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【モノローグエッセイ】壁に耳あり障子に谷崎。

我が家の座敷の障子が古くなり、破れかぶれになっているところもあったので、障子の張り替えをすることとなった。
戸ごと、業者さんに持っていってもらって、張り替えをお願いしたため、数日、戸のない座敷で過ごしていた。

「障子の戸が無いとこんなに明るいのか〜」

昼間の座敷を見ると、障子の戸がない分窓から差し込む光が直接部屋に入り、普段よりかなり明るい印象を受けた。晴れた日の午前中は特に明るく、「光合成ごっこ!」とか言って、座敷に大の字仰向けになりたいくらい明るくなった。(←やりたい気持ちだけに留めました。)

程なくして、新しく障子を張り替えた戸が座敷に戻ってきた。明るい昼間のことだった。戸が戻った瞬間、外から差し込み座敷を明るく照らしていた光が一気に座敷から追い出され、代わりに畳に影が差した。障子の戸が有るだけで、ガラリと座敷の印象が様変わりした。


「谷崎潤一郎みたいだね〜」

と言ったのは母だった。

「陰翳礼讃とはこのことか」

と返した。

谷崎は真理をついていたなと、中高時代に現国で読んだ「陰翳礼讃」の内容を思い出していた。

西洋では、部屋の隅々まで明るくし、陰翳を消す事に執着していたのに対し、日本ではむしろ陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ映える芸術を作り上げ(ex.漆器の椀)、それこそが日本古来の美意識・美学とした谷崎。

新品の障子からこぼれる弱く淡い光は、暗い部屋といい感じにコントラストしていた。



こぼれ話

今度、我が家の「とこの間」の障子を変えることになって、戸を取っ払ったら、それは

この間」

になるのかな、なんてちょっと思った。
くだらぬことが思いつく幸福。


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