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「道路族」の報じ方について

こちらの記事で触れた「道路族」という社会問題について。道路族マップというサイトが話題になったこともあり、サイト管理者の元へ取材依頼が相次いでいると聞く。

話題になっている道路族問題

すでに記事になったものも。

これから記事にしたり、テレビ番組で取り上げたりしたい方々に、お願い(本来は当たり前のことなのだが……)したいことがある。

どうか、「寛容・不寛容」から一歩踏み込んでほしい。本当の被害を知ってほしい。京都では民事裁判にもなり、道路族被害を訴える原告側が勝訴した。裁判資料を閲覧してほしい。子を持つ親へのバッシング?とんでもない。真の弱者を見誤らないでほしい。

そもそも、道路は通行のためのものである。公共のもの(※1)である。死角のある車両が通行する場所が多い。袋小路だろうが、自家用車の出し入れはなされる。Amazonでなにか商品を注文すればトラックも進入するだろう。

通行の邪魔をされ、道路遊びで車や家の前に置いたものに傷をつけられる。そうでなくても、さまざまな属性の人々が住んでいるなか、騒音は昼だからといって出していいものでもない。夜勤の看護師などは睡眠不足は人の生き死にに関わってしまう。

子供を強いて危険に晒し、周辺住民に迷惑をかける。その時点で、加害者は「道路族」の方である。子供を持つ親も、受験勉強をする子供が集中できないなどと迷惑に思っている。寛容でないのはどちらだ?

さらに、京都での裁判が起きる原因となったトラブルでは、自治会の役員を巡るトラブルで、ある一家に対して周辺の住民がスクラムを組み、ラインで情報を共有しあい、罵声を浴びせ、公園に行きたがる自分の子供を無理に道路で遊ばせたとされる。

大島てるというサイトがある。不動産会社という、ある種入居者・購入者よりも強い存在が隠しがちな瑕疵物件を、ユーザーが登録し、共有するシステムだ。

道路族マップはどうか?すべての「道路族加害者」が、京都の裁判の被告ような人だとは言わない。だが、時に徒党を組み、村八分のようなやり方で、騒音や嫌がらせで良識ある人々を追い詰めることもある道路族が、強者「ではない」保証があるだろうか? 

道路族マップ管理者は、道路遊びをしている側の名前を晒したり、暴言が含まれるような、私的な復讐となりうる投稿は承認しないなどの対策をとっている。被害者であるはずの彼らは、自浄作用を働かせて懸命に、新たな被害者を増やさぬよう、不幸な報復がなされないよう、活動を行なっている。

道路族マップの投稿が真実とは限らないではないか、と批判する方もいるかもしれない。

嘘の投稿でいえば、大島てるにも、なんならTwitterや Facebookなどにも存在する。ユーザーの一部がフェイクを流したからといって、そのプラットフォームそのものの存続が疑問視されなくてはいけないのだろうか?まさか、Twitterでデマを流した人が一人でもいれば、Twitterユーザーは全員嘘つきだと言うつもりではないだろう。

ユーザー同士の自浄作用が存在する点からも、道路族マップは「強者」に弱者が対抗する正当防衛であると考える。その観点からいうと、道路族被害を訴える方々を『不寛容だ』と批判することは、性被害を訴える人に『あなたが声をあげなければ問題にならずに済んだのに』と非難する加害者思考とお気づきにならないだろうか。

メディア各位には、どうか、道路遊びをしている側ではなく、被害者の声や被害の実態も、公平に報道してほしい。

ストーリーありきで、ネットで完結する取材はしないでほしい。そんなものは、ジャーナリズムでもなんでもなく、小学生の日記に過ぎない。

※1 うちの前は私有地の道路だから……とおっしゃる方もいるかもしれませんが、その言い分が通用するのは、一つの家の「中」にあり、ほかの家に面していない道路に限ると思います。私有地内の道路であっても、複数の家庭が利用する道路であれば、充分に「公共性」が存在すると考えます。狭義の意味での「公共」を意図したわけではなかったですが、混乱した方にはお詫び申し上げます。

2021/4/18追記

モラルの問題である道路族問題と、組織犯罪である集団ストーカーは、厳密に分けて考えた方が双方の問題の解決に繋がると考え、道路族被害は集団ストーカーとは別問題である、と明記させていただきます。



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