#47 社会人編 〜家に潜む黒い悪魔〜
私は、あれが苦手である。
あれ、と言われてもしかしたらすぐにピンときた方もいるかも知れない。
そう、家の中で家主の許可も得ないまま勝手に入ってきては、住人に恐怖と嫌悪感を与えていくあの虫のことだ。
あの黒光りする光沢のある体と、異様に長い触覚、そしてまさかの飛ぶというオプション付きのその生態は、人を恐怖のどん底に陥れようとしている、としか思えないのだが皆さんはどうだろうか。
実家に住んでいた頃は、そりゃもう何度もエンカウントしてきた。リビングでくつろいでいる時や風呂場に入ってきた時、果ては自分の部屋でくつろごうとした時やトイレの中までと…。
なぜか奴らは、人間が安らごうと思った時に限って姿を表す。
どうせなら緊張感のある時やシリアスな場面で現れてきてくれたら、
「お、シリアスな場面にシリアスな虫がきてしまったか、これも致し方ない。」
と、ハードボイルドな感じでこっちも応対できたかも知れない。
しかし、えてして間抜け状態でこっちもあうのだからたまったもんじゃない。
思わず、
「ひぃえ!」
とか
「うぉふ!」
とか、なんともいえない悲鳴をあげて後退りをしてしまう。
さらに奴らのタチの悪いところは、基本的に人間に恐れをなしていないところである。
いや、もしかしたら彼らなりに恐れてはいるのかも知れない。
しかし、一般的に人間に恐れをなす生き物というのは、見つかったら最期とばかりに必死に逃げるものだ。
それが奴らはどうだろうか。逃げるどころかものによっては人間側に向かってくる猛者さえいる。
見た目からしてすでに恐怖の対象である奴らが向かってくるともなると、もはや人間では太刀打ちできない。
そうして、実家では大抵の場合見つけたら私は悲鳴をあげて全力で逃げる。その後家族の強い味方ばあちゃんを呼ぶのだ。
ばあちゃんは強い。刻んできた経験の重さが違う。
大体は新聞紙一つで、やつらを一瞬にして倒してしまうのだ。
私はそれが不思議で仕方がなかった。ばあちゃんは基本的に動作はゆっくりなのだ。
高齢ということもあるが、歩くのもゆっくり、何か作業をするのもゆっくり、字を書くのさえゆっくりなのだ。
しかし、奴らを倒す時だけは違う。どこかの国のハンターのように獲物を狙うべく見開かれた目で奴らを捕らえて、振りかざした新聞紙の速さは、プロ野球選手でも匹敵するかもしれない。
それほどまでに変貌するのだ。
でも私達家族にとっては強い味方であったし、それでなんとか過ごしてきた。
だが、今は一人暮らしである。
過去暮らしてきたアパートでは、何が理由かはわからないが幸いにも奴らに一回も遭遇することなく暮らすことができた。
建物の管理がよかったのか、それとも私の部屋が食べ物とかそういった生活感がなかったからなのかは定かではない。
そんな生活できたことは本当に快適だったが、快適だったが故に奴らに襲われる恐怖をいつの間にか忘れていたのかも知れない。
今住んでいる家に移って1年ほどしたある日のこと、私は不思議な光景を目にする。
キッチンの箸やらスプーンやらが置かれている奥の棚、普段なら使うこともない調味料やら、色々な入れ物やらを収納しているスペースをなんとなく、本当に何の気もなしに見た時だった。
「あれ?」
見た時にふと違和感を感じたのだ。そこに置いてある入れ物やら調味料には何の変哲もない。
だがその周り、収納スペースの至る所に何だか黒い物体が付着しているのだ。
…もうここで、鳥肌が立った方がいるだろう。しかし、私は伝えたい。どうしても当時の衝撃を伝えたい。
とういうわけで話を進める。
それを見た時まだなんだかよくわかっていなかった私は、もしかして夏場の間にカビがたくさん発生したのかもと考え、それはそれで嫌悪しつつ、掃除をしようと思い立ったのだ。
そうして前面にきている棚をどかし、奥に控えるそれを取り出して気づいた。
「…違う。これはカビじゃない。これは…何かのフン?」
思ったものと違うことに気づいたその時、収納のかげからついにやつが顔を出したのだ。
「うえぇぇぇーー!!!!!!」
とおそらく言った。人間本当に予期せずして悲鳴が出る時はそうなるのだろう。
思わず一回その収納を放り投げたからよほど驚いたのだと思う。
そうして、震えつつもう一度目をやると、醤油のボトルとみりんのボトルの間からやつの触覚が見えている。
もういやだ、なぜここであってしまうのか。
とこの状況に半ばパニックになる。
しかし、このままではやつをこの家に時はなってしまう。そうなったら最後。私の安息の地は消えてしまう!
と、弱気になった自分を奮い立たせ、あの強かったばあちゃんを思い出して手頃な雑誌をもちやつに立ち向かった。
結果、すぐにやつを倒すことには成功した。
ほっと一安心するとともに、奴らは
「1匹見たら30匹はいる。」
という例のあれを思い出した。考えただけでも恐怖である。
そんな恐怖に取り憑かれた私は、もう夜になってはいたがすぐさま近くの薬局に駆け込み、バルサンやら置いとくだけで勝手に食べて死ぬやつなどを買って家に置いた。
そうして、この一度以降私がやつに会うことはなかった。
自分の対応の速さを褒めると共に、実家でその力を示していたばあちゃんの強さを改めて感じるのだった。
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