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Withコロナ時代、都会と地域はどうなるか?

気づけば東京に戻ってまもなくで3年になる。
それまでの仙台での暮らしは初めてのことだらけで、価値観が大きく変わったことは以前にも書いたこと

東京を拠点にも各地域との架け橋になりたいと思い、色々な場所で形を問わずサポートをしてきた。
そんななか流行した新型コロナウイルス。
私の活動の軸でもまた新たなフェーズに入った感覚が出てきた気がしている。
昨日この記事を読みながら、ふと考えを巡らせていた。

このポケットマルシェがスタートした2016年、私は東北にいた。
知り合いの漁師さんが出品するという話から存在を知った。
現地にいると普通に手に入ることも多いので横目で見ていた程度だったが、東京に戻って改めてこのサービスに触れた。

生産者さんとつながること。
東北で感じた、お金だけでないつながりを感じられるサービスの一つだ。

育てた人だからこその想い、現地の人だからこそ知っていること。
それを聴き、口にすることで、美味しさは何倍にも広がるということ。

お金には代えられないことであると感じ利用している。

ポケマルを利用した今月のこと

リモート勤務になり家での時間を充実させるために、また利用をした。

注文をすると、すぐに生産者の方から「ありがとうございます!」とご連絡をいただいた。
夜遅い時間だったので逆に申し訳なさを感じたが、「注文の確認はいつもこの時間なんです」と話をいただいた。
生産者さんの仕事の様子がふと見えた。

「今日発送しました!」といただき、いよいよ楽しみになってくる。
そして届いた箱を開け、入っていることも多いお手紙を見るとまた嬉しく。

早速いただいて「ごちそうさまでした!」と投稿をすると「こちらこそありがとうございました!」と言っていただけて。

この週は連絡を取り合った人の上位に生産者の方々が入る気がする。笑

いつ何が起きてもおかしくない社会に生きる私たち

コロナの影響が出始めた以降、SNSでは知人も利用していると分かる投稿も増え、今改めて広がりを実感している。

いつからこんなに広まったのだろうか…と思い返した際に、社会や環境の変化が浮かんだ。
台風などの自然災害や今回のコロナウイルスなどだ。

人の生活を変える場面で、このようなサービスがフォーカスされ「初めて頼みました」「また利用しよう」そんな言葉を目にするような気がする。

当たり前だったことが変わる瞬間は、いつきてもおかしくはない。

震災以降も様々な出来事があった。
この感覚や何かあった際にはみんなで助け合おうとの気持ち・風潮は少しずつ広がっているように感じる。

ただこれまでは局所的な話だった。
だからこそ他人事や風化もあることは否めない。

それでも今回の出来事は異なる。
程度は様々だが、日本全国(を超えて世界も)が同じ問題に向かっている。

Beforeコロナ→Afterコロナ?Withコロナ?

一人ひとりが暮らす場所は異なる。
場所は異なってもそれぞれの生活は存在するが、利便性や豊かさなどで各地を区切ることで、何となく都会や地域・地方…など境目が生まれ、役割ができてしまった。

しかし今、暮らす場所は異なっても、それぞれの生活を支えるべく、地域を超えて人がつながることが少しずつ必要になってきた。

ポケマルだけでなく、既にそれ以外のサービスもあるし、それぞれがすでに持つ形式にも囚われないつながりとして、飲食店のテイクアウトは典型例だろう。

それぞれの生き方が変わる最近の日々。
ここ1ヶ月、よく耳にする言葉として「Afterコロナ」「Withコロナ」とあったが、最近は後者一択になった気がしている。

報道なども見ながら長期戦になるのだろう…と覚悟をしながら、どんな社会が形づくられるだろうか。そしてその一旦にいる私はどんな生活を営み、社会をつくる一つになるだろうか。
状況を見守りつつ、まずは直近からできることは何か?と考えることしかできない私がいる。

5ヶ月前に感じていたことの続編が今

このnoteを書いたのが、ちょうど5ヶ月前のこと。
たくさんの方に読んでいただき、「そうですよね、大切だと感じます」「何かあった時に読み返します」と言っていただくこともあった。

まさかこの5ヶ月後にこうなるとは一切思ってもいなかったが、何だか続編みたいな文章ができてしまった。

明日からのこと、これから先を考えて今思うこと

少し話は変わるが、明日、私が文章をサポートさせていただいたクラウドファンディングがスタートをする予定だ。
これも東北でのご縁、コロナが相まってのクラウドファンディング。
始まったらまたここでも紹介したいな…と思うが、それ以外の環境の変化もあって、これ以外でもお手伝いをし始めた。

これまでは都会と各地域の架け橋になれたらいいな…と思っていた私。
それも今回の出来事を通じていつか「架け橋」の概念がなくなり、日本全体がみんなの大切な社会として楽しむことができたら何よりも幸せだろうな…と思うようになった。

もちろん概念をなくすことはそう簡単なことでないとも分かっている。
だからこそ引き続きこの活動は続けていきながら、たくさんのつながりを生み出し自然と共に生きること少しでも多くの人に伝えていく人でいたいな…と。

やはりどの地にも、そこにしかない魅力がたくさんあり、それらを支えるのは素敵な方々ばかりだ。それらを掘り起こして発信していきます。

▼Twitterもやっています。


ありがとうございます。今の私はたくさんの人生の先輩方にお世話になったからこそだと感じています。いただいたサポートでは、後輩が迷った時に話を聞く際のカフェ代に恩送りさせていただきます。