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私がイスタグラムやツイッターを始めよう!と思ったきっかけ


1つ目の理由

あの悲しい夏から1年経とうとしていた時。何が悲しいかといえば。2021年の7月18日をすぎれば。昨年の今は私たちと同じ世界にいてくれた春馬くんがその日をすぎればいなくなった後になるという現実。リアルの世界での前年の記憶が言えない悲しさ。

そんな時、春馬くんのファンの方の声掛けがあった。「日本製」で全国をまわってくれた春馬くんの取材場所に行ってみること。そしてその写真や想いの言葉も出してほしいとのこと。そんな素敵なことを企画してくださった。参加するにはインスタグラムなどの手続きが必要とのこと。
参加したいために家族にも教えてもらいインスタグラムやツイッターもできるように。

私が自力で行ける場所は和紙作りできる場所。特に限定されたものは「本美濃紙」というらしい。予約もしていないから今回は体験はできないけれど。その場所まで車で行ってみることに。私の住んでいるところの隣の隣の市へ。車を走らせると、思っていたより奥の方。途中確認しながらどんどん山の方へ。左側には川。右側は山のみが続いた。
やっと会館に着き中へ。平日だから人はまばらでゆっくりと見ることができた。和紙ができるまでの工程を昔の人がしていたように、模型と共に説明してあるコーナーがあった。今までは知らなかったけど、和紙は楮という木からできるらしい。それを叩き、水につけそれからも気の遠くなるような工程で和紙の元を作り、最後にのり類と共に漉して乾かしてできる和紙。見るだけであまりに手のかかる工程にくらくらする気がした。大昔から茨城との縁もあり、茨城県大子町から楮(コウゾ)の木を取り寄せて作っていたらしい。不思議な縁があったことは春馬くんも驚いていた。と『日本製』に書いてあった。他の階には傘や衣装なども展示してあった。一階には和紙で作ったものを購買するコーナーも。

春馬くんが『日本製』の取材で体験したのはそこから少し離れた場所にある工房にて。きっと和紙のできる工程をしっかり学んだ上で、和紙作りを体験したんだと思う。その工程を知った上でどこかで「和紙のような人になりたい。」と言った春馬くん。あの丁寧な生き方はとっくに和紙のような人になっていたよね。春馬くんはこつこつと丁寧な仕事をする職人のようなところもあった気がする。
その時はそこの工房には行けなかったけれど、いつか行ってみたいと思う。帰る時にうだつの町並みを通ったり、山の頂上にあるお城を見つけて驚いたり。ということも『日本製』に書いてあった。どこの道路を通ったのかな〜。2017年頃だから、『キンキーブーツ』の後に私の地域の近くに来てくれてたんだね。偶然会いたかったな〜!山の上のお城が見える道路は私も時々走ったりしているから。運転していて、隣の車線に春馬くんと撮影隊が!ということもあり得るといえばあり得るよね。
そこで撮った写真や想いをインスタグラムで企画してくださった方に送ることができた。
あの夏から悲しみと向き合いながらも、いろいろな気配探しをしてきたけど。春馬くんのことを大切に思っている人たちの想いを知ることができる初めての体験になりました。


山と川のみの景色


やっと到着!
和紙の里会館
館内の展示物
館内の展示物


春馬くんが見つけた山の上のお城。どこの道路から見たのかな〜


 ツイッターを見るようになった私。

インスタグラムの手続きをした時、ツイッターも同時に見ることができるように。時々春馬くんのことを話す方を見つけると見るように。
もうすぐ、あの夏から1年が経とうとしている時、関西の方が計画している企画の案内を見つけた。
それは私が少し前に『日本製』で春馬くんが体験した和紙作りの地域で作っている「本美濃紙」で作った封筒を使ってもうすぐ1年になる前に春馬くん宛に手紙を書くこと。その手紙を企画してくださる方がまとめて茨城の神社にお願いしてお焚きあげをしてくれるという企画。
私にはあの悲しい夏の直前に出た情報番組で少し元気がないのかな〜と思ったという記憶があり。手紙を出せばよかったと強く思い続けていた。すぐに私も書きたい!と思った。ただ本美濃紙の封筒セットもまだ手元になく。それでも書きたい!という気持ちが強かったので。すぐに本美濃紙を購入できるうだつの町並みへ。封筒はなかったけど大判の一枚の本美濃紙を購入することができた。
家に帰り一枚の本美濃紙を手作りで、封筒と便箋の形に。
締め切りぎりぎりに知ったために時間があまりなかった。それでもずっとファンであったこと。素敵な表現者になってくれたことが嬉しかったこと。いつも気持ちの上で助けられていたこと。もっと手紙を書けばよかったと思ったこと。
これからもずっと大好きだよということ…。まるで卒業式の送辞の言葉のように(本音は和紙に書くだけに恋文のよう✨)感謝の気持ちを綴ったと思う。
 和紙は字を書く時、どうしても少し引っかかるような感じになるけど。本美濃紙はとてもツルツルした紙で、私は鉛筆で書いたけど、とても書きやすい紙だと思った。これが筆でも(昔は誰もが筆で書いていた)きっとすらすらと書けるんだろうと思われた。
 気持ちを出しきって書くことができた。今世では出すことができなかった春馬くんへの手紙を書くことができたことはほんとによかった。
締め切りぎりぎりだったので、企画してくださる関西のかたへ速達で送らせてもらいました。それでなんとか茨城県の神社にて他の方々の手紙と共に無事にお焚き上げをしてもらうことができたとのことでした。遥か茨城の土地で煙とともに上へ上へと上がっていった私たちファンの言葉は春馬くんに届いたかしら?届いたと信じているからね。

そんな事があってから、時々インスタグラムやツイッターを見るように。
全く関わってこなかった私からみたら自分でも信じられないぐらいだけど。
今では両方見ることが当たり前になっている。2021年の秋の春馬くん気配探し旅からは、初めて自分から旅の様子を写真と共にツイートするように。
今でも何かある度に言葉や写真を投稿している。

SNSは普段の生活では出会えない方とも出会うことができる。
SNSの危険なこと。言葉をよく考えること。自分からの言葉はいつも責任を持って出すこと。それをいつも頭にいれれば、これほど素敵なことはないと思う。春馬くんも何のことを言っていたかはわからないけれど。たたくだけでなく少しでも励ますような言葉を紡ぐことはできないだろうか。というような内容のことをインスタグラムで言っていた。人の心が折れるようなことではなく救われるような話の仕方ができるように努力して、今の時代ならではのコミュニケーションの方法としてのSNSを大切にして続けていけたらいいなと想っています。







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