カメラ【小説】
一眼レフカメラを覗く。そこにはレンズを通して映し出された景色が見える。
ここは渋崎綾子というファッションモデルのマンション前だ。マンション前は公園になっている。その公園の端には大きく生えた草がある。そこに身を隠している。最近、俳優の高田と熱愛関係になっている情報を編集長から聞いた。俺の名前は真田真也。今年で30になる。編集社に勤めていて、週刊誌『スクープ事実』のカメラマンをしている。仕事内容は芸能人の不倫や熱愛を撮影してスクープ記事にすることだ。
カメラ好きの俺はカメラマンになることを夢見た。最初は近所の街の景色などを撮ってコンクールに応募したりしていた。全然入賞出来なくて困っていた時、街中で週刊誌のカメラマン募集の広告を見た。写真を撮る観点からは一緒の仕事だと思い応募した。トントン拍子にカメラマンになった。カメラマンの仕事は楽しい。張り込みをしたりする行為は探偵みたいだった。芸能人に気が付かれないようにシャッターを切る喜びは分かる人にしか分からない。その瞬間が自分の中で一番輝いている。まるで、エレクトロニックフラッシュみたいだ。
今日も張り込んでいる。時間帯は夜を狙う。これで三日が経つ。渋崎綾子一人でマンションに入るのは見たが、そろそろ俳優の高田と渋崎綾子がマンションに入ってこないだろうか。タイミングが分からないのて、その瞬間を今か今かと待つようにカメラを構えている。正直、暇だが、どんな時でもシャッターを切れるように集中している。その時だった。俳優の高田と渋崎綾子が手を繋ぎながらマンションに入っていった。高田の方はサングラスをかけているが、俺の目はごまかせない。反射的にシャッターを切ろうとボタンを押そうとする。
「あの、すいません」
その瞬間、後ろから声を掛けられた。シャッターを切ったと同時だったので驚きでカメラがブレた。
「なんですか?」
後ろを振り向くと男性が立っていた。しまったと思い、マンションの方を見ると二人は居なかった。写真を撮りそこねてしまった。ぶれた写真は使い物にならない。
「真田真也さんですね?」
「そうですが」
「話したいことがあるんです」
その男は吉見と名乗った。スクープ写真を撮れなかった苛立ちを抑えて話しかけた理由を聞いた。ここでは話しにくいというので近くの喫茶店に二人は入った。店に入って店員の光田さんが注文を聞きに来た。吉見が指定した店は、俺がよく来る店だ。常連なので店員と顔なじみだ。ここのコーヒーは美味しい。注文を取りに来た光田さんに話しかける。
「最近結婚したんだって?」
「そうなんです。公務員の人なんです」
彼女は最近結婚した。人妻でありながらも美しい。彼女は雑談しながら注文を取っていた。彼女が吉見に注文を聞いたが、吉見は何も頼まなかった。実に不思議な人だ。
「話したいことってなんですか?」
「実はこれなんですが…」
吉見は胸ポケットから一枚の写真を机に置いた。写真を見る。俺は驚きを隠せなかった。それは自分の母親である真田雪子の写真だった。つい最近の写真のようだ。旅行の最中だろうか、笑顔でピースをしている。
「この人を探して欲しいのです」
「どうしてですか?」
「理由は言えませんが、探して欲しいのです」
「こういうのは探偵に任せたほうがいいんじゃないでしょうか?」
「そうですか。報酬は10万円用意してきたんですけど残念です」
「週刊誌のカメラマンは探偵と一緒のようなもの、この仕事引き受けましょう」
10万円と聞いてやらないわけにはいかない。おもわず吉見と握手した。しかし、探すといっても自分の母親なのだから連絡先も住んでいる場所も知っている。実に楽な仕事だ。店員さんがコーヒーを持ってきた。焦りを隠すためにコーヒーを一口含んだ。
「見つけたら尾行してください。そして連絡してください」
吉見は、そう言いながら連絡先をメモに書いた。それを渡されたので、ポケットにしまった。そして、吉見は用事があると言って帰ってしまった。まだコーヒーが残っているので口に含む。椅子に持たれかける。しかし、なぜ自分の母親を調べて欲しいと言ってきたのだろう。あの男に面識は無い。親戚や友人、会社の人の顔を思い浮かべていたが、見当たらない。最初に会った時に俺の名前を知っていた。名の知れたカメラマンだから「スクープ事実」の読者なら知っていてもおかしくない。そこは気にしなくてもいいだろう。
自分の母親に直接聞いてみようかと思った。しかし、何かあったら困る。もしかしたら吉見は母親を殺そうとしているのかもしれない。それなら一体何の恨みがあるのか?とにかく母親には秘密にしておこう。事実は母親しか分からないが、誰から恨まれるといった性格では無い。母親が住んでいる家に行って外出時に尾行するしかない。そしたら何か分かるかもしれない。吉見への報告は焦ることない。身元を分かっているのだから。
俺は母親の住んでいるマンション前にいる。マンションの前は、小さな公園がある。俺も小さい時は、この公園で遊んだものだ。公園内に身を潜めた。俺の父親は真田不動産という会社の社長だ。このマンションも真田不動産が管理している。このマンションが実家である。マンションから母親が出て来た。距離をとって後を追う。その距離は数m。街は人混みで気づかれにくい反面、見失いそうになる。数分くらいするとスタイルの良い女性と母親が出会って話している。その人は紛れもなく渋崎綾子だった。母親と何の共通点があるのだろうか?二人は少し談笑して、近くの喫茶店に入った。
迷わず俺も入る。俺は、二人に気づかれないように、テーブルで向かい合って話している母親の後ろの席に座った。母親の背中と俺の背中の距離は50センチくらい。これなら顔バレせずに話しが聞ける。
「母さん、久しぶり」
「久しぶりね。綾子」
「最近、私つけられている気がするの」
「付けられているってマスコミの人に?」
「彼との関係バレたくない」
「マスコミと言ったら、真也が週刊誌のカメラマンをしているわ」
「芸能界では有名よ。真也くん元気?私のこと言ってないんでしょう?」
「私が綾子の本当の母親なんて言えるわけないじゃない」「しかも、あなたを追っている人って…」
「母さん、どうしたの?」
「何でもない。このアイス美味しい」
それから二人は少し話して喫茶店を出た。頭が困惑した。心を落ち着かせるためにアイスティーを口に含む。困惑で味の感覚が鈍くなっている。まず、自分の母親が本当の母親ではなかったこと。真田雪子は渋崎綾子の本当の母親だったこと。では、父親の真田宗介は本当の父親なのか?本人に会って本当のことを聞こう。それしかない。
真田不動産に着いた。古いビルだ。社員百名ほどの会社。会社に入って受付に「社長の息子です」と言おうと受付に向かった時、
「真田真也くんかね?」
と後ろから声を掛けられた。振り向くと50代後半と思われる人が立っている。びっしりとした茶色のスーツが決まっている。エリートみたいな感じだ。少し白髪が生えている。
「誰でしょうか?」
「私は渋崎裕二だ。ここの専務だ」
「渋崎…」
「立ち話もなんだから部屋で話そう」
渋崎は専務室に案内した。エレベーターで二階に上がり、専務室のドアを開けて黒くて深いソファーに座る。
「君は、渋崎綾子をつけているね」
渋崎は座るなり率直に言った。こちらを真っ直ぐに見ている。
「ええ」
「私が自己紹介した時に察したと思うが、私は綾子の父親だ」
「私は綾子をつけるのを辞めろとは言わない。なぜなら二人とも不倫でも浮気でも無いからだ」
「では、話って何でしょうか?」
「君の母親は本当の母親では無いことを伝えようと思ったんだ。いつ言おうと思って数年が経った」
「・・・」
「驚いたかね?」
「父親は?」
「社長は本当に君の父だ」
「じゃあ私の本当の母親は誰なんですか?」
「君の本当の母親を知りたいのかね。そらそうだろう。躊躇するが言おう」
「お願いします」
「あれは…」
渋崎裕二は遠い過去を回想するように目を細めて話しだした。
渋崎裕二は大学を卒業して数年した時に大学時代の一年先輩である真田宗介と真田不動産を作った。裕二が25歳の時だった。最初は二人で経営をしていた。社長は真田で裕二は社員。それから二年後、社員も増えてきて起動に乗っている時、お見合いで知りあった同い年の永井雪子と結婚した。そして、二人の間に綾子が産まれた。
しかし、二年後、裕二は渋崎雪子と離婚した。娘の教育方針の違いだった。娘は裕二が引き取った。丁度その頃、真田宗介の愛人・当時キャバ嬢だった柳田道代に子供が出来た。できちゃった結婚をして、産まれたのが真也である。しかし、妻になった柳田道代は22歳という若さで自殺した。原因は宗介が他の人、それも数人の人と不倫していたからだそうだ。
裕二と離婚した雪子は、幼い真也を育てたいという思いから真田宗介と結婚した。
「ということなんだ」
いつの間にか秘書が紅茶を持ってきて机に置いてあった。一口飲む。
「でも、離婚した人が大学時代の先輩と結婚したんでしょう?耐えれますか?」
渋崎は黙った。俺だったら、会社を辞めてしまうと思う。でも渋崎は会社を辞めたことはないと断定出来る。今現在、真田不動産の会社の専務だから。
「でも、どうして今頃、教える気になったんですか?」
「君の父親、社長から言わないでくれと頼まれたのだ」
「しかし、このまま言わなかったら気持ち悪くてな」
そんな時に僕が来た。そして言おうと決意した。そう渋崎は思っているに違いない。すべての原因は父親にある。父親が不倫しなければよかったのだ。柳田さんとの結婚は両思いだったのか?本当に愛し合っていたのか?疑問が残る。
「そうでしたか。それでは失礼します」
そう言って専務室を出た。父親と会うことは辞めた。もし会って真相を聞くと父親は何ていうのだろう?それより渋崎綾子と会ってみよう。彼女は俺のことをどう思っているのだろう。喫茶店で話していた会話が頭の中で回想される。
渋崎綾子のマンション前に居る。まだ彼女は出て来てない。出て来た時に真相を聞こうと思った。俳優の高田に見られたらヤバいことになる。一緒に出てくる可能性もある。数時間後、あたりは真っ暗になった。渋崎綾子が出て来た。一人だ。チャンスだと思い、駆け寄って近づく。
「綾子さん。真也です」
彼女は驚いて足を止めた。
「どうしてここに?」
「あなたのお父さんから僕の母親のことを聞きました」
「雪子さんのこと?」
俺は頷いた。
「なんとなく言いにくかったの」
「言ってくれれば良かったのに」
「じゃあ、仕事があるからまたね」
「ちょっと待って下さい!」
後ろ姿を見せて歩く彼女に名刺を渡そうとしてポケットに手を入れる。しかし、名刺を忘れてしまったのか、探しても見つからない。その内に彼女は消えた。ポケットを探っているうちに一枚の紙を見つけた。吉見の連絡先の紙だ。すっかり忘れていた。見つけたら吉見に連絡しないといけなかったのだ。早速、吉見に電話した。
「探していた人を見つけました」
『そうですか』
『随分時間がかかりましたね。貴方の母親なのに』
「え?」
『失礼。貴方の本当の母親では無い人でしたね』
「知っていたんですか?あなたは誰ですか?」
『申し遅れました。実は私は探偵なんです』
「探偵?」
『そうです。真田雪子さんから依頼を受けたのです』
「依頼?」
『真田真也さんに真実を遠回しに伝えたい。でも勇気が無い。と依頼されて私が一つの案を出したのです』
探偵が言う案とは、俺に尾行させて真田雪子の話を聞かせて真実を知らせるということだった。渋崎綾子もグルだった。しかし、渋崎裕二が真実を話したことは予想外だったらしい。
確かに言いにくいかもしれない。だけれど面と向かって伝えて欲しかった。父親の女癖の悪さは知っていた。そのせいで本当の母親は死んだ。急に父親が憎く感じた。怒りで手が震えながら探偵との電話を切った。
翌日、編集長に相談した。真田不動産の社長が不倫関係にある。そして、過去には結婚相手が自殺している。原因は真田宗介の不倫が原因だ。そのような記事を出して欲しいと相談した。編集長は悩んで腕を組んだ。担当者の父親の記事を書くことに抵抗があるようだ。少し間が空いたが、承諾してくれた。
数日後、週刊誌に記事が載った。週刊誌を自分のデスクに広げて自分の記事を読み返す、反響は、今のところ分からない。そうしていると電話が鳴った。
『真田記者を出してくれ』
声で分かる。父だ。
「お父さん。僕です」
『真也か?会社に来て欲しい』
「分かりました。すぐ行きます」
電話は一方的に切れた。言われたとおりに真田不動産に向かった。受付に要件を言って社長室のドアの前に来た。ドアをノックする。これから勝負が始まるのだ。勝負の扉を開く。
「失礼します」
「よく来たな。まあ座れ」
ソファーに座るなり、宗介は週刊誌を机に置いた。というより投げたに近い。
「これは何だ?」
「週刊誌ですけど?」
「それは分かっている。内容だ」
宗介はページを捲った。数枚捲って俺が書いた記事のページを開いた。
「なぜ知っている?」
「記者だからです」
「嘘をつけ。雪子から聞いただろ」
「お父さんは柳田さんのことを愛していたんじゃないんですか?」
「愛していた。しかし、こんなことを書かれては会社に影響が出る」
「愛する人より会社の名誉の方が大事なんですか?」
「失礼します」
話している最中に渋崎専務が社長室に入って来た。
「社長。会社を辞めさせて頂きます」
「どうしてだ?」
「マスコミを対処しきれません」
「今回ばかりは、もみ消すことが出来なかったのか」
「残念ながら」
「渋崎君が居なくなったら、この会社は潰れるな」
「じゃあ最後の社長インタビューと言うことで、写真でも取りましょうか?」
俺は提案しながら、一眼レフカメラを覗く。ボタンを押して父親に向けてシャッターを切った。次の週には『真田不動産倒産危機』という記事が載った。
〜作者からのメッセージ〜
本当の正義や真相とは何か?真実を追求する週刊誌の記者の視点で書いた。この主人公も頭が切れるが、登場する探偵はもっと頭が切れる。時々登場する人物なのだが、いまいち人物像が分からない。実にミステリアスである。偽りの正義を振りかざしても真実は突き止められない。ジャーナリストとは何なのか?疑問は続く。未来なんて分からないのと同じくらい真実は分からない。考えすぎれば謎は深まるばかり、それは無駄ではないのか。今を必死に生きていこう。