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『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI(エンテイ)』感想 ポケモンを「父親」に見立てた感動作


◆結晶塔の帝王

『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』は2000年7月8日に上映されたポケモン映画第3弾。

『金・銀』発売の翌年、二十世紀最後の年・2000年。
「誰も知らない金と銀の世界をかけろ!」という大胆なキャッチコピーを引っさげた本作の主役を飾るのは、まさかのエンテイだった。
これには思わず驚愕せざるを得なかった。TVシリーズ本編で1話から既に登場していたから劇場版に組み込ませるのはむつかしいといえど、そこはホウオウじゃないんか!と。あるいは(無事次回作の主役となったが)セレビィじゃないんか!と。

エンテイも伝説のポケモンの一匹だ。
だが、ジョウト三犬の一匹にして準伝説である。カントー三鳥(ファイアー、サンダー、フリーザー)は前作『ルギア爆誕』でも登場したが、準主役といった位置付けになっていた。そんな「準伝説は主役を飾れない」というジンクスを打ち破ったのが本作なのだろう。まあ、同じく準伝説が主役を飾ったのは5作目『ラティオスとラティアス』しかないが。他は伝説or幻(劇場配布)枠だし。

◆感情移入が強いつくり

物語は本作のオリジナルキャラクター・ミーとその父親・シュリー博士の微笑ましい親子の会話から始まる。アニメ本編ではこういった分かりやすい親子の絆が描写されていなかった(サトシとママはそこまで距離感が近くなかった)だけに、劇場版らしくアニポケにしては異質な雰囲気になっている。

そんなミーちゃんは、シュリー博士が行方不明になったことからひとりぼっちになってしまった。そんな彼女の想いがアンノーンの力によって、エンテイが仮初の父親として誕生した。そしてサトシのママをさらい、疑似家族が誕生。サトシたちはママを救うべく、エンテイが待ち構える結晶塔へ向かうこととなった。

悪役がいない物語。
強いて言うなら、シュリー博士を行方不明に陥れ、今回の事件を巻き起こしたアンノーンがすべての元凶なのだが、どのみちミーちゃんの願いを叶えてあげたのだからグレーな存在である。

アンノーンは悲劇を物語を生み出した舞台装置と言えなくもない。なにせ、父親も母親もいなくなってしまった、まだ幼い女の子へのあまりにも残酷な仕打ちである。そこから嫌でもミーちゃんに感情移入せざるを得なかった。言い方は悪いが、あざとい感情移入への導入である。露骨ではある。そんなふうに見えてしまうとか、なんて性格の悪いヤツなんだ。だとしても、自然とミーちゃんが救われてほしくなったのが巧い。冒頭の微笑ましい親子の会話があってこそ、喪失感が嫌でも伝わってくるのだ。ぼくが幼少期に初めて見たときもミーちゃんに感情移入していた(親がいないことのつらさを強くわからせられた)記憶があるのだが、これは子供にも分かりやすいテーマなのだと思う。

◆バトル

ポケモンなので、バトルは避けて通れない道。
ミーちゃんとエンテイがサトシのママをさらったのも分かりやすい戦う目的・動機になっている。お互い理由があるからこそ戦わざるを得ないシチュだ。

それでも話は全然辛気臭くない。
結晶塔最深部へ向かう道中、ミーちゃん(数年後のすがた)と戦うことになるのだが、これは強い必然性があって非常に良かった。何故ならエンテイがミーちゃんの夢をまたひとつを叶えてくれた。ヒメグマを筆頭にエンテイが作り出した存在に過ぎないとはいえ、今まで外に出られなかった少女がポケモンバトルの経験を味わせてくれたのは好意的に捉える救いだったのだ。

勿論これは行く手を阻む障害にすぎないし、カスミとタケシが「ここはおれたちに任せて先へ行け!」な展開をやってくれるのだが、ふたりともフレンドリーに相手をしてくれたのがすごぶる好印象。たとえばタケシの相手はミーちゃん(おとなのおねえさんのすがた)なので例によって紳士的に振舞うのだが、いつものデレデレしたタケシのパラダイスが展開されるのではなく、真摯にミーちゃんを楽しませるような掛け合いが見られる。

ラスボス枠のエンテイとのバトルは作画カロリー高い!!
本作におけるエンテイは結晶の足場を作り出し、フィールドを転々と駆け巡るから、実にバトル映えしている。これに対し、サトシのリザードンが電撃復帰したのは胸熱サプライズ展開。飛行戦を得意とするリザードンのアクションもカメラ映えしている。

実はぼくは本編軸でのリザードンPTout展開は好きではなかった。「弱いリザードンなんかいらない!」発言が受け付けられなかった。サトシに挫折イベントを与えることは否定しないし、その実リザードン復活の布石という期待の含みがあったそうだが、やっぱり「いらない」という言い方が第一印象でぼくの中で「なんだかなあ…」と引きずっていたのだと思う。流石に傷つくというか、拾ったヒトカゲから大事に育てたのにそれはないだろうと。
まあ、本作でリザードン再登場自体はアリです。普通に手持ちに入れたままの状態だと盛り上がれるドラマは作れないから、本編で別れたのはこのための布石なんだなと納得です。うん、でもいらないって言っちゃダメなやっぱ。

◆エンテイという人とポケモンの狭間

エンテイを演じるのは竹中直人さん
『ONE PIECE FILM STRONG WORLD』のボスキャラを務めたシキもだが、アニメアニメしすぎない、それでいてアニメとして違和感を持たせない演技が実に秀逸だった。芸能人の声優起用はこういうのがあるから油断できない。加藤あい演じるゲストキャラは例によって棒だったが。

劇場版主役枠、伝説枠はもうほとんどが人語を交わせるのがデフォになっているが、最初から人間臭いわけではない。グリーンフィールドを結晶化させたりサトシのママに催眠術(?)をかけてさらっていったりと、「ポケモンは怖い生き物です!」をわからせるような恐ろしさを秘めていた。

それでも序盤からエンテイが憎めなかったのは、実父と声が瓜二つなこともあってかミーちゃんに「お父さんなのね!」と言われれば、「私が、パパ…?」と不思議そうに感じていた様子だ。ここは今見ると地味に印象に残ったシーンだった。まあそこはサクッと割り切ってミーちゃんの願いを叶えさせたのだが。そのへんは人間臭さを獲得していない素のポケモンらしくある。

本作のエンテイは本来のソレとは異なる個体のようだ。なにせアンノーンの力とミーちゃんの願いによって誕生した、仮初の父親である。昔はそこまで深く考えていなかったのだが、作られし存在なのは『ミュウツーの逆襲』のコピーポケモンに通じるものがある。

そんな存在だけれども、竹中さんが生命を宿らせてくれた演技がとても人間臭かった。
そして終盤の別れではエンテイが「私は嬉しかった。お前の父親になれて」と打ち明けていたのは間違いなく父親のように優しく人間臭さがあるポケモンだった。
悲しき決別・喪失だが、最後、青空にエンテイの姿を成した雲が見られたのは「今でもどこかで生きている」と思わせる、粋のある救いだ。

◆その他雑感

上映時間が73分と、数に表すと映画にしては短めなのもびっくりした。参考までにミュウツーは劇場公開版が75分、ミュウツー完全版が85分。ルギア爆誕は81分。初めて見たときは体感時間が良い意味で長くじっくり楽しめた記憶があるのだが、同時上映『ピチューとピカチュウ』(23分)とセットだからなのかもしれない。ところでその同時上映作品は不祥事によって封印作品になっていたことを今更になって知った。だからPrimeVideoの配信になかったのか。

ミーちゃんの母親との再会について。
個人的にはこれは微妙だった。そこまで蛇足と呼ぶつもりはない。ただ、父親と無事再会を果たし、本当のヒメグマを手にしたミーちゃんへの更なる救いとして十分だった。そのうえで「お母さん生きとったんかワレ!!」と展開が唐突だったため、困惑のほうが勝ってしまったのが正直な感想である。

首藤氏の精神不安定による仕事放棄で急遽中盤以降の脚本を任された園田氏が、子供向けらしく母は生きていたことにしたらしいが、「ミーの行動原理」が揺らぎかねないこのことについて首藤氏は、最終的には病気で倒れた自分も悪いということと、映画の中では本当の母親とは明言されていないことから、映画を見る分には後妻と見ることも可能であり、「父と娘」「家族の絆」という映画のテーマが観ている方に感じていただければいいとしている。

本編でのミーちゃんの反応を見るに、実母らしき女性が帰ってきたように見受けられたのだが、確かに作中では実母とは明言されていない。EDが流れている最中なので会話をぼかしているし、そもそもミーちゃんは実母とはどれくらいの距離感なのかすら分からない。サトシのママを代わりにしたくらいだから「好き」の感情は間違いなく持っていると思われるが。
後妻が出来たと知って喜べなくはないのだが、やはり知らない赤の他人が新しいお母さんだと複雑な気持ちに至ってもおかしくない気がするんだよな…そのへんむつかしい事情だ。まあ、仮にまた父親が長期出張で不在になったとしてもお母さんがいるから安心だ、とポジティブに捉えられるのだが。

…うんまあ、本作にそういう邪推は不毛だな。
そもそも本作は「父と娘」というテーマに大きくスポットを当てたのだから、深く考える必要はないだろう。エンテイも、本来のお父さんも、等しく「父」の存在なのだから。

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