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プレゼンこそ最大のアウトプットであり、インプットである。

右手にスマホ、左手にゴミを持ってゴミ箱の前に立つと、ついついスマホを捨てそうになる。そんなことってありませんか?


ないか。僕だけか。

これから書くことは、Nサロンの有志で行われたプレゼン大会についての記録。備忘録であり、自省録である。
文体、文章構成など一切気にしていない。単なる自己満足。この文章の読みにくさ、つまらなさもまた趣深いところだとポジティブに捉えていただきたい。
また、プレゼンしていただいた方々の内容を自分なりに要約しているが、些か個人的主観が入っていることをご了承していただきたい。

タナさん「謎検」

正式名称、謎解き検定。

頓知のきいた問題を解くことで「ひらめき力」、「注意力」、「分析力」、「推理力」、「持久力」が判断できる。直近だと明日の12時までに申し込めば「第6回 謎解き能力検定」を受けることができるらしい。

判定対象となっている能力に関する問題を出題していただいたが、「ま、答えは言わないんですけどね」の一言で次のスライドにスパスパと切り替わっていく。諸行無常、万物流転。「言わないのかよ!」と、バラエティ番組でよく見るようなツッコミ芸人さんになったかのようだ。

途中から「このような問題があります」と言われても、「どうせ答えを行ってくれないんでしょ…」と諦めがついていた。もはやパブロフの犬。

個人的に印象的だった言葉は「必要なものは常識と非常識」。地方の名前などの常識を持ちつつも、「当たり前を疑う」という非常識を持ち合わせなければならない。

けんしんさん「ヒップホップクラシック」

そもそも特定の音楽ジャンルを15分でプレゼンすることなど不可能に近い。一人のアーティストを取り上げるだけで最低でも1時間は必要だ。しかし、けんしんさんはヒップホップクラシックを象徴とするアーティストをうまく掻い摘みながらやってのけた。偉業。

ヒップホップをかじったことがない人でも、このプレゼンを聞けば国内国外のヒップホップクラシック(様々な見解があるだろうが、現代でも愛されつづけている曲とでも言っておく)が丸わかり。誰でも明日から「Hey、メーン!」と言い始める。たぶん。

アフリカ・バンバータから始まり、N.W.A、Eminem、Lamp Eye、BUDDAH BRAND、RHYMESTER、Dragon Ash、キングギドラ、THA BLUE HERBを代表曲とともに紹介されていた。

アーティスト名を書いてみてわかる。これを説明し切ったのめっちゃすごいやん。けんしんさん、めっちゃすごいやん。
15分でこのボリュームはもう、けんしんさん自体がヒップホッパーかのようだった。

たましろさん「フォント活用のすゝめ」

本、看板、WEBサイトなどに書かれている文字の「フォント」。気にしたことがあるだろうか?自分はまだない。

日本語か英語か、本文かタイトルか、そして印字かWEB上の文字かどうかで正しくフォントを設定することが重要だ。
例えば印字の場合、
日本語だとタイトルの場合はゴシック体、本文の場合は明朝体、
英字だとタイトルの場合はHelvetica、本文の場合はGaramond
といった感じだ。誤字等あったら、それはご愛嬌で。

どの用途によって使われる文字なのかを意識しつつ、その文字のフォントを選ぶ。看板であったら視認性(遠くからでも分かりやすい等)を考慮してフォントを選ばなければならない。

フォントに気を使うことは読み手への思いやりなのだ。

その言葉をたましろさんから聞いた瞬間、自分のスライドのフォントが全く考えられていなかったことを猛省した。資料内でフォントが統一されてればいいでしょうとしか思わなかった。もし、フォントに関する法律が存在していたならば、静かに出頭しているところだ。もし、たましろさんが警察関係の方ならば、すぐに連絡をする。「すいません、今回だけは見逃してください」と。

改めて自分が使う文字のフォントを見直さなければならない。

あんどぅーさん「"分かりやすい"とはなにか」

「九品官人法」を説明することで、自ら「分かりやすい」説明を体現されていた。自分にはできない。「おいしい料理の作り方」と同じくらい無理難題なテーマだ。

話し手ができることは二つ。
①一言で言う
②例える

①一言で言う
チャッチコピーのようなもの。つまり、説明しようとする単語を必要最低限の言葉で定義づければ良い。最低限の言葉というのは「いつ」、「どこで」、「なにを」といった5W1Hに属する言葉だ。
九品官人法なら「三国志の時代に中国で採用された人事制度」だ。(実際には多少異なる言葉で説明されていたが忘れた。)

②例える
聞き手が連想しやすいように具体例を示してあげる。九品官人法なら「番付のようなもの」(これも多少異なる言葉で説明されていた気がする…)。

それらを使いつつも、起承転結ができたらいいねと"分かりやすく"説明していただいた。

しかしながら、改めて「分かりやすい」という言葉を追求すると、自分の中で様々な疑問が浮かんでくる。

その分かりやすさとは結局「自分にとって」分かりやすい、いわばエゴなのではなかろうか?分かりやすくあることは聞き手の思考レベルを下げてしまう(自ら考えることのモチベーションをなくす)ことなのではないか?そもそも分かりやすいことが善なのか。

常識を疑う「非常識」。謎検に挑戦してみようかしら。

ハリーさん「ベイスターズ 暗黒の魅力」

ベイスターズの不遇な歴史をブラックジョークと共に振り返るの巻。
まさに「ベイスターズ好き」の「ベイスターズ好き」による「ベイスターズ好き」のためのプレゼン。野球を知らない自分でもなぜかベイスターズファンに同情したくなるぐらい。

ベンチ裏で喫煙、球場でのサッカー、とんぼ返りの助っ人外国人など、「そっとしておいてあげようよ」と思ってしまうほどの数々の黒歴史を丁寧に紐解いてくださった。

ベイスターズファンに幸あれ。

うっちーさん「ステイホームをしている時の自分との関わり方」

「食事とは何を食べたいかを自分に問う作業である」。教科書に乗るぐらいの名言。吾輩は猫である級。語感が似てるってだけね。

例えば料理を多く作りすぎたとする。
それを「もったいないから全て食べてしまおう」と思うのは、食に対して低次的な向き合い方だ。自分の「声」を聞いて「お腹が満たされたから残す」という判断が大事。

人はついつい外部的要因で自分の判断を変えてしまうことが多い。しかし、そんな時こそ自分の心の声に耳を傾けて、自分は何をしたいのか・食べたいのかを考えて判断すべきなのだ。

「風の歌を聴け」ならぬ「人の声を聴け」

アウトプットは様々だ。ブログにしろ、Twitterにしろ、Instagramにしろ、Facebookにしろ、それぞれのツールで独自の発信をすることができる。

しかし、このプレゼン大会を通して思ったことは、話し手の「声」を通して発信される情報はダイヤモンドのように貴重であるということだ。話し手の熱意、知識量、テンポによって、聞き手のインプットの量・質は変わってくる。少なくとも字面でのインプットよりかは数倍違ってくるだろう。

「人の声を聴け」。

オフライン、オンラインは関係ない。話し手の直接的な情報発信を自分の血肉とする。それがプレゼンの醍醐味であり、プレゼンをする意義なのだ。嘘は言わない。まずはあんどぅーさんに連絡をば。

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