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自分の人生、他人事

自分の人生なのに、他人事みたいだ。
ずっと感じている。自分の人生をゲームみたいな、本気で捉えていない気がする。

これが正しいのか?大学受験の時もそうだった。今、就活もその感覚になってきている。
心と体を離して考えすぎているというか、心が幸せなら体(肉体、実体、世間体?)はどうでもいい感覚が心のずっと奥にいる。

なんでこういう考えになったんだろうと昨日考えてみたけれど、2つ思いついた。

1つ目は成長するにつれて、選択肢が数多とあることを理解するから。
大学受験浪人期も、「もし全落ちしたら、ずっと住んでみたかった大阪に行って1年間フリーターとして生活をして、また地元に戻って英語の専門学校に入ろう」と思っていた。甘い考えかもしれないけれど、選択肢があった。結果、第一志望の大学に奇跡的に合格できてそのルートは閉ざされた。でも正直、そっちの人生も楽しそうだと今でも思っている。パラレルワールドの自分が羨ましい。

2つ目は人生に対する価値観が父親の死を通して変化したから。
私が人生で断トツで大好きだった父親、カラオケにも2人で月3回くらい行っていた。カラオケでは1番を歌い終わったら交代するというルールがあったが、父親がどうしても好きな曲を2番まで歌うと私が拗ねて、父親が機嫌取りに勤めるのも定番になっていた。自分、幼稚すぎ。父親の歌う曲の合いの手は私が一番上手だった。
父親との思い出はあげ始めるとキリがない。一緒にオリジナルソングを何日もかけて作って、振り付けまで作った。今でもはっきり覚えている。あとOne DirectionのPVを再現(一発撮りなので再現と言って良いのかわからないくらいのクオリティ)をしたりした。

そんな大好きで、私の心の大半を占めていた父親が高校生の頃に亡くなった。
そこから生死とか、人生について考えることばっかりになった。色々、色々、ずっと考えていた。今も考えている。
健康に長生き出来れば最高だし、いま、健康で生きていることで十分すぎるじゃん、と思うようになった。結論は出ていないし、今後も出ないと思うんだけど、そう。今が楽しければ良いじゃん。先のことより、今が楽しければ良いじゃん。という考えになりすぎている。だから、先のことを考えることに現実味がわかない。行き当たりばったりで生きていたい。あと、周りの人は本当に健康でいてほしい。長生きしてほしい。

昨日お母さんに、上のように思いすぎてしまっている節があるということを話したら「わかる〜」と言っていた。
父親が亡くなってから、死ぬことに対する恐怖は無くなったけど、今、生きていることの尊さを感じるようになった、みたいな話をした。この話を母親としているとき、気を緩めたらとめどなく涙が出てくることを感じたけれど、我慢した。多分母親も同じだった。お互いがちょっと頑張って元気に振舞っている感じの不思議な空気感だった。
悲しみなんて乗り越えられる訳なくて、時間が経つにつれて忘れて薄れていくだけで、思い出すと当時のまま、押し寄せてくるね〜

まあそんなこんなでどこか地に足がついていないような、自分の人生に現実味がないような?不思議な感じで生きているけれど、ワクワクすることもあるし、辛いこともあるけど、なんか人生は楽しいだろうな〜ってどことなく感じている!ゲームって大変な局面でもやっぱゲームだから心のどこかは楽しいじゃん。そんな感じ!

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