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1年ぶりに教育のことを書きます。
中学校の頃に教育に興味をもち、いろいろな活動などを起こしたり参加したりした日を今でも覚えています。
いろいろな先生方との出会い、教育の企業さんとのつながり、zoomで自分の行っている活動などを紹介し、活動していました。
あの時から、1年くらいが経ち久々に「教育」をテーマにnote記事を書きたいと思います。
今日のテーマは「不登校支援」についてです。私もN高校に通っていますが不登校の人がたくさんいます。
また、通っているの人のほとんどが中学校のいじめを受けていた、もしくは体調の都合で学校を休んでいた人です。
また、その人たちが高校入学をしたとしても、なかなか学校に来ることに抵抗を感じている人はたくさんいます。
私は不登校が悪い、不登校は悪だと言いたくて、この記事を書いているわけではありません。
言いたいことは、「周り」の人たちのことです。
不登校は一言で片付けられがちですが不登校にもいろいろな種類があり、事情は、十人十色です。
しかし、「周り」の人たちの支援というのは依然として似ている傾向にあり、大抵の支援者は「行かなくても大丈夫」ということが多いです。
「行かなくても大丈夫」とは簡単にいうことができ、不登校の人たちを安心させる言葉には最適な言葉です。
私も、中学生時代、学校に行きたくないという日がありました。そんな時に休むことだってできました。
ですが、私は登校をしました。それには深い理由があります。
多くの人は、「癖がついてしまうから」と思うかもしれませんが、そうではありません。
そもそも、学校に行く理由を軽くみすぎた結果なのかなと思います。
私が学校に通う理由は、「人間関係」を学びに行っています。勉強、成績などを上げるためには最悪な環境です。塾や家庭教師などを使った方が、周りに流されることなく、勉強することができます。
だからです。人間関係を学生が受動態で学べる場所といえば、学校しかありません。
話を戻すと、「学校に行かなくても大丈夫」は1週間などなら問題はありません。気持ちの切り替えなどに休息期間を設けることは。
しかし、行きたくなくても、あの時に学校に行ったからこそ身についた能力というのも立派な経験ですし、現代において「嫌」ということを体験することはすごく珍しくなっていると感じるからです。
これが私の見解です。休む判断をすることは簡単ですし、やらないという選択肢は簡単に取れます。
しかし、嫌でも少し登校してみる、嫌の理由を解析してみることも重要な力です。
私も、中学時代にどうしても変えたい状況から逃げようとして不登校になりました。しかし、その現状をなんとかして変えたいという気持ちがあり、その気持ち通りに行動しました。
その気持ちがうまく伝わり、その状況からは想像できないような新しい道を切り開くことができました。
今は助けてくれる人もいますし、SNSという発信手段もあります。それを上手に活用する、そして、不登校を支援する人たちは「世の中の選択肢」を一緒に見つける、選択肢があることで安心させるようにしてください。
単純な話ではないかもしれませんが、一高校生として、学生としての言葉として受け取っていただければと思います。