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【読書】品のあるエロの才能が欲しい『蘇える変態/星野源著』

昔から「上品な下ネタ」を言える人に憧れていた。
「品のあるエロ」と言い換えることもできるだろうか。
どちらも同じ意味を指すけれど、後者が気に入っているのでそちらを使おうと思う。

この本の著者である星野さんのラジオをはじめて聴いたときから
「品のあるエロ」を体現している天才だと思って尊敬していた。

星野さんを好きになったのは、逃げ恥シリーズを見てからというもの。

ものすごく一般的かもしれないが
逃げ恥を見て感動する→恋ダンスを踊れるようになる→恋ダンスの想い出がたくさんできる→ついでに映画までみちゃう→逃げ恥婚に沸く
という無難なルートで星野さんのファンになった。

聴いていた楽曲は「恋」だけではなくて、「アイデア」とか「SUN」とかは本当に朝聞くととても元気が出てその日一日を気持ちよく迎えることができるので、いつも通勤中の車の中で流していた。

そういう歌手としての星野さんがラジオを配信していることを知り、気になってはじめてラジオを聞いたとき、いつも聴いている歌を歌っているときのあの、何とも言えない落ち着いたイケボのトーンで、下ネタを連発していたので衝撃を受けたのを覚えている。どのラジオの回だったかはよく覚えていない。けれど本当にそのとき、星野さんのとめどない下ネタを聴きながらもなぜか全然不愉快にはならなくて、これは、「品のあるエロ」を体現している天才だと勝手に定義づけてそれからというものさらにファンになった。

星野さんを「品のあるエロ」を巧みに操る天才だと私が定義する前提として
私は「品のあるエロ」を技術として身につけることは非常に難しいと勝手に思っている。

なぜなら、この日本という国において、「性」はいつだって隠されているものであり、できる限り個々人の心のうちにとどめておいた方がいいと美化されているものであり、であるがゆえに

これが「品のあるエロ」です!!!!
と正式決定した、いわゆる学校の校則的な、絶対の定義が示されていないからだ。

ゆえに「品のあるエロ」には技術ではなく、きめ細やかな配慮と、引き出したっぷりのセンスが求められる。

自分ではない誰かに対して
エロを表現するとき
それなりに話す相手との人間関係と心の状態を十分に配慮をしておかないと、相手から不愉快極まりないと判断され、下品だと思われて関係性が終了してしまったり、ときに訴えられたりすることだってある。

エロはとても繊細だ。どこにあるかわからない下品という地雷を踏まないように細心の注意を払って、丁寧に慎重に言葉を選ばなければならない。

「品のあるエロ」に絶対的定義がないからこそ
世の最新のエロ事情を敏感に察知し、常に情報をキャッチアップしておかなければならないのだ。少しでも時代の波に乗り遅れてしまっていたり、話す相手の年代によって異なる言葉選びを間違えてしまうと、取り返しのつかないことになる。

「品のあるエロ」を語るには、膨大な知識とそれを相手に合わせて巧みに紡ぐことのできるセンスが恐ろしいほどに問われる。

しかもそれを、誰かひとりに対して、もしくは呑みの席での複数人に対してではない
世の不特定多数の人に向けて表現し、発信するなんて、、、。
それをなんなくできている星野さんは天才だ。

そんなことを思っていた最中、私は、図書館で偶然この本を見つけて、思わず手に取ってしまった。

タイトルからして、品のある大人の色気に満ちているかんじがたまらない。
内容もタイトルに劣らず、とても素敵な一冊で、また、この本を通して
私はやっぱり星野さんは「品のあるエロ」の天才だと再認識することができた。

とにかく感動してしまったのは
この本の序章である。

「おっぱい」

そのタイトルとともにはじまる短いエッセイの文章なのだが
これをこの本の序章に持ってくるあたり最高過ぎて絶賛の嵐だった。

おそらく、この章を最初に持ってくることによって読者が選定されている。
なぜなら、結構ギリギリのエロラインを責めているので
それを「やっぱり星野さんは品のあるエロの天才だ!おもしろそう!(私みたいに)」と捉えるのか、「それとも下品でしょうもなさそうだから読むの辞めよう。」と思ってしまうのかが本当にはっきりと分かれるからだ。

そもそも本を書いたり、出版したりするときって、できる限り多くの人に手に取ってもらえるよう、はじめを工夫したりするものだけれど、この本はまさに、真逆のことをしていて、この「おっぱい」を気に入るか気に入らないかで、気に入らない読者のことはすでにこの本を読んでもらう対象として諦めている。というか、その諦めてしまう読者に対して、最大限の配慮をしているとそう思った。

私が先ほど述べたような、「品のあるエロ」が伝わらない人に対しては、読んでもらうと、不愉快になる可能性もあるので、先にここでふるいにかけておきますね。的な星野さんの優しい心遣いがみるみる伝わってきて、本当に感動してしまった。

皆さん、読んでくれてありがとう。冒頭からこんな調子なのは、日々こんなことばかりつらつらと考えている自分というものの解放であり、今後このくらいの適当さで行きますよという宣言でもあり、あまり堅苦しく読まないでねというエクスキューズでもあり、何より、誰か親切な女性が「揉んでもいいわよ」と言ってきてくれないかという淡い期待を寄せているからに違いない。

「蘇える変態」より引用

この序章によって、読者側はあくまで、エロを含んだ星野さんのことを理解した上で、この本を読み進めることを強要される。強要されるからには、それを逸脱する読者も少なからずいるということが暗に示されていて、それでも私はそのエロについていきながら、星野さんのファンとしてこの本を読みますよと、読み進める読者側のモチベが爆上がりしてしまうので、魔訶不思議である。

そんな序章を通して早くも私はこの本を読んでよかったと感動してしまった。

そして、読み進めると何ら読んでいて違和感のない星野さん流「品のあるエロ」がいわばほどよいスパイスになりながら、星野さんの生き様や考え方の本質みたいなところに触れることができるので、その本質だけ読むよりも、とても星野さん自身の理解が進んで面白かった。

犯罪以外で道を踏み外したと感じるおおかたのことは、踏み外したのではなく、自分が「真っすぐだと感じる道」と社会や環境が指し示す「真っすぐな道」がただ違うというだけだ。
世間が「あんた曲がった考え方をしているね」と言う時は大抵、思考が曲がっているのではなく自分の中の「真っすぐの考え」が周りの「真っすぐの考え」とズレているだけなのだ。

「蘇える変態」より引用

ポピュラーすぎてそう受け取る人は少ないだろうけれど、俺はそういった「普通に見えるけど実は攻めている」ものが、番組に限らず、音楽でも、芝居でも、人間でも、好きだ。タモリさんだってそう。普通なのにアナーキーな存在、誰もがマジョリティだと思っているマイノリティであり、ポピュラーの象徴なのに濃密にオルタナティブであり続ける存在。そんなタモリさんんが大好きだし、いつかそういうものになりたいと憧れてしまう。

「蘇える変態」より引用

寂しさってどうやったらなくなる。寂しさをなくすにはどうしたらいい。
昔からどうにかしたいが、いっこうに解決しない。どんなに満たされた状態でも、ふとした瞬間に寂しさはやってくる。・・・・
寂しさは友達である。絶望はたまに逢う親友である。そして不安は表現をする者としての自分の親であり、日々の栄養でもある。不安はご飯だ。

「蘇える変態」より引用

私たちが普段何気なく触れている星野さんの作品の裏には、いつだってマジョリティではない、マイノリティとしての目線で日常を悩んだり、苦しんだりしながら生きている星野さんの生き様があるからこそ、なぜかふと、つらくなったときにどうしても享受したくなる作品である理由が記されている気がして、さらに星野さんの作品が好きになった。

上記だけ引用するとあまりエロの要素にかけてしまうのだが
この引用部分の背景にも、しっかり星野さんの「品のあるエロ」が含まれているので、気になった方はそちらも含めてぜひ読んでみてほしい。

個人的にエロに対する考え方でとても共感できた箇所もあったので引用しておく。

セックスが好きでそれを職業にしたとして、それのどこが悪い。
俺は音楽が好きで、芝居が好きで、文章が好きで、それを仕事にしている。
それとセックスが好きで仕事にしていることになんの違いがあるのか。
どの仕事も、スタッフや演者の頑張りがあって初めて成立するものである。好きなものを仕事にするには大変な努力が必要だ。そこに挑戦するのはとても難しいけど、すばらしいことだと思う。
多少乱暴な言い方だが、俺は人前で歌うことと人前でセックスすることは同じだと思っている。表現するっていうのはなんでも恥ずかしいことだ。そしてそれでお金をもらうということも。どちらも同じように堅気の職業とは言えないだろう。そして、そこに善し悪しの差はない。

「蘇える変態」より引用

AV女優に関して綴られたエッセイの一説。
私は別にAV女優ではないけれど、ことそういった職業に対して従事している人たちに対する冷ややかな目線に対しては、前々からすごく違和感があったので、共感の嵐だった。

何より、この本で、星野さんの多忙すぎる仕事の裏側や、脳の病気に苦しんでいた闘病生活の記録など、普通だったら考えられない怒涛の人生を歩んできた星野さんの生き様を知ることができてとてもよかったし、また星野さんの作品にこれを前提に触れていくことができるので楽しみだ。

それに、どう考えてもそんな一見苦しすぎる人生を、「品のあるエロ」を巧みに操り、明るくポップに描くことで、読者側がなんなく楽しむことができるようになっている星野さんの天才要素に尊敬しかなかった。

あぁ、私もいつか星野さんのように「品のあるエロ」の天才になりたいと願うばかりである。

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