう生きるか、というところまで昇華できていなかった。今後、稲葉さんを見習い、毎日を充実させていきたいと思う。