流星の恋【小説】
星がキレイだ。真っ暗な夜空に様々な星が映し出されている。キラキラと光る数えることも出来ない星たち。一つ一つが輝いている。まるで星が個性を表そうと必死になって主張しているみたいだ。見つめていると、真っ暗な夜空に小さな流れ星が落ちた。その流れ星は、一瞬で消えた。その瞬間、凄くドラマチックを感じた。
青色のサッカーシューズで芝生を踏みつけながら右足でサッカーボールを蹴った。汗が体中を支配する。ペナルティエリアには数人の敵チーム選手がいる。敵チーム選手にボールを取られないようにしながらボールをシュートする体勢に入った。場内アナウンスが試合終了まで20秒を切ったことを告げた。その間にゴールを決めなければ、同点によりPK選になってしまう。その前に1点を決めるのだ。ボールをキャッチしようと黄色いユニホームのゴールキーパーが睨みを利かしながら構えた。右側に蹴ると思わせて左側にインステップキックした。フェイント効果のおかげで、ゴールキーパーは、ぎりぎりボールを止めることが出来なかった。ボールはコートの真ん中から少し左側にシュートした。その瞬間、「ゴールーー!」という審判の大きな声が聞こえた。観客の声援が一段とアップした。観客席は試合が始まってから最大の熱狂に包まれた。観客席から吹奏楽器の音色で校歌が流れているのが聞こえる。8番ユニホームを着た南田龍二は疲れと喜びで、ガッツポーズをしながら、その場に跪いた。
試合結果は2対1。我が岡山県立滝美高校は全国高等学校サッカー選手権大会岡山県予選の準々決勝を制して、準決勝に進出することが決まった。ぎりぎりの接戦だった。前半戦が始まって21分後に相手チームに1点を取られた。そのまま取ることもできずに、取られることもせずに前半戦が終わった。前半戦の結果は1対0。15分の休憩を挟んで、後半戦。後半戦は我が校が後半戦が始まってから17分後に、1点を獲得。1対1。龍二が試合終了の10秒前にもう1点を取った。同点ではないので、PK戦は行われない。
龍二は流れる大量の汗を手の甲で拭きながら、チームメイトが集合しているベンチまで走った。女子マネージャーが用意してくれたスポーツドリンクを飲みながら体力を回復させる。今、龍二の心臓はバクバクと音をリズムよく奏でている。疲れと喜びが混じりあっているのだ。夢の全国大会まで近づいたが、準決勝と決勝を制さなければ、岡山県の代表として出場することが出来ない。それでも、一歩一歩ではあるが、夢に向かって近づいている。
高校サッカー全国大会は各都道府県から都道府県代表として1校のみが出場することが出来る。東京都は2校だ。合計48の高校で対戦する。その1番が全国大会での優勝校だ。我が岡山県では1回戦〜4回戦、準々決勝、準決勝、決勝という順で勝っていかなければならない。大阪府など出場高校の多い都道府県では6回戦まであり、それに加えて準々決勝、準決勝、決勝がある。
この準々決勝大会は私立岡山幸田高校との対戦だった。私立岡山幸田高校は、岡山県でもサッカーの強い高校に分類される。前回の大会では準決勝まで行った実績がある。我が校の岡山県立滝美高校は、過去に準々決勝に進出したことは無かった。いつも4回戦敗退だったのだ。しかし、準々決勝に出場することが出来て、強豪校である私立岡山幸田高校にも勝ったのだ。我が岡山県立滝美高校は岡山市に隣接している人口4万人規模の小さな市にある県立高校だ。自然豊かな田舎町に堂々と校舎を構えている歴史ある学校である。
今年、監督が変わって、サッカー部は前よりも強くなった。新しく変わった監督は国語教師の田山。学生時代にサッカー全国大会の山口県代表としての出場経験のある人だ。サッカーの技術が斬新的で尚且メリハリのある指導方法でサッカー部員からの好感度は高い。見た目は背が高くて細いので、もやしを想像するが、運動神経から推測すると、服の内側はがっしりとした体格をしていると予想できる。年齢は40代後半で白髪が生えていて、老けてはいるが、昔はモテただろうなという雰囲気を残している。
その田山監督のおかげで4回戦を制して、準々決勝も制することが出来た。次は準決勝だ。チーム一丸となって戦い、そして勝利を目指す。一人一人が自分の力を最大限に発揮する。サッカーはチームプレイだ。それぞれの長所を試合に活かす。試合終わり、学校の制服に着替え終えたチームメイトと雑談しながら帰路についた。チームメイトの一人、金本隆とは一番仲がいい。隆とは、同じ170cmでテストの成績も似たようなもの。まあ、どちら共にテストの成績は良くないが。隆は同じサッカー部だが、野球部みたいに、丸刈りにしている。龍二は隆と対照的で、髪は長い方だ。好きなサッカー選手や好きな音楽も同じ。そんな隆とは高1の時からのチームメイトであり親友だ。隆の彼女はサッカー部の2人いる女子マネージャーの一人。隆の彼女の名前は三鷹愛華。少しブラウンのショートヘヤーで活発な女の子。一緒にいるだけで、幸せを運んでくれそうな雰囲気を出している。スポーツドリンクのcmで話題の女優として出演していても不思議ではないくらいカワイイ。全員が3年間同じクラスメイトでもある。龍二は隆と同じ愛華に恋をしていた。一年前、隆が先に告白して愛華からOKが出たことにはショックを受けたが、隆が幸せならいいと諦めることにした。最近流行りの漫画系YouTuberにハマっているだとか、他愛のない話をした。他愛のない会話だが、会話している内に幸せがこみ上げる。龍二、隆、愛華が笑い合う。龍二は空に浮かぶ夕日を見上げて、こんな時間がずっと続けばいいのにと思った。
帰り道、隆や愛華と別れた龍二は家の前で足を止めた。龍二の家はボロボロの一軒家。築何年か不明なほどボロボロだ。軽く50年は経っているだろう。外観で分かるといえば、木造二階建てくらいか。窓ガラスをガムテープで修理した跡がボロさを一層強く表している。まるでお化け屋敷みたいだなと自分の家ながら思う。こんなボロい家を出ていって、将来は一流のサッカー選手になって大きいマンションの高層階で東京とか大阪の夜景を眺めながら暮らすんだ。正直言って、この家が昔から嫌いだった。生まれた時から住んでいるこの家のせいで、小学生の時は『貧乏少年龍二』というなんのひねりもないあだ名を付けられていじめられていた。「あいつに近づけば貧乏になる」とか言われて、クラスメイトから無視された。「バリア」とか言って避けられていた。子供というのは純粋な分、ストレートで残酷なのだ。小学生の時は、言っていいことと悪い事の判別が曖昧で、人の気持ちを判断することが難しい年頃なんだよな。龍二は高校生ながらにして子供の残酷さを悟ったのだった。
苦い小学生時代を思いだしながら、ボロボロの横スライド仕様のドアを開けた。ガタガタと音が鳴る。不快音が耳に伝わる。滑りが悪い。玄関には、数枚のチラシが落ちている。殆どが清掃業者の広告だ。この家の外観を見ると、清掃業者にとって最高の物件なんだろう。チラシに写っているスタッフの笑顔が胡散臭い。傘立ての横にあるゴミ箱に捨てた。玄関のドアが郵便受けになっている。内側に、ドアポストは付けられていない。買うお金がないのだ。帰宅時に床に落ちている数枚のチラシを見るたびに貧乏だなと思う。
南田家は父と母、龍二の妹である美咲の四人家族だ。父の隆太は45歳。フリーターで職業を転々としている。何も考えずに生きているって感じ。酒に酔うと、与党がどうとか、社会の不満をネチネチと語りだす。正直嫌いだ。政治なんて知らねーし、興味無い。そんな話題をなんで聞かないといけないんだよ。将来は、こんな人間になりたくない。自分の責任を誰かのせいにして、誰かにぶつからないと自分を表せないってなんだよ。今はどんな仕事をしているか分からないし、興味もない。母からの情報によると給料は競馬とか競輪などのギャンブルに使い込んでいるらしい。家族のためというかギャンブルの為に働いている感じ。だから父の給料は当てにしてない。母の真知子は、父と同い年の45歳。スーパーのパートと和菓子屋のパートを掛け持ちしている。母のパート代が家族の生活費だと言っても過言ではない。母の性格は優しい分類に入る。心優しい母は、どうして父と結婚したのか未だに不思議だ。ただ単に父の容姿がカッコよかっただけか?そんなんで子供産んでんじゃねーよ。欲求を満たすために猿みたいにヤッて生まれた子供。計画性なく生まれた兄妹。なんの為に生まれてきたんだろうと思う。
龍二の妹である美咲は4歳年下で、14歳の中学生二年生だ。美咲は優しくてかわいい。性格は母似。龍二は他の誰よりも美咲のことが好きだ。周りからはシスコンと言われようが、妹が好きで好きでたまらないのだ。ことあるごとに妹を守りたいと思うし、妹のためならなんだってする覚悟がある。とうの妹からはどう思われているか分からないが、妹に嫌われようが、好かれようが、妹のことを思い続ける。兄としての責任と義務があるのだ。あんな両親からどうして、かわいい妹が生まれたのか不思議で仕方ない。兄妹どちらとも母の遺伝が大きいようで、それはそれで安心している自分がいる。
サッカーで使ったユニホームを古びた洗濯機の中に放り込んだ。洗濯機を回すのは龍二の仕事だ。この時間は父と母は共に仕事だ。両親は龍二の試合を一回も見に来たことはない。仕事で忙しいからだ。龍二は試合を見に来られても恥ずかしいだけだから見に来なくてもいいと思っている。妹はときどき見に来る。妹は、友達と遊んでいるようだ。いつも夜遅くに帰ってくる妹を心配している。変なことに巻き込まれていないだろうか?流石に、誰と遊んでいるか聞くことはしないけど、心配になる。たぶん、父や母よりも妹のことを心配しているだろう。両親は妹が何時に帰ってこようが何にも言わない。どうして心配しないんだ?
狭いながも、自分の部屋がある。二階にある小さい畳部屋だが、ここが家の中で一番安堵出来る場所。自分の支配下。自由に過ごせる領土。部屋を見渡せば、好きなサッカー選手が両手を広げて芝生の上を爽快に走るポスター、サッカーボール、賞状、オシャレな服。全てが自分を表現するもの。学校では同じ制服を着て個性を表せないから部屋では、存分に個性を表す。この部屋が自分なんだよ。この部屋が自分の分身なんだよ。
スポーツバッグを部屋の隅に乱雑に置いて、部屋着のパジャマに着替えて布団に寝転ぶ。寝転んだら、今日の疲れが一気に出てきた。YouTubeを開いて動画を見る。海外のサッカー選手の神業まとめ動画を見て、流行りの音楽を聞いた。アップテンポの曲のサビフレーズを口ずさみながら、勉強しないといけないなと思う。そう思いながらもダラダラと動画を見ながら時間を潰した。
数時間後。結局、少しだけ勉強して、晩ごはんの時間になった。時間って早く感じる。母が帰ってきた。激安スーパーの袋を掲げてクタクタになりながら帰ってくる母を見て、「いつもありがとう」と思った。でも、恥ずかしくて言えない。どうしてだろうな。小学生の頃は、いつも感謝を述べていたのだが。今日は珍しく美咲も帰ってきた。いつもより4時間は早い帰宅。逆に心配になる。美咲は龍二を一瞥して母と雑談を始めた。美咲は龍二と話はあまりしない。なんか、避けているという感じがする。化粧品がどうとか、龍二には分からない会話が続いた。
数分後、妹は母と一緒に料理を始めた。なんで女って料理が好きなんだろうなと思いながら、龍二は棚から皿を出した。匂いから今日の晩ごはんはシチューだなと思った。シチューの匂いを嗅ぎながら椅子に座った。腹が減ってペコペコだ。父の帰りは遅い。といっても妹が一番遅いが。父以外の2人か3人は先に晩ごはんを食べる。龍二は父が嫌いだから、少しでも一緒に居たくない。父以外で食べる方がいいと思っている。晩飯を食べて、歯磨きして、お風呂に入って寝た。明日は学校だ。頑張らないと。
次の日。龍二は学校の授業を受けていた。眠くなる4限目。窓の外から鳥の鳴き声が聞こえる。窓の外は田んぼだらけ。ザ・田舎町の光景。シャーペンを鼻に挟みながら、退屈な社会の授業を受ける。ゆっくりとした喋りが特徴のハゲ教師は龍二を苛つかせた。もう少し早く喋れよ。効率だよ効率。どうして授業って退屈なんだろう。ハゲ教師がGHQがどうのことのと言っている。教科書に載っている古びた写真には階段から降りてくるサングラスを掛けた人が写っている。龍二はカッケーと思った。軍服を着ている、高身長の人物。何センチくらいだろうか?そんなどうでもいいことを考えていると授業が終わった。
昼休み。龍二は隆と隆の彼女である愛華と三人で食堂まで歩いた。ハンバーガーみたいに二人の男は愛華を挟んで歩く。話題の曲や話題の岡山県出身芸人について話しながら、廊下を歩いていると、数m先の部屋から女性が出てきた。その女性は白いスーツに身をまとい、女性にしては身長が高い。龍二と同じくらいの身長だ。スタイルが良くてモデルかと思った。龍二は首を降る。ここは学校だ。それも田舎町。モデルが来る訳が無い。
サラサラした黒髪のロングヘヤー、きれいな唇。落ち着いた雰囲気。道端でギャアギャア騒ぐタイプではない女性。この世のすべてを知ったような大人の女性という感じ。その雰囲気が色気を出している。龍二は胸が熱くなった。この廊下にドキドキと音が聞こえそうなほど動揺している。龍二は恋をした。龍二は、まだ女というものを知らない。ヤッたことも無ければ付き合ったこともない。恋愛経験ゼロの龍二は恋に落ちた。その女性は龍二たちとは反対側に行った。隆に「行くぞ」と言われるまで、ずっとその女性のことを見つめていた。
隆と愛華は不思議そうな顔で龍二を見つめていた。「ボッーとしていただけさ」と誤魔化した。食堂に向かいながら、女性が、さっき出てきた部屋を横目で確認した。そこのドアプレートには事務室と書かれていた。ここに事務室があったのか。3年間、この高校で過ごしていたが、全然知らなかった。ということは、あの女性は事務職員?この学校に、あんなキレイな女性職員が居たなんて。どうして今まで気づかなかったのだ。いや、気にしていなかったからかもしれない。現に、食堂に行くときに何度も通っていた。この階を使う目的が食堂とか実験室だから、他の場所に興味が無かった。龍二や隆、愛華の教室は一つ上の階にある。
それからというもの、あの事務室から出てきた女性職員のことを考えていた。6日後の準決勝に向けてサッカーの練習の時も、あの人のことを考えていた。あの人のことを考えすぎて、ミスを連発した。新監督の田山に注意された。集中しないと。三角コーンを均等に並べた芝生の上をサッカーボールでドリブルしながら、走る。サッカーボールを蹴っていると「無」になれる。悩みなんかは、この時は忘れられる。自分の足とサッカーボールをぶつけ合いながら、自分とはなんだろうと思う。自分は何の為にサッカーボールを蹴るのか?自分に問いたら答えは帰ってくる。夢があるからだ。将来は一流のサッカー選手になりたい。日本、いや世界中の人を熱狂するくらいスケールのデカい選手になりたい。観客の声援、シュートする快感。1点の重み。たった1点。でも、視点を変えてみれば、たった1点でも沢山の人を熱狂させることが出来る。龍二が1点、いや何点も取って応援している人を熱狂させたい。息を切らしながら走る。ひたすら走る。龍二は自分の夢に向かいながらドリブルする。まるで未来に向かっているように走り続けた。
日曜の午前。龍二は、隆と愛華と龍二だけのライングループにメッセージを送った。駅前のファーストフード店に集合しようという内容。話す内容は、来てからの楽しみにした。龍二は、あの事務の女性に近づくにはどうしたらいいか作戦会議しようと思った。隆と愛華なら自分の恋心を話していいかなと思った。二人なら龍二の恋を応援してくれるのではないか?二人の意見を聞いて、あの好きになった女性に近づきたいと思った。
龍二が先に店に着いた。店内はガラガラで、数人しか客が居ない。龍二は二人が来たことを分かるように、窓側の四人席に座った。数分後、二人はイチャイチャしながら店に入ってきた。隆は緑色のズボンにグレーのパーカー。パーカーはダボダボに対して、ズボンは足にフィットしている。いつものスタイル。愛華は黒色のスキニーデニムに茶色のプルオーバー。ベリーキュートなファッション。愛華のファッションセンスは学校一だと思う。それに対して、貧乏な龍二はヨレヨレの白Tシャツに、使い古したGパンを身に着けている。服装という鎧を被って強がることも出来ない姿だ。
隆と愛華は龍二の前に並んで座った。隆は店員にポテトとハンバーガーを頼んだ。話すだけだからメニューは何でも良かった。貧乏な龍二は贅沢は出来ない。龍二は口火を切った。早く話さないと、話すタイミングを逃してしまうと思った。
「実は……」
龍二は学校の事務の女性職員に恋をしたことを話した。食堂横の事務室、美しい女性、大人の色気。龍二は自分の恋心すべてを打ち明けた。初めのうちは、驚いて聞いていた二人だが、龍二の真剣さに冗談ではないと思ったのだろう。隆は目を閉じて、ときどき頷きながら真剣に聞いている。愛華は大きい目をパッチリとさせながら興味津々に聞いている。龍二は二人に、どうしたら近づけるかいいか、一緒に考えてほしいと頼んだ。
「まず、その女性職員の名前を知ることだな。その次に自分を知ってもらう。それから、その人に彼氏がいるかどうかも大切だ。まずはその3点だ」
隆は手で3を作りながら、少し大きい声で言った。数人の客がこちらを見た気がする。愛華は頭を上下しながら頷き、同意している。まるで、壊れた機械みたいだなと思った。
「どうやったら、あの女性職員のことを知れるだろう」
龍二は、早く女性職員に近づきたいと思った。焦るな落ち着け。サッカーの試合でも落ち着きが大事だ。「焦らずに、冷静さを保て」田山監督のハキハキとした声が脳内で再生される。心を落ち着かせる為に、ゆっくりと息を吐き出した。
「事務の女性職員だろ?あまり事務室に用事はないからな。何しているか分からないし」
学校の事務は何をしているのか?スマホで検索してみた。仕事情報サイトをクリック。目次から仕事内容に飛ぶ。主な仕事としては学校施設の管理、生徒の管理、学生募集などなど。管理の文字がやたらと多い。飛ばし読みをしながら、いろいろとあって大変そうだなという小学生みたいな回答しか出てこなかった。そんな感想しか出てこない自分に呆れた。
「事務室か〜。事務室といったら学生証を無くしたきり行っていないな」
隆が口にした言葉、正確には『学生証』というフレーズを聞いて、龍二は頭の中を電気が走ったように閃いた。
「学生証を無くしたと言って、事務室に行くっていうのは?」
「わざと落として大丈夫?個人情報とか平気なの?」
愛華が不思議な顔をして呟いた。隆は愛華の純粋さに苦笑いをする。龍二も同じ顔をしているだろう。
「別に、わざと落とさなくていいんだよ。自分の部屋の机に隠して置けば、見つかりっこないよ」
龍二が言うと、愛華はなるほどという顔をした。学生証の再発行を申請するために事務室を訪れるのは至って普通のことだ。二人が知り合うキッカケは自然の方がい。3人はまるで、サッカーの作戦会議をするように、『学生証を無くした作戦』の構想を練った。それは、夕方を過ぎても続いた。龍二は、ときどき店員の方を見ると、眼鏡を掛けた20代の若手店員は迷惑そうな顔をして、こちらを見ていた。
月曜日の朝。龍二の机の引き出し奥に、学生証をそっと置いた。これで、準備は整った。後は、事務室に行って再発行を申請するだけだ。食卓に座って皿に付けられたラップを取って朝食を食べた。今日の朝食は昨日の残り物。父と母は仕事。美咲は早くに学校に行っている。歯磨き、髪セット、制服に着替えて、家を出た。遅刻ギリギリだ。小走りで学校に向かう。いつもの日常。
学生証再発行の申請は放課後にすることにした。それまでの楽しみに取っておこう。楽しみを後に取っておくことによって、時間が早く過ぎるかもしれない。数ある教科の中で、国語の授業が一番緊張する。監督の田山の授業だからだ。龍二のクラスには隆や愛華など数名のサッカー部員がいる。そのサッカー部員を中心に当てていくので、集中しなければならない。しっかりと答えれないと、サッカーの練習に影響が出る。いつ、当てられるか分からないので、真剣に授業を受けた。そのおかけで、国語のテストの成績は他より少し高い。この時間だけは早く放課後が来てくれという思いを忘れて、授業に集中した。
放課後。サッカー部の部活動が始まるまで、少し時間がある。その間に『学生証を無くした作戦』を実行するのだ。隆と愛華に「言ってくる」と言って、ゆっくりとした足取りで事務室まで向かう。一流サッカー選手がサッカー場に入場するときみたいに胸を張って歩く。心臓がドキドキと鳴る。サッカーの練習や試合終わりより胸の高鳴りが大きい。
あの人に近づいている。あの恋した女性に。いつの間にか、事務室のドア前まで来ていた。シンプルな茶色のドア。後はノックするだけ。コンコンと音を立ててノックした。龍二は「失礼します」と言ってドアを開けた。ドアをゆっくりと開いた。
事務室は茶色をベースとしたシンプルな作りだった。縦長のオフィスデスクには、パソコンと沢山の書類が置かれていた。そのオフィスデスクには、数人の職員がパソコンに向かって仕事をしていた。殆どが女性職員だ。あの恋をした女性職員を目で探す。
その女性は一番手前の席に座っていた。その女性がパソコンから目を離して、二人の視線がぶつかった。胸の高鳴りが止まらない。龍二は、嬉しさと安堵で汗が出てきた。居てくれた。それだけでも嬉しかった。さっそく、目当ての女性職員に用件を伝えなければ不審に思われる。
「すいません。学生証の再発行したいのですが」
その女性職員に向かって言いながら、龍二はチラッと、その女性職員のネームプレートを見た。シンプルなネームプレートには 松本かれん と書かれていた。なんてカワイイ名前だ。名前と容姿が一致している。美人だからか、名前まで美人に感じる。年齢は20代後半くらいか。大人の女性という雰囲気が出ているので、実際は、もっと若いかもしれない。
「学生証の再発行ですね。少々お待ち下さい」
初めて聞く松本さんの声。落ち着いた声をしている。声もキレイだ。声質から優しい性格だと感じた。松本さんは机の上で書類を探している。学生証再発行の手続きの書類だろう。正直言って再発行はどうでも良かった。いざとなれば、机の奥にあるのだから焦る必要は無い。松本さんに近づく口実に過ぎない。龍二は自分を印象付ける方法を実行することにした。
「学生証を無くして、すいませんでした!」
龍二は、その場で大声で謝罪し、土下座をした。その瞬間、数人の職員が、こちらを見た気がした。頭を下げているので分からない。他の職員がどう思おうが勝手だ。松本さんの反応が大事なのだ。しばらくの沈黙。
「えっと。そんなに謝らなくても大丈夫ですよ」
戸惑う松本さんの声が聞こえた。龍二は土下座の姿勢のまま、これで印象は付いただろうと思った。頭を下げたまま立ち上がった。出された書類に必要事項を書いて、「よろしくおねがいします」とまたしても大きな声で言って、事務室を後にした。ドアを閉めた瞬間に力が抜けて、廊下に座り込んだ。龍二は大きな息を吐き出した。
次の日。龍二たち3人は体育館裏に集まった。前回の作戦会議の時、体育館裏で作戦会議をしようと決めたのだ。ファーストフード店で長く居座って作戦会議したせいで、店員に追い出されたのだ。あの眼鏡を掛けた20代の若手店員は有無を言わさぬ雰囲気で3人を外に追い出した。学校に通報されたら面倒臭いことになるので、素直に従って出ていった。心の中では「うぜぇ」と思っていた。隆も同じ気持ちだろう。
体育館裏はエッチな漫画の舞台みたいな雰囲気を出している。誰も居ない。仮に、ここでエッチなことをしても見つからないだろう。変態的な妄想が頭を支配する。カワイイ女の子の愛華が居るから余計に妄想がリアリティーを増す。『3p。二人がかり。放課後』そんな変態ワードを考えている場合ではない。妄想をかき消すように頭を左右に振る。松本さんに自分のことを知ってもらう作戦を立てなければならない。どうしたら自分を認識してもらえるのか考える。今の龍二はテスト以上に頭をフル回転していると思う。
「松本さんという人に彼氏がいるかどうかがネックになるな」
隆は言った。それは龍二が一番気になっていることだ。あんな美人だから彼氏が居てもおかしくはない。いや、彼氏が居る方が普通だ。まさか、処女ではないだろう。印象付け作戦は終わったので、今度は龍二のことを知ってもらおうと思った。認識してもらうのだ。知ってもらうには話しかけるタイミングが大切だ。どのタイミングが一番聞いてもらえる確率が高いだろうか?確率論というのは分からないが、ベストタイミングを考えることは出来るだろう。
「松本さんの帰りを龍二が待つ。廊下に出てきた松本さんに『僕の不始末で、学生証を落としてしまって、迷惑をかけてすいません』と謝り、それとなく話を広げるというのはどうだ?」
隆は自信満々にアイディアを出した。どうして、こんなにアイディアが出るんだろう?隆の頭をスキャンして、見てみたい衝動に駆られた。隆のアイディアに意外にも愛華が敏感に反応した。
「男子って、そんなこと考えているの?ストーカーみたい」
「男なんて、変態ばかりだよな?」
これは、隆が龍二に向かって言ったセリフだ。龍二は図星だったので黙っていることにした。愛華は少し否定したが、龍二は良い案だと思った。会話をするキッカケが大切なのだ。松本さんから来てくれるわけがないので、こちらから行くのだ。作戦名は『それとなく、会話を広げる作戦』ということにした。隆と龍二の説得により、しぶしぶ愛華は、その作戦を了承した。作戦の実行は3人の意見が一致した時に行うと決めていた。次の作戦会議は準決勝終わりの3日後にすることに決めたのだった。
次の日。明後日は準決勝の日だ。朝のホームルームが始まった。眠いので目をこすりながら、担任である理科教師の道長の話を聞く。道長は30代後半で眼鏡をかけていて、優しい性格をしている。優しい性格なので、怒っても怖くないからクラスメイトからはナメられている。特にクラスのボスである酒井は、道長の話を一切聞かずに寝ている。酒井が寝ていても道長は一切注意しない。酒井は、中学時代から知っているが、中学生の時から不良をしている。龍二は今どき不良なんてカッコよくねーよと思っている。もちろん、口には出さないが。
そんな酒井を横目に、龍二は半分眠りながら道長の話を聞いてた。朝はどうして眠いんだろう。思わず欠伸が出そうになる。道長が「田山先生が……」と言ったので飛び起きた。電気ショックを食らったみたいに、目覚めた。周りの席の生徒が龍二を見た。皆、驚いた顔をしている。周りの生徒の反応などどうでもいい。田山監督がどうしたのだ?道長は苦いものでも飲み込んだような顔で続ける。
「国語の田山先生が、昨日の帰りに交通事故にあった。命に別状は無いらしいが、全治2週間らしい」
教室がざわめく。龍二は国語の授業よりも明後日のサッカーの準決勝はどうするのか気になった。斜め前に座っている隆がこちらを向いた。お互い、目を合わせる。同じ思いなのだろう、隆は動揺を隠せずに貧乏ゆすりをしている。隆が動揺している時の癖だ。道長が龍二などのサッカー部員の思いを読み取ったのか、こう付け足した。
「え〜サッカー部だが、代わりに体育の西松先生が監督を務めることになった」
西松か。龍二はアメリカの俳優がやるような大げさな動きで、肩をガックリと落とした。西松は、今どき珍しい熱血指導の教師だ。50代後半のおっさんで、時代遅れの人って感じ。バカみたいに声がデカくてゴリラみたいな顔をしている。生徒からの人気は低い。龍二は運動は好きだが、体育の授業は嫌いだ。西松という教師の元で授業をするのが、面倒くさいのだ。熱血教師というのは痛い存在だと思っている。熱さで何でも乗り越えれると思っているのだろうか?まさに時代遅れの人。そんなことを思っていると、教室に一人の男が入ってきた。20代後半か。有名スポーツメーカーのジャージを着た男が入ってきた。クラス生徒のざわめきが一瞬、静まる。
「それと、国語の臨時教師として横原先生が来てくれた」
横原は自己紹介をした。横原伸二。28歳。2週間ほど、田山先生の変わりに国語を担当することになったようだ。人手の足りない田舎町にある我が校では、他の学校の先生を臨時教師として呼んでくるしかなかったようだ。ハキハキと話す爽やか系。西松とは対照的な人物。クラスの量産型女子たちが、「イケメン」とか騒いでいる。龍二は横原を見て、いけ好かない奴だと思った。こういう自信満々タイプの教師が一番嫌いなのだ。ハイテンションで乗り切ろうとするのだろう。
2日後。全国高等学校サッカー大会岡山県予選準決勝大会当日。空は雲ひとつ無い青空が広がっている。ここは、津山市にあるサッカー場。我が校は岡山東倉敷高校と対決することになった。岡山東倉敷高校は、前回大会で岡山県大会決勝進出を果たした強豪校。前回大会では、一歩手前で岡山県代表を逃したが、2対2の同点だった。同点なので、PK選が行われて、5対4だった。接戦である。龍二は心臓の動悸が止まらなかった。監督が西松に変わり、強豪校である東倉敷高校に当たった。何より、西松の指導方法が田山監督とは全然違っていた。試合前、サッカー部員は円陣を組んで、チーム一丸となった。大きな声で、勝利を祈った。これまで練習してきた努力を無駄には出来ない。絶対に勝ちたい。準々決勝を制覇出来た。準決勝も制覇するぞ!雲ひとつ無い青い空に向かって誓った。
試合が終わった。いろいろな意味でも終わった。結果は惨敗だった。0対5で我が校の岡山県立滝美高校は準決勝で破れた。前半戦で、3点を取られた。この時点でチームメイト全員が負けたと思った。後半戦で覆すことは不可能に近かった。後半戦でも、2点取られた。我が校が入りそうな時はあったが、我が校は1点も入れることは出来なかった。龍二は悔しさを通り越して、『無』の感情になった。サッカーボールを蹴っている時間とは違った『無』の感情だ。逆に惨敗すると、不思議と悔しさは湧いてこない。準決勝前に監督が事故にあって、みんなが嫌っている西松に交代した。龍二たちサッカー部は運に見放されたのだろう。夢を見すぎていて、自惚れていた。汗の充満した更衣室は、それぞれの思いを巡らせていて、静寂に包まれていた。まるで、お葬式みたいだなと思った。
試合終わり、体育館裏に龍二を含む3人は集まった。隆と愛華の顔は暗い。龍二も同じ顔をしているだろう。準決勝に負けて、決勝大会に出ることが出来なかった。しかも、結果は惨敗。不思議と、こういう運命だったんだよなと思う自分が居た。どうして、冷静でいられるか分からなかった。悔し涙一つさえ流せない。
正直、松本さんに対しての作戦会議を開く気持ちは進まなかった。雲ひとつない青空に反比例して、3人の心は曇り空だった。愛華は、悲しさが溢れ出たのだろう、すすり泣きを始めた。隆が、ハンカチを取り出して、愛華に渡した。龍二は口火を切るタイミングが分からずに、黙っていることしか出来なかった。3人は誰とも目を合わさずに思い沈黙が体育館裏を支配した。
何分くらいしただろうか?遠くから人の足音が聞こえた。3人は、生徒でも先生でも見つかると面倒くさいことになりそうなので、近くの大きな柱に身を潜めた。足音はどんどんと大きくなってくる。3人は体を寄せ合いながら、柱に身を潜める。少しして、足音が止まった音がした。
足音が止まったので、3人はそっと、串に刺さった団子みたいに顔だけ出して、誰が来たのか確認した。来た人を確認した時、3人は同時に驚いた。横原と松本さんが居たのだ。どうしてあの二人が?龍二は嫌な予感がした。汗が湧いてくる。横原と松本さんは、さっきまで3人が居た場所で向き合った。会話が聞こえてくる。
小声ではあるが聞き取れた。話の内容から推測すると、横原は松本さんの元カレだった。横原は松本さんと寄りを戻したいと言った。松本さんは、戸惑いながらも嫌そうではなかったように見えた。松本さんは、横原に問い詰められた形で、現在彼氏が居ないことを話した。横原は、相変わらずハキハキとした口調で、松本さんを4日後にある花火大会に誘った。松本さんは戸惑いながらも、しぶしぶ頷いた。
龍二たち3人は二人の話が進むにつれて、驚きと戸惑いが交差した。龍二たちの心の中はスパイ映画に出てくる赤外線みたいに複雑に絡みあっている。少しでも、触れたら爆発しそうな心。冷静さを保たなければならない。そう自分に言い聞かす。
少しして、横原と松本さんは、校舎に戻っていった。3人は、その後ろ姿を眺めながら呆然と立っていた。誰も声を発しない。いや、発することが出来ないのだ。あのいけ好かない横原に松本さんを取られるなんて考えられない。違う学校教師の横原と元カノである松本さんが出会った。それは、田山監督の交通事故がキッカケだった。二人にとっては、奇跡的かもしれないが、龍二たちにとって最悪の事態だ。運命ってどうして残酷なんだろう?誰かが奇跡を起こせば、誰かが傷ついているかもしれない。それは、傷ついている側にしか分からないが。
「花火大会で、松本さんに思いを伝えるっていうのはどうだ?」
最初に口火を切ったのは、隆だった。徐ろに話しだした。まだ、動揺しているようで、言葉が途切れ途切れだ。隆はゆっくりと深呼吸をした。
「松本さんは、横原と一緒に回るんじゃないの?」
愛華がそっと口を挟む。
「実は、いい作戦を思いついたんだ」
隆は、ある計画を話しだした。その計画の内容は一世一代の計画だった。龍二は真剣に話す隆を見ながら、決心を固めていった。松本さんが、好きなのはもちろんだが、横原に対抗する気持ちが芽生えていた。要するに嫉妬しているのだ。この計画で松本さんに思いを伝える。これが、最後になるかもしれないと思った。
4日後。花火大会当日。3人は、普段着で花火大会に来た。近くのコンビニで待ち合わせをしていたのだ。この花火大会は、我が校がある市と隣接している町で開催されている花火大会で、1500発の花火が夜空に上がる中規模の花火大会だ。毎年、10月に開催されている歴史ある花火大会でもある。龍二は、これまでに6回くらい来たことがある。隆と愛華と3人で来るのは、これで3回目である。3人は高校で知り合ってから、毎年来ていた。1回目はサッカー部繋がりで、2回目は隆と愛華が付き合い始めた頃。3回目は……
花火が良く見える河川敷には、電車のレールみたいに沢山の屋台が並んでいる。定番の店から店員の威勢のいい声と、食べ物を焼く音が聞こえる。毎年見慣れた光景。花火大会は、いつの時代でも変わらない。河川敷は色とりどりの浴衣を来た人で溢れかえっていた。周りからは色々な声、喧騒が混じり合っている。こんな田舎に、こんなにも人がいるのかというくらいに人で屋台の間が埋め尽くされてる。1000人以上は居るだろう。カップルらしき男女。子供連れの家族。すべてが笑顔で溢れていた。幸せってこういうことなんだろうなと思う。些細なことでも幸せは人を活性化させる。そんな人たちと対照的に、今の龍二たち3人は笑顔を作る余裕すらない。龍二たちの頭の中には『作戦実行』という文字が浮かんでいる。
3人は、横原と松本さんを探すのに苦戦した。まずは二人を見つけなくてはならいない。人の多さで、人波をかき分けることでさえ苦労する。探しながら花火の音を聞く。花火を見ている暇は無かった。前や後ろから人が来るので、なかなか前に進めない。キョロキョロと目を動かしながら、龍二たちは必死になって松本さんの姿を探した。
「居たぞ」
隆が龍二の耳元で囁いた。隆が指した指の方向を3人は見る。前方遠くに横原と松本さんが居た。ベビーカステラの屋台の前に二人は居た。小さめのサイズを買っている。二人は浴衣姿だった。青と赤のスタンダードなスタイル。2人の距離は、カップルみたいに引っ付いている訳でもなく、赤の他人みたいに離れている訳でもない。龍二は二人の間に微妙な距離感を感じた。まさに、寄りを戻そうとしている男女という感じがした。
龍二は熱い思いがこみ上げてきた。初めて松本さんを見たとき、恋をした。衝撃的な恋だった。あの人に近づきたい思いで、3人は話し合い、必死に作戦を考えてきた。こっちが必死になって考えていたのに、横原という教師は簡単に松本さんと寄りを戻そうとする。龍二は腹が立った。なぜ二人は別れたのか知らない。しかし、現に元カップルの二人は一緒に花火大会に来ている。それは、寄りを戻せる可能性が高いことを意味する。別れた理由は大したことなかっただろう。自然消滅ってこともありえる。
早くしないと、横原に先を越されてしまう。たぶん、横原は、この花火大会で告白するつもりだろう。横原が告白すれば松本さんはOKを出すだろう。それだけは止めなければ。徐ろに足が動いて、龍二たち3人は二人の前に行き、立ちはだかった。
同時に驚く2人。一瞬、龍二たち5人の時が止まった感じがした。先に口火を切ったのは意外にも松本さんだった。
「あなたは、学生証の……」
松本さんが驚きながらも口を開いた。龍二は覚えていてくれたことを嬉しく思った。横原はどういう状況か分かっていないようで、口をあんぐりと開けている。情けない男だ。チャンスだと思い、龍二は松本さんの手を取って、横原とは反対方向に走り出した。
「かれん!」
横原が松本さんの名前を叫んで、龍二と松本さんを追いかけようとするが、隆と愛華がサッカーのゴールキーパーみたいに横原の前に立って、横原の動きを止めた。身動きが取れない横原。もう、後ろを振り返ることをしない。二人の親友に感謝しながら龍二は走り出した。松本さんは流れに身を任せようとしているのか、黙って付いてきてくれた。
龍二は人波を掻き分けるように一直線に走っている。すれ違う人が龍二たちを不思議な顔をして、見つめる。まさか、二人が生徒と事務職員という関係だとは思っていないだろう。今は、そんなとを想像している場合ではない。この感覚、サッカーに似ている。人波を敵チーム選手に重ね合わせて、松本さんというボールを取られないように走る。サッカーのように走り出したら止まらない。いつかは、この時間が終わることを知っている。でも、この時間を、この瞬間を一秒でも多く楽しみたい。試合終了の合図の笛が吹かれる時まで。
何分くらい走っただろうか。二人は夜空がよりキレイに見える丘の上まで来ていた。さっきとは違い、周りに人は誰もいなくて静寂に包まれている。小さな風が数回吹いた。二人は息を切らしながら、足を止める。
「南田君だっけ。どうして私を連れてきたの?」
息を切らしながらも松本さんは龍二を見つめていた。龍二は、その美しい瞳を見つめ返す。その瞬間、二人の視線が交差した。龍二が初めて事務室に行った時と同じ交差。あのときから全てが始まっていた。見つめ合いながら、しばらくの沈黙が訪れた。
「僕は松本さんのことが好きだ」
龍二は自分の感情を正直に伝えた。龍二の告白を聞いた松本さんの表情は変わらない。目線を逸らすことなく見つめている。龍二も目線を逸らすことはしなかった。
「どうして私を好きになったの?」
「あなたに一目惚れしたんだ。好きになったら止まらなかった」
龍二は、自分のクサイセリフに恥ずかしくなって、夜空を見上げた。
星がキレイだ。真っ暗な夜空に様々な星が映し出されている。キラキラと光る数えることも出来ない星たち。一つ一つが輝いている。まるで星が個性を表そうと必死になって主張しているみたいだ。見つめていると、真っ暗な夜空に小さな流れ星が落ちた。その流れ星は、一瞬で消えた。その瞬間、凄くドラマチックを感じた。
龍二はドラマチックな夜空から目を離した。龍二は松本さんの美しい瞳に視線を戻す。相変わらず松本さんは、こちらを見つめている。
「ずっと松本さんのことが好きでした」
龍二は思いを伝えた。初めての告白。
「ごめんなさい。私は横原さんのことが忘れられないの」
松本さんは謝った。別に謝らなくてもいいのに。龍二の恋は流星のようにスッと消えていった。龍二は自分の思いを伝えることが出来て良かったと思った。自己満でもだ。本当は、最初に松本さんと出会った時から恋が叶うか、叶わないかどうか分かっていた。自分が予想した結果通りになった。龍二はもう一度、夜空を見上げた。
どうしてだろう。さっきまでキレイだった夜空が滲んで見えた。
«完»
あとがき〜作者からのメッセージ〜
青春とはなんだろうか?青春とは誰もが一度は通る道だと思う。どんな人間でも悩みはあるし、恋だってする。この作品は青春を生きる主人公が恋に落ちて、友情を感じ、悩みを抱える青春が詰まった物語である。青春特有の複雑な心情が高校生という難しい時期を表情していると思う。自分とは何なのか、生きるってなんだろうかを問う作品でもある。世の中は疑問だらけである。思春期という難しい時期を超えれば、大人になるってことだと僕は思う。高校生は子供から大人に変わる分岐点。そこには、戸惑いがあったり、悩みにぶつかると思う。忘れないで欲しいのは、諦めないことだ。僕だって何度も悩みにぶつかって来た。そのたびに諦めそうになった。でも、諦めずに努力した。
この作品は僕が初めて書いたスポーツ小説である。僕は読書とか映画好きのインドア派なので、アウトドアのスポーツにはあまり関心が無かった。青春といえば恋愛とかスポーツという思いからスポーツ物語と恋愛物語をミックスしてみた。サッカーのルールを調べたり、試合の臨場感をどう表情するかに時間が掛かった。