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変身鏡【小説】

お気に入りのカップを左手に、右手に歯ブラシを持って、鏡に向かって歯磨きをする。鏡は自分の本当の姿を表してくれる。鏡の前に立っている姿は、どういう表情をしているのかを鮮明に写し出す。そこに虚像は無い。目を閉じると聞こえるのは歯を磨く音と、止まることのない水の音。朝はどうして憂鬱になるんだろう。十分な睡眠時間を確保しているはずなのに、気分が晴れないのだ。

なぜ憂鬱なのか。この短い朝の習慣の中で自己分析をする。何回も考えたことがあるので答えは分かっている。そして、何回考えても同じ答えしか出ないのである。学校に行くのが辛い。いじめられている訳では無い。むしろその逆に近い。学校では人気者の仮面を被っている。親友にちやほやされているのを実感しているから、本当に人気者ではある。そうして優越感を得ている。私は知っている。相手の人気者扱いが本心では無いことを知っている。人間の裏の顔は分からないものだ。でも、こうして人気者を演じるのは学校生活で取り残されない為の手段の一つにしか過ぎない。

そうでもしないと安心して過ごせないのだ。内心ではビビっている。いつ、自分がいじめられる番になるか分からない。段々、人気者の役を演じることが億劫になっている。学校という鳥かごの中で、藻掻き悲しみ楽しみ分かり合える時間は数年しかない。長い人生の中で数年の時間はとても大切だと分かっている。でも、その時間こそが恐怖でもある。たった数年でも学生時代の数年は刺激に溢れていて、長く感じるものだ。中学生の頃は友達が居なかった。いじめられていた。だから、同じ繰り返しはしたくない。私は過去の暗い人間性を消した。そして、高校で過去をリセットして、リベンジすると心に誓った。

リビングに行って、テーブルに置かれているパンを食べる。母と父は仕事で居ない。その方が返って良い。朝は誰にも話す気持ちが出ない。この状態を自分ではスイッチがOFF状態と思っている。そのスイッチを切り替えるタイミングは決めている。その状態を臨機応変に変えることは至難の業で苦手だなのだが、するしかない。露骨に二面性が現れるのは避けたい。

『朝山』と豪勢なネームプレートの掲げている家を出て、いつもどおりの通学路を歩く。朝の住宅街の道ですれ違うのは犬の散歩をしているおじさんや、ゴミ出ししているおばさんくらい。いつもの日常。昨日となんの変わりもない。私の名前は朝山一子。17歳の高校二年生。趣味はバドミントン。生まれてから苦労というのを知らない。エスカレーター式でいつの間にか高校生になっていた。自分の好きな服も食べ物も全て親が払ってくれる。それが私にとっての基準だから幸せなのかは分からない。将来の夢は無い。見つけて来なかった。というか若い内から自分のしたいことが見つける方が大変だと思う。学校までは徒歩で通っている。出てから数分は親友とは出会わないからOFFの状態が続いている。数分歩くと

「一子おはよう!」

友達の杉山直美に声を掛けられた。直美はクラスメイトだ。ここで人気者スイッチをONにする。笑顔で挨拶をする。積極的に話す。そうしていると、徐々に同級生が私を取り囲んで持て余す。周りから見れば女王様に見えるかもしれない。会話内容は、ファッションとか恋愛とかジャンルは様々。でも、すべてが満たされていると言えばそうじゃない。何か足りないのだ。それが何なのか表現することが出来ないのが悔しい。

みんなと話している内に私が通っている学校に着いた。私が通っているR学園は県の中で唯一のお嬢様学校だ。美しい門を潜ると萎んでいた空気が一気に花が咲くように明るくなる。この学校は金持ちの割合が高く、県の中で一番学費が高い。そんなに金持ちでは無い私の両親は朝から晩まで私の為に働いていくれている。それには、少なからず感謝している。私は甘えた人間だとは分かっている。

友達に囲まれながら自分のクラスに入る。クラスの端に座っている鈴山一未に話しかける。この子は唯一無二の親友だ。名前が似ていて双子みたいな外見をしているから親友になった。私とは性格は正反対で物静かで、あまり話さない。でも、正反対だからこそ釣り合うのかもしれないと思う。周りの友達よりも心を許し会える関係だ。そう自分自身では思っている。自分の席に座る前に、一未に放課後に遊ぼうと約束した。


鈴山一未と夜の公園を一緒に歩く。周りは誰も居ない。この公園だけが異世界空間に居るような静けさを感じた。数時間前から二人で遊んでいる。ファッション店巡りをしたりした。オシャレな店にも行った。親友と過ごせるだけで楽しさを感じた。この瞬間がずっと続くとは思っていないが。成り行きで、この公園に入った。暗闇を二人で並んで歩く。

「親友って何だろうね?」

私は一未に問いかけた。素朴な疑問だった。親友とは何だろう。一未は本当の親友なんだろうか?友達と呼べる人は何人かいる。相手の反応を見れても人の心の底を見ることは出来ない。自分が思うより相手の想像は違っていることもある。こう聞くのは勇気が必要だった。だけど、一未には親友でいて欲しいと願いを込めて訊いた。

その時だった。一未は鞄から出して来た折りたたみナイフで左腕を切ろうとしている。袖を捲りあげた時に出てきた左手首には複数のリスカの跡があった。私は右手で一未の左手を抑えた。そうすると一未の手から折りたたみナイフが落ちた。

「何しているの!」

私は一未を叱った。一未は俯いている。

「死んだら駄目。辛いことがあったら私に何でも相談して」

一未は少し頷いた。それは分かったというよりも直ぐにこの場を離れたいという心情の現れだった。私は落ちたナイフを拾った。一未は逃げるように踵を返して公園の外に出た。その背中を私は見送った。彼女の背中は暗いオーラが出ていた。私は心配で仕方なかった。


翌日、私は学校の授業を受けている。教科は古文でおじいちゃん先生が授業を担当している退屈な授業だ。これが社会に出たときにどんな役に立つのだろう?大人になった同級生との会話で授業内容や先生の特徴を懐かしむだけではないだろうか?そんなことと同時に昨日のことが頭に蘇る。なぜ一未は死のうとしたのか。腕に残るリスカの跡が目に焼き付いている。今日、一未は学校に来ていない。もちろん、本人に聞く気はない。問いただせば苦しむのは分かりきったことだ。

チャイムが鳴り授業が終わった。さっき使ったノートや教科書を元の位置に戻した。そして、次の授業の準備を始めた。次は数学だ。準備が終わってから近くの席にいる杉山直美に話しかけた。

「一未って何か悩んでいたのかな?」

と問いかけた。

「カズミ?って誰の話?」

直美は不思議そうな顔をした。瞬きの回数が増えたように感じる。私は不思議に思った。一未は同じクラスメイトだ。知らない確率は他のクラスの人に比べて低いはずだ。

「居たじゃない、鈴山一未だよ」

「一子、最近、性格の変動が激しくない?」

直美の言葉と被さるように授業開始のチャイムが鳴った。話したいことはまだあるが、それぞれが席に付いていくので、私も席に戻った。


放課後、職員室に行った。一未が休んでいる理由を聞くためだった。担任をしている先生の机に行く。担任は社会を担当している水岡先生だ。40代後半くらいで、お腹は見事な中年太りをしているが、生徒から人気のある先生だ。私はあまり好きじゃないけど。

「先生、鈴山さんのことですけど」

「鈴山?誰のことだ?」

担任も直美と同じ反応を見せた。

「鈴山一未さんです。クラスメイトです」

「そんな生徒は居ないぞ。何を言い出すんだ?先生は忙しいんだ。早く返って勉強しなさい」

そんな筈は無い。これは何かのドッキリだろうか?そしたら何のためにドッキリをかけるのだろう?そう思っていると先生は忙しそうに職員室を出ていった。嫌な感じの先生が担任になったことを悔やんだ。担任ガチャ失敗。


家の布団に潜りながら考えた。そういえば鈴山一未の連絡先を知らない。連絡先も知らないなんて親友と言えるのだろうかと思った。やはり自分が勝手に親友だと思っていただけだろうか?あの夜もイヤイヤ付き合っていただけだったのだろうか。考えれば考えるほど頭が痛くなる。心が締め付けられそうだ。この現象の名前や対処法を調べる方法が分からない。暇つぶしにネットで学校あるあるのサイトを見ていると、次のページに行くときに広告が出た。ウザいと思いながら小さいバツ印を押そうとしたが、広告の内容に目に入った。

『心理相談募集中 カウンセラー木崎』

と書いていた。今、話題の人らしい。その話題を信じている訳では無い。作り出された話題かもしれない。でも、今は誰かに相談したいと思った。

電車に乗って相談所に行った。二時間ほどで着いた。サイトに書かれていた住所をスマホで確認しながら目的の場所に着いた。四階建ての古いビルだった。ところどころヒビが入っている。木崎相談所は一階にあった。ドアを開けると一人の女性が立っていた。左胸に付けられたネームプレートには『海原幸恵』と書かれていた。幸せを恵んでくれそうな名前だ。その女性に

「予約していた朝山です」

と言った。ここは完全予約制である。その女性は笑顔で個室に案内してくれた。個室に入ると、そこには男性が座っていた。30代くらいだろうか?その男性が座っている後ろの棚には心理学の本が置かれている。進路指導室を連想させた。

「こんにちはカウンセラーの木崎です」

木崎はニッコリと笑顔を作った。営業スマイルなのだろう。少し不気味だ。私は座って相談内容を話し始めた。もちろん、相談内容は鈴山一未のことだった。話すと心が整理される。木崎は頷いたままだった。一通り聞き終わると木崎は

「君は二重人格だね」

と言った。

その言葉を聞いたとき、頭の脳内に蘇るものがあった。


いつも笑顔で友達と接する表の顔に疲れた朝山一子は鈴山一未という別の人格を作り出した。自分とは対照的な鈴山一未を作り出すことによって心を安定させた。そのうち、朝山は朝山と鈴山は別々の人格と思う。公園での鈴山の自殺未遂のショックで朝山は自身が鈴山という人格を作り出したことを忘れていたのだった。


「何か思い出したかい?」

木崎が訪ねてきた。

「全て思い出しました。私は二重人格だったんだ。また、精神科で見てもらうことにします」

「そうですか。では、料金は二千円でお願いします」

財布から千円札を2枚出した。それを木崎に渡した。そして、相談所を出た。

自宅に戻る。両親は仕事で相変わらず居ない。鏡の前に立つ。鏡に写った自分の姿を見る。私は誰なんだろう?肉体は朝山だ。そう思っている心も朝山。左袖を捲くって見たらリスカの跡が大量にあった。自殺を止めようとしたのは自分自身を守るためだったのだ。あの時は、人格が半々だった。しかし、あれから鈴山の人格は出てこない。いや、分からないだけで出ているのかもしれない。カウセリングをしている時も鈴山の人格が出ていたから木崎は二重人格だと判断したのだ。

私は誰なんだ。頭をかき乱す。頭の中がぐるぐるしている。衝動的だろうか。思わず右手で鏡を叩いて割ってしまった。痛みの感覚がある。鏡の破片が床に落ちた音がした。その時だった。鈴山の人格が出てきたことが分かった。ということは今は朝山の人格と半々だ。

「なぜ死のうとしたの?」

朝山の人格は鈴山の人格に言った。朝山の人格は割れた鏡を見ながら言った。

「朝山さんのストレスを私にぶつけてきたから」

鈴山一未の人格はボソボソと言った。

「だから死のうと思ったわけ?」

「一子、もうこんなこと辞めようよ。私が居たら一子が大変なことになる」

一未の言葉は私を迷わせた。このまま鈴山の人格が無くなればストレスの当たり口が無くなって朝山の人格自身が自滅するのではないか。そう思っていると鈴山の人格が消えたことが分かった。これで良かったのか。このまま鈴山一未の自殺未遂に振り回されたくない。私は割れたガラス破片の一つを手に取った。深呼吸を一つして、自分自身の肉体に向けて思いっきり首や心臓に突き刺した。血が鮮やかに溢れていくのを意識が遠のくなかで感じた。

そして、一人の肉体・二人の人格は、この世界から消えた。

【作者からのメッセージ】
このメッセージを見るということは大半の人が読み終えただろう。そう思って話を進める。読み終えてから、この小説のタイトルに込められた意味が分かるだろう。人間の二面性を描いた物語。ストレスを感じる主人公は鈴山という人格を作る。そこに信頼を置くことによって本当に別の友達のように思えてくる。変身するのだ。途中で登場するカウンセラーの木崎は『カウンセラー』という小説に主人公として出ているので、興味のある方はご覧下さい。現代の息苦しい世の中で生きる女子高生をクローズアップして書いた。最近、社会派小説を書くことにハマっている。しかし、メッセージ性が有りすぎるのもいかがなものかと感じて強く強調出来ない。次回作も楽しみにして欲しいです。

植田晴人
偽名。途中まで書いていたが、執筆する気持ちがなくなって一ヶ月くらい経ってから執筆再開して完成しました。




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