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15歳、最後の夜

今日で、15歳を卒業する。
正直、15歳は楽しいよりも「学んだ」と思える瞬間が多かった気がする。

学んだことに中でも特に印象的なものがある。
それは自分の能力の低さだった。


中学校時代、正直いろいろな意味で「成功」を手にしていた自分がいた。
山村留学の環境では、「生徒が考える学びの集会」という生徒主体の
イベントの、企画、運営を行えたり、委員会活動でも
自分なりの最大限の力が周りにも認められていた。

留学後も、大阪に帰って人間関係の部分で苦戦を強いられたが、
今では飯に誘われるくらいの共となった。

そんな中学校生活でほとんど不自由という不自由はなく、すごく
優越感があった。

N高校入学後も授業には積極的に参加し、
常に優越感を得ようとしていた自分がいた。

しかし、1Q(N高校は高校は4学期制)のプロジェクト型学習で、
大失敗をした。

大失敗をしたという感情にプラスして、
周りがすごく輝いて見えてしまった。

なぜ自分の班だけが、、、自分がいたのに、
最初は他人のせいにしていた。

班のメンバーが意見を言わなかったから、全然作業を
頼んでもしてくれなかったから、年上なのになぜ、、、

このことが頭にきてしまい、大声を荒げてしまった。

この大声は、「怒ってる」+「N高校に期待をしていた」というダブルパンチだった。

こんなものなのか?プロジェクト型学習は?
年上なのに、全然優秀でもなんでもないじゃないか?

その時は疑問しか浮かび上がらなかった。
しかし、途中からこれは自分の力量のせいだと思った。

メンバーが意見を言ってくれなかった
→メンバーの意見に耳を傾けなかった。

作業を頼んでもしてくれなかった
→頼み方が悪かった。

年上なのに、、、
→年齢で差別していた。

実際はすごく単純な理由だということに気がついた。
怒っていた声は、だんだんと涙に変わり、現実にぶつかったような
感覚だった。

その時、先生にかけられた言葉は「全部自分のせい」
すごく意味がわかった。

他人に責任を押し付けることはすごく簡単だ。
しかし、根本の解決には1mmも進んでいない。
というよりも退化している。(現状に甘んじているから)

その思考を「全部自分のせい」に置き換えて考えてみると自分の
原因が明確になり、どこを次に活かせるのか?を考えやすくなる。

そこから、2Q(2学期)は急激には成長はしないものの、
「人に任せる」ということが少しできた気がした。

自分的には、1Qより100倍成長を感じれた。


15歳を振り返ると、いろいろなエピソードが出てくる。
短いといえば短いが短いだけで密度は大きい。

そんな15歳の時間だったと思う。

そして、これからの人生の舵を間違わないためにも、
15年間間で学んだものを噛み締めて歩んでいきたいと思う。

さようなら、15の自分。